表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その手をとれば  作者: ななのこ
第1章 行きつ戻りつ冬春の道 【共通】
5/54

5

 『えー? 大学生と合コン? いいよー、面白そうじゃん。青田買いしよ』


 結局、依子はその場で悠季に電話させられ、彼女からは二つ返事で合コンへの参加承諾をもらった。そして更に香織は圭吾に件の先輩に電話させ日程調整を行い、その日のうちに店の予約まで行ってしまった。

 まるでこうなることが決まっていたかのようにトントン拍子で話が詰められ、次の週の土曜日にその合コンが決行される運びとなった。


 それが決まるやいなや、香織は仕事は終わったとばかりに立ち上がり、再び圭吾とともに出かけて行った。

 残された依子は前日の朝同様、茫然と香織(と圭吾)を見送るのだった。







 明けて月曜日。

 週のはじめから、依子は会社の慌ただしい動きに翻弄されていた。

 もともと決算月を間近に控えたこの時期は、忙しいのだ。

 依子の職種は営業事務で、営業から依頼されて企画書や見積書を作ったり、必要となるデータを集めたりと、多岐にわたる。

 その日も、朝からパソコンに向かいひたすら企画書を作る作業に没頭した。新年度に向けての提案にしては遅いタイミングなのだが、顧客の企業はのんびりしたところが多いらしく、同時に何本もの企画書制作の依頼がくる。

 依子がつく営業は三人で、今日はその三人ともが新しい至急の案件を持ってきたので、まいってしまった。やれどもやれども作業が終わらない。

 それでも根性と気合でメドをつけた頃には、二十一時をまわったところだった。平素が定時から十九時の間に退社している身としては、だいぶ重労働だ。

 チェック作業は明日にしよう。今日はもうあがろう。

 こりかたまった肩の筋肉をほぐそうと依子は席を立った。大きくのびをするのを見て、少し離れた席の太田がディスプレイから顔をあげる。


「蓮見、終わった?」

「はい」


 太田は、依子の所属する課の課長であり、依子の担当でもある。たった今作っていた企画書も、夕方過ぎに太田が荒々しい筆跡でラフを書いたものをもとに作っていたものだ。


「んじゃ、俺もあがろうかな」


 いつのまにかずれて鼻先にかかっていたメガネをおしあげて、太田もパソコンをシャットダウンした。


「今日もよく働いたなー。腹減ったー」

「今日の夕ごはんは何ですか?」

「何だろ。俺としては肉じゃが希望」


 つい先月結婚式をあげたばかりの太田はゆるむ顔を隠そうともしない。三十六歳、本人曰くぎりぎりで勝ち取った結婚なだけに新婚生活は順調なようだ。

 ちょっと電話してくると太田は廊下に出て行って、依子は自分もパソコンを落とし、帰り支度を始めた。


「あがるの?」

「わっ」


 不意に背後からかかった声に、依子は飛び上がった。


「ごめんごめん。気配消しすぎた」

「いえ、ちょっとリアクション良すぎましたね。すみません」


 依子の背後に立っていた藤代は微笑んでいる。

 彼も他の営業の例にもれず、この時期は残業が多い。もっとも彼は主任という立場もあって、自分の仕事の他にチームメンバーの管理などで忙しいということだ。


「俺もあがるから、一緒に帰ろう」

「はい」


 そこに太田も戻ってきた。


「お、藤代もあがるのか」

「はい。そこまでご一緒して良いですか」

「おお、帰ろうぜ。蓮見、ニアピンだったよ。なんだと思う?」

「うーん、カレー? シチュー?」

「正解。カレーでした」


 惜しいよなぁ。そこで肉じゃがに転んでくれたらなぁなんてぼやきつつも、太田の顔はほころんでいる。


「良いですねぇ、待っててくれる人がいるって」


藤代の言葉に、太田はさらに相好を崩した。


「いや、たまらんよ。まじで。藤代も今度作ってもらったらどうだ。確か彼女いるって言ってなかったっけ?」

「いますけど、無理ですね」

「何で? 料理苦手とか?」


藤代が依子に視線を巡らせる。何故このタイミングで!? と依子は目が白黒しそうだ。けれどその目配せは一瞬であり、太田も特には気付いていないようだ。


「いや、仕事が忙しすぎてそんな暇ないんですよ。そもそもほとんど会えないし」

「おー、そりゃ大変だな」

「そうですよ。だから奥さんに俺の分もカレー作ってくださいって言っといてください」

「あほか」


 その後も太田のノロケを聞きながら新宿駅まで歩く。結婚は牢獄と例える人もいるが、太田にそれはあてはまらないようだ。彼からの猛烈なのろけに、依子はもちろん、藤代もいささか辟易した様子だった。JRを利用する太田と別れた後で、藤代がほっと気をゆるめたのを依子は見逃さなかった。


「太田さん、いつもあんな感じなの?」

「そうですね。大体のろけてるかニヤニヤしてます」

「すげぇな」

「すげぇです」


 ホームに人が多い。帰宅ラッシュの第二陣といったところか。普段帰る時間帯のラッシュと比べて、中年層の男性が多く、その誰も彼もが少しくたびれた表情をしている。


「蓮見の今日のメシは?」


 電車が発車してすぐの問いに、ようやく依子は自分の携帯電話を確認した。香織からの連絡はなし。香織は夕食を作った場合は連絡をくれるので、今日は夕食は家に用意されていない。


「適当にお弁当でも買って帰ります」

「お、じゃあ、一緒に食べよう。俺もおりるからさ」

「いいんですか?ありがとうございます」


 もし金曜日だったら、このまま飲みにいけたのにな。

 残念に感じた一瞬あとで、いけないいけないと自分を戒める。こうして食事に行けるだけで幸せなことなのだ。贅沢を言ってはいけない。


 駅前のラーメン屋に入り、カウンターに並んで座る。ここの豚骨ラーメンは濃さを調節できるのがウリで、食べざかりの大学生から仕事帰りのサラリーマンまで、男女問わずよく人が入っている。平日で時間も遅かったが、店内は満席とはいかないまでも八割方埋まっていた。


「そういえば。藤代さんの彼女は何のお仕事してるんですか?」


 ラーメンを半分ほど食べ進めたところで、依子は聞いてみた。知ってどうするんだと自分でも思うのだが、問いが口からこぼれおちてしまった。藤代は依子からの質問に少しだけ止まった。え?と依子を見て聞き返したところをみると、想定外の質問だったようだ。


「あの、彼女ってどんな仕事してるのかなって。忙しい仕事って何だろうと思いまして……」


 聞かれたくないことだっただろうかと危惧したが、藤代はすぐに答えた。


「webデザイナーだよ。ああいうデザイン系の仕事ってまじで昼も夜も関係ないみたいでさ、いつ家に帰ってるのか、休んでるのかも不明」

「えっ、土日も出勤してるんですか?」

「そうだね。どっちかは行ってるね。で、休みはたまった家事やら仕事の準備やらで忙しくて、デートの暇はないんだってさ」

「デザイン関係の仕事って大変なんですね」

「さあね。彼女の場合、必要以上に没頭してるように見えるけどね」

「……寂しいですか?」

「寂しい?」


 藤代は不思議そうに依子の言葉を反芻した後、少し考えるそぶりをした。


「寂しい……と言えば、寂しいかもね」


藤代はそう言って穏やかに微笑み、依子に心を読ませるのを拒んだ。彼はいつもそうやって、微笑みの向こうに感情を隠してしまう。もう少しくらい見せてくれてもいいのにな、とそのたびに依子は思うが、逆にさらけ出されたらきっと、後戻りできなくなる予感もした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ