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深夜の北風が、酒と藤代の余韻を吹き飛ばす。体を震わせながら依子が帰宅した頃には、身体が睡眠を欲していた。とにかく眠くてまぶたが重い。それでも何とか着替えてベッドに潜り、次に意識が浮上した時には明るい光が部屋中を満たしていた。大きな欠伸をひとつしてから時計を確認。十二時少し前をさしている。
のろのろとした足取りでリビングに入ると、同居人の香織が慌ただしく外出の準備をしているところだった。
「あ、おはよ依ちゃん」
「おはよー」
ネックレスが見つからないと叫びながら、香織はリビング中の引き出しを開けてまわっている。ボリュームのあるスカートが、彼女が動き回るのに合わせてふわりと揺れる。
「依ちゃん、あれ知らない? ピンクの石のネックレス!」
「自分の部屋にないの?」
「ないのー! 洗面所にもないし、玄関にもないし、もうここか依ちゃんの部屋しか考えられないよ」
「わたしの部屋にはないと思うけど……」
「うわーん、間に合わない~!!!」
依子の言葉を完全に聞き流して、香織は焦った様子でついにはソファを動かそうとし始めた。そんな大作業をしたら、バッチリのフルメイクが落ちかねない。依子もすぐさまその作業を手伝い、二人がかりでソファを動かしたものの、ネックレスは見当たらなかった。
「もうだめ。待ち合わせに遅れちゃうから行く……」
見るからに肩を落とす香織に対して、寝起きからいきなりフルパワーを出させられた依子も別の意味で肩を落とした。
「ま、まあネックレスなくても十分かわいいから大丈夫」
月並みななぐさめに、香織はありがとうと弱く微笑み、ソファに置いてあったバッグをとって玄関に向かった。
一応と玄関まで見送った依子を、そうだと香織は突然振り返る。
「依ちゃん、昨日遅かったでしょ。藤代?」
「うん」
「もう! 藤代のやつ、また依ちゃんを遅くまで連れまわして!」
いきなり香織の眉がつりあがる。
「依ちゃん、ほんと気をつけないとだめだからね! 藤代だっていつ狼になるかわかんないんだから! あ、今日泊まってくるから!」
言いたいことだけまくしたてて、鼻息も荒く香織は出かけて行った。
まるで嵐のようだ。
玄関のドアが閉まった後、依子は大きく息をついた。
◆
香織は依子より四つ年下の従妹で、現在大学三年生である。三年前に彼女の大学入学と依子の就職が重なり、経済的・地理的な利便性から一緒に暮らしている。
目下のところ中学校の教師を目指して勉強中の香織は、もともと正義感が強く、社会規範を守ることにうるさい。だから依子と藤代の曖昧な関係も良く思っていない。
去年の夏、藤代が酔い潰れた依子を送ってくれた時に初めて顔を合わせ、その時は優しい先輩だねと好意的だったのだ。それが藤代がたびたび依子を呼び出すようになり、さらに向こうには彼女がいると知ったことで、香織の藤代へのイメージは急降下。いまやアンチ藤代を声高に叫ぶ急進派だ。
香織が依子を心配してくれているのは分かる。痛いくらいに感じる。
「でもなぁ……」
シュワシュワと湯気を噴き出しはじめたヤカンを眺めながら、依子はため息をつく。
藤代のことは依子にもどうしようもないのだ。別に好きになりたいと思ってなったわけではない。気が付いたらそうなっていたというだけのこと。
依子自身の中では自然な心の流れに沿うものであり、相手に彼女がいるとは言え、現在の関係にそこまで不満がないだけに、香織の言っていることをいまいち受け入れられない。
「ま、しょうがないか」
完全に沸騰したのを見届けて、ヤカンを火から外す。
香織も今頃恋人のところで頭を切り替えているだろうし、自分もそうする方が良い。
依子はひとつうなづいて、コーヒー豆の入っている缶に手を伸ばした。