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東京から新幹線で二時間の地方都市が、依子と香織の地元である。雪国と呼ばれる県だが、幸い二人の家はそれぞれ海に近いので、冬の積雪は豪雪地帯に比べれば少ない。そして夏は東京と同じように暑く、新幹線を降り立った瞬間少しがっかりしたくらいだ。
今回の帰省は、土曜日から次の日曜日までの九日間。
普段と違うのは、依子に明確な目的があること。実家でのんびり過ごしたり、高校時代の友人に会うためだけじゃない。藤代と伊藤と離れることで、自分がどう感じるのか。何を考えるのか。そこから答えを導きだすこと。使命感にとらわれると言ってもいいほどの強い思いを抱いて、依子は実家へと帰って行った。
年末年始以来の実家は、何も変わらず依子を迎えた。
長い滞在に両親は喜び、三つ年上の兄もぶっきらぼうながらも彼女の近況を気遣った。いつ帰ってきても、実家は自分にとって安心する場所だ。依子は、久しぶりに家族に会う喜びと懐かしさをかみしめた。
そして、東京の日々とは比べ物にならないくらいゆったりとしたスピードで日々は過ぎる。仕事に追われないというのは、時間の感じ方をことさらルーズにさせる。久しぶりの実家で羽を伸ばしながら、依子は離れている二人のことを考えていた。
奇妙なもので、藤代のことを考えれば伊藤を思い出し、その逆も然り。まるで調和を保てと言わんばかりに、依子の心は二人に対して平等だった。
だから困る。
等しく思い出し、等しく会いたいと思っているうちは、答えなんてとてもじゃないが見つけられない。
東京へ戻る日が近づくごとに、依子の心は知らず知らず焦り始めた。
そんな金曜日の夜、依子は高校の同級会へと足を運んだ。毎年夏に開催される高校三年時のクラスの飲み会は、帰省の時の楽しみの一つだ。地元に残っている友達とも、関東に出た友達とも一同に会せば、様々な話に花が咲くだろう。
「じゃ、かんぱーい!」
幹事の音頭でそれぞれのジョッキを合わせる音が響く。駅前の居酒屋で総勢十五名で始まった飲み会は、はじめから盛況だった。依子は女子高に通っていたので、当然メンバーも女性ばかり。あの頃より顔も大人びて、化粧もしっかりとした女性がずらりと十五名揃えば、結構な迫力だった。
けれど依子は知っている。見た目はどんなに変わっても、話をすれば高校時代からほとんど変わらない人となりが顔を出すことを。
事実、乾杯が済んだ途端にあちらこちらで、それぞれの近況を報告しあう会話で賑わいだす。そこに離れていた期間の気まずさは見られない。依子もその環に交じりながら、自分自身も当時の感覚が蘇ってくるように感じた。
「久しぶりだね~」
依子の隣には、当時仲の良かった梓が座っている。早速誰かが頼んだ冷酒をグラスに受けながら、依子も「久しぶり」と返す。梓のグラスにも冷酒を注げば、彼女は今も変わらない笑顔でお礼を言った。
高校時代、依子は何かに悩むと真っ先に彼女に相談していた。真摯に話を聞き、時に優しく時に厳しくアドバイスをくれる彼女を、依子は全面的に信頼している。今日会えたら、彼女に話を聞いてもらいたいと思っていた。
だから梓がたまたまだが隣の席に座り、早い段階で「東京暮らしはどう? 彼氏できた?」と聞いてきた時、依子は「あのね」と前のめり気味に打ち明けることができたのだ。
梓は高校時代と同じように、真剣に依子の話を聞いた。二、三、途中で質問をはさんだが、基本的に依子が話したいように話させてくれた。そして依子の話が終わると、梓は「ふむ……」と何度かうなずき顔をあげる。
「話はわかったよ。……依子の気持ちも、多分」
「えっ、そうなの?」
「うん。でもそれを検証したいから、ちょっと待ってて」
言うなり梓は立ちあがった。ぽんぽんと手を叩き、一同の注目をひく。
「皆! 突然だけど、ここで多数決とりまーす。年上の上司か年下の新卒、付き合うならどっち!?」
はい、皆考えて~という梓の掛け声に、ざわめきが起こる。
急に何を……と依子は梓の行動に眉をひそめた。
しかし、まわりはそんな二人には気付かず、突然の恋愛ネタにくいついている。
年上の包容力だ、いや年下のかわいさだ。
金回りの良い年上だ、いや将来性の年下だ。などなど。
わいわいとそこかしこで意見交換が始まり、急な話なのに全員が難なく対応している。この恋愛話に対してのノリの良さに、依子はまた瞬時に当時を思い出した。やっぱり皆変わってない。
呆れとともに、おかしい気持ちがわきあがり、依子は結局のところそれを笑って楽しんだ。
そして行われた投票の結果は、僅差で藤代に軍配が上がった。
「やっぱ年上だよね~」
「えー、絶対若い方が良い!」
やいのやいのと再び年上・年下論争が巻き起こる中、梓はにこりと依子に微笑みかけた。
「結果は順当?」
その問いに、依子ははっと梓を見つめた。彼女は何食わぬ顔で笑っているが、おそらく依子の表情を見て、彼女の答えに気付いているのだろう。
……そうか、これが狙いだったんだ。
その時になって初めて、依子は自分が眉間にしわを寄せていることに気付いた。そして振り返れば、結果が出た瞬間に感じたのは『違う』という思いだった。
依子は一つ息をこぼした後、首を横に振る。
「……そんなことない、って思ったよ。藤代さんも良いけど伊藤君の方が良いって、結果出た瞬間思った」
「やっぱりね」
梓は冷酒のグラスをあけた。それにお代わりをつぎながら、依子は梓にたずねた。
「みんなの決をとれば、わたしの気持ちがわかると思ったの?」
「うん。結果にどういう反応するかで分かるかなってね。もし年下君が勝ってたら、きっと依子はもっと嬉しそうにしてたと思うよ」
並々と注がれたグラスに再び口をつけた後、梓は「あとね」と付け加える。
「最初に二人の話をしてくれたときに、温度差もあったよ。年下君を選びたいんだろうな~って感じたもん」
「……そう、かな」
自分では意識していなかっただけに、梓の指摘は依子の心に新しい色を生み出した。それは瞬く間に依子の心を塗り替える。
霞がかった世界が透明なものになり、その先には伊藤がいる。
こんなにもやがかっていたのかと、クリアになって初めて実感した。
そしてすとんと腑に落ちる。
その感覚は、確かに『感じて』いるものだった。
あぁ決まった、と思う。
酒で感情の振れ幅が大きくなっているからなのかどうかは分からない。けれど、今の瞬間依子の心にいるのは伊藤だった。
梓はぼんやりと自分のグラスを眺めたかと思うと「お酒飲んだ時って、好きな人に会いたくなるよね」とこぼした。
その実感のこもった言葉に、依子は彼女自身の恋を思い、そして伊藤を想った。
盛況のまま同級会はお開きとなり、タクシーに乗りあって実家に帰ってくる。シャワーを浴びて、自室で横になっても、依子の頭の中の伊藤は消えなかった。
帰省して七日目にして、初めて物理的な距離にもどかしさを感じる。
これが寂しいという感覚だった、と依子は改めて思い出した。
伊藤は依子に想いを告げてから、ずっとそばにいてくれた。会うのは週に一回でも、それは確実なものだったから、そこに寂しさは生まれなかった。
けれど今は違う。
会いたい、声が聞きたい。
暗がりの中目を開けて伊藤を思い出せば、睡魔が入り込む隙などなくなってしまった。
依子は息をついて起き上がった。枕もとにおいた携帯電話を操作し、伊藤に電話をかける。
日付をまたいでしまったが、伊藤は起きているだろうか。
寝ているところを起こすのは忍びないから、留守電に切り替わったらすぐに切ろう。そう決意して耳をすませば、コール音数回で伊藤が電話に出た。一度、胸が高鳴る。
「……もしもし」
そこから聞こえてきた声は普段よりワントーン低い、けれど確かに伊藤の声だった。
たかがそれだけのことなのに、喜びが広がる。胸をつく愛しさに依子はすぐに言葉が出なかった。
「……蓮見さん?」
再度声をかけられ、依子は我に返る。
「あ、もしもし。ごめんね夜遅くに。もう寝てた?」
「いえ、まだ起きたんで大丈夫です。……どうしましたか?」
伊藤はもちろん依子が帰省していることを知っている。おみやげ楽しみにしてますねと笑った顔を思い出し、依子はまた少し返答が遅れた。それに気付き、あわてて言いつくろう。
「……用事はないの。ただ、伊藤君の声が聞きたくなって……」
「えっ……」
伊藤が詰まる声が聞こえた。それはかすかな音量だったが、彼の動揺を伝えてくる。もしかして迷惑だっただろうかと不安が生まれたが、それはすぐに伊藤の「嬉しいです」という言葉にかき消された。
「俺も蓮見さんの声が聞きたいと思ってました。だから……ありがとうございます」
「ううん。それなら良かった。……明後日には東京帰るから、そしたらまたどこか行こうね」
「はい」
それからぽつぽつと言葉を交わし電話を切る。通話時間としては五分にも満たない短いものだった。それでも依子の胸は満たされ、それを待っていたかのように睡魔もおりてきて、瞼をおろしたのだった。




