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その手をとれば  作者: ななのこ
第3章 ふたつの情動の終着点 【伊藤編】
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 そして日曜日は藤代とのデートである。以前伊藤と行った新宿の映画館に、今度は藤代と訪れる。藤代は指定席をとっていてくれて、それすら同じであることに依子の胸中は複雑なものを感じた。

 選んだ映画はよくあるラブコメで、最初はいがみ合っていた二人が紆余曲折を経て最終的には結ばれるという内容だった。ベタな展開だからこそ安定した面白さがあり、時に笑い、時にじわりとしながら、依子はスクリーンの中の二人を見守った。藤代は割と恋愛系の映画も好きらしく、エンドロールの後で一時期恋愛映画のDVDばかりを集めたこともあると教えてくれた。


「俺の部屋のリビング覚えてる? DVDたくさんあったんだけど気付いた?」


 そう聞かれておぼろげに思い出すのは、黒いソファだった。ついでにあそこでの生々しい体験もセットで思い出し、それを必死で追いやりながら、更に記憶をたどる。言われてみれば、テレビの脇の棚にずらりと並ぶDVDを見た。


「あぁ……確かに、棚にずらっと並んでましたね」

「そう。洋邦問わず、ジャンル問わず。きっと一つくらいは蓮見の気になる映画もあるだろうから、今度観においでよ」


 はい、と軽く返事をしそうになって、依子は口を開いた状態で止まった。藤代はそんな依子を見て、口角を上げる。


「残念。ひっかからなかったね」

「……そう言われると、絶対行けません」

「大丈夫。待つって言ったでしょ?」


 そんな張り付けたような笑みを浮かべられても、信用できない。依子が警戒心のままに藤代をねめつければ、彼は肩をすくめて立ちあがった。気付けば館内で残っている客は数えるほどに減っている。


「本当に蓮見は手ごわいなぁ」


 困ったように笑いながら、藤代は依子の手首をとった。驚く間もなく、そこを引っ張り上げられ自分も椅子から立ち上がる。


「じゃ、このくらいは許してね」


 そう藤代は言い、つかんだ手首を離してから改めて依子の手を握った。そのつながった部分を依子の目の前にかざしながら「デートらしいこと、一つくらいはさせて」と平然と微笑む。


「だ、だめです。ここ新宿ですよ? もし会社の人に見られたら……」


 あまりに自然な流れにされるがままになってしまったが、依子は我に返りその手を離そうとした。


「大丈夫だよ。今日休みだし。別に見られたっていいじゃん」

「良くないですよ! 飛ばされます!」

「たかが一回見られたくらいじゃ飛ばされません」


 藤代はしっかりと依子の手をつかんだまま「行こうか」と歩き出した。力がこめられた手を外すのは難しく、根負けした依子もその手を軽く握り返す。それに気付いた藤代は「よろしい」と一つうなずいた。


「……知りませんよ、本当に」


 負け惜しみのような呟きをこぼしながら、依子は必死で自分の思いを隠した。

 手をとられた瞬間に感じた『違う』という思い。

 それは依子に動揺を誘い、一瞬だけ目まいを起こさせた。ここがまだ映画館の中で良かったと心底思う。これが視界良好な外で起こったら、藤代にはきっと気付かれていたに違いない。

 依子の表情が、これ以上ないほどに曇っていたことに。そして、藤代の向こうに別人の顔を思い浮かべていたことに。


 映画館を出れば、見上げた空は暮れ始めている。手をつないだまま歩き出しながら、藤代は腕時計を確認し「この後の店も予約してあるんだ。イタリアンなんだけど、良かったかな?」と依子に聞いた。


「はい、ありがとうございます」


 どこか上の空で返事をした依子は、新宿の雑踏の中で奇妙な浮遊感を感じていた。どうも足元が覚束ない。

 手をつないだ時の違和感をきっかけに、依子の中で灰色の不安が広がる。

 藤代を好きだという想いも、彼に抱かれた時の喜びも、確かなものとして感じていたのに。決してなくなったわけではないというのに、どこか心もとないものに変化している。

 これまで自分が信じてきた自分が、崩れ始めている。

 それを振り払うように一歩一歩に力を込めながら、依子は藤代を見た。その視線に気付いた藤代も依子に顔を向ける。


「ん? どうしたの?」


 その穏やかな視線を受ければ、いつも胸がざわついていた。なのに何故今はこんなに凪いでしまっているのだろう。

 どこか遠くに藤代の視線を感じながら、依子は呟くように言った。


「……もう一回聞いても良いですか?」

「何を?」

「藤代さんは、どうしてわたしにしたんですか? ……どうして、彼女じゃなかったんですか?」

「あぁ、その話」


 藤代は前方に視線を戻し「うーん」と考える仕草をした。何度か頭をまわして首を鳴らした後で「……もしかして蓮見、煮詰まってる?」と逆に依子に質問をぶつけてくる。

 正直にそれを肯定すれば、藤代は「そっかぁ」とがっかりした表情で言った。


「迷わないで欲しいんだけどなぁ。早くこっちに戻っておいでよ」


 戻りたい。

 戻りたい?

 よくわからない。

 これがまさに煮詰まっているという状態だ。

 このままでは混乱の極地に至り、どうしようもなくなってしまうだろう。


「……どうすれば、いいんですか」


 依子の問いに藤代は笑った。


「それ俺に聞くの? そしたら答えは一つしかないけど良い?」

「……いえ、駄目です」

「でしょ。じゃ、今のは聞かなかったことにしてあげるよ。……でもアドバイスを一つあげようか」

「……なんですか?」

「考えないで感じること。ほら、名言であるでしょ。あれだよ」


 したり顔でうなずく藤代に、依子も小さく微笑みを返した。

 『待つ』という約束を彼は確かに守ってくれている。その優しさが心にまっすぐ届き、自然と口から「ありがとうございます」と感謝の言葉がこぼれた。


「どういたしまして。ね、俺って優しいでしょ?」

「それ言ったら台無しですけど」

「ですよね~」


 藤代が楽しそうに笑うから、依子もつられて笑った。

 そして、新宿の雑踏を歩きながら、来週香織と一緒に帰省しようと依子は心に決めた。

 彼女の言うように、少しは彼らと離れなければ想いを『感じる』ことは不可能だと悟ったのである。

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