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その手をとれば  作者: ななのこ
第3章 芽吹きを目指す冬の道 【藤代編】
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 ひとしきり汗をかいてしまえば、身体を動かすのが億劫になり、それに合わせるかのように思考回路が鈍る。


 見るとはなしに天井を見ながら、依子は内心でうなった。

 藤代は依子を丸めこむのが本当にうまい。付き合う前も付き合ってからも、いつも藤代にペースを握られている。別に主導権を握りたいと思うわけではないし、今まで自らの意思で藤代のペースに乗ってきていた面もあるのだが、今日はきちんと自分の気持ちを伝えようと思っていたはずなのだ。谷口に対して嫉妬する気持ちがあることを、あまり重くならないように伝えたいと、藤代の部屋につくまではそう考えていたのに。


「依子は本当に優しいね」


 藤代の声とともに布団が動く気配がする。慣れた手つきで依子の頭の下に腕をさしこみ、もう片方の手を背に優しく添えて、藤代は依子をのぞきこんだ。しめきったカーテン越しに強い西日がさしこんできて、至近距離の藤代の顔をオレンジ色に照らしている。その表情は穏やかだったが、事後特有の甘ったるい感じと相まって、依子を妙に気恥ずかしい気持ちにさせた。


「今回みたいなこと、依子は怒るかなって思ったんだけど……」


 そう言いながらも安心しきった表情に、藤代の中でもうこの件は落ち着いているのだと感じる。けれどそれは違うと、いてもたってもいられない衝動がわきおこった。


 本当に彼は依子が何も感じていないとでも思っているのだろうか。

 人の心の機微には聡い方の彼が? 本当に? 

 むしろ、依子の迷いや疑いに気付かないふりをして、この話を終わらせようとしているのではないか? そんな疑念すら抱くほどに、藤代の終わらせ方が簡潔すぎる。

 それに抗う意味もこめて、依子は静かに答えた。


「……そうですね。連絡を待ってる間、色んなことを考えました。事故とかの心配もしましたけど、それ以上に、谷口さんと二人きりでずっと一緒にいるんじゃないかってことも……」

  

 藤代が話題を昨晩のことに戻した今なら、依子の中でずっとくすぶっているものを吐き出せるかもしれない。

 言い終わった後に唇を一度しめらせて、依子は藤代をうかがうように見つめた。藤代は表情を変えないまま首を横に振る。


「ないない。谷口さんと二人きりなんて、考えもしないよ。確かにタクシーでは一緒だったけどね、かなり不本意だったから」

「……本当ですか?」

「本当だよ。だって立川とかすっごい遠いし、面倒くさいだけだって」

「でも……似てますよね」

「なにが?」

「一昨年、わたしも泥酔して藤代さんに送ってもらったことがありました」

「ああ、確かにね。でもあれとは全然違うよ」

「違わないです」


 言いきった依子の声音は、自分で思う以上に低かった。視界が知らずのうちに狭まり、藤代の目だけをとらえている。その藤代の目は一度左右に動き、再び依子を見据えた。その色にも変化が起こる。


「……急にどうしたの?」


 低い声で問われ、依子は藤代から視線をそらした。自分が煽ったのだが、目を合わせていられない。藤代を見ていたら、いつものように彼を受け入れる言葉しか発することができないだろうと思ったのだ。

 せっかく波紋を広げたのだから、言い切りたい。妙な使命感すら持って、依子はその先を続ける。


「藤代さんは、もし谷口さんからお礼に食事でも……って誘われたら、行くんですか?」


 世話になったお礼がしたいと谷口が思っても、何もおかしいことではない。一昨年の依子がそうだったように。

 依子の場合は、そう伝えたときに『じゃあ自販機でコーヒーでも買って』と言われ、その間二人でしゃべったことから距離が縮まって行った。

 けれど谷口の場合は違う。もともと藤代との接点がなかった依子とは違い、既にランチに行ったり飲みに行ったりする仲なのである。食事をお礼にすることを考えつく可能性は大いにある。


「行かないよ」


 藤代の答えはそっけない。


「……それとも依子は行って欲しいの?」

「もちろん、行って欲しくないです」


 でも……と依子は続ける。


「藤代さんが行きたいなら、行って良いと思ってます」

「何その言い方。依子は俺が谷口さんがデートしても気にしないってこと?」


 こんな時に『デート』という単語を使うのはずるい。依子はひるみそうになる自分をなんとか奮い立たせて、細い声で反論した。


「……そうじゃないです。そんなのは嫌です。でも……でも、そういう可能性だって、あるじゃないですか……」

「ないよ」

 

 藤代の声に怒気が混じる。頬に手をあてられ視線をあげると、藤代の目の色は声以上に怒りをあらわしていた。


「なんでそんなこと聞くの? 依子は、俺と谷口さんにどうなって欲しいの? ……俺が谷口さんに手を出すとでも思ってる?」


 沈黙は肯定となる。

 しばらく二人は見つめあっていたが、やがて藤代の視線から怒りが消え、代わりに諦めにも似た色が浮かぶようになった。

 藤代が深く息をつき、視線を一度外す。それを合図にぬくもりが遠ざかり、腕も引きぬかれた。


「そんなこと、しないよ」


 言いながら藤代は依子に背を向けた。

 拒否にも似た硬質の意思表示を受け、依子は自分の中で熱いものがこみあげてくるのを感じる。


 どうしてそこで背を向けるの。どうして、優しく包んだままでいてくれないの。心配することなんてないんだよと、安心させてくれないの。

 わきあがる思いの勢いは激しく、それは今まで抑え込んでいた感情だと気付いた時には声をあげていた。


「だってわからないじゃないですか!」


 ずっと心に引っかかっていることがあった。嫌われるのが嫌で表に出せず、言いだせず、少しずつたまっていたもの。もっと穏便に伝えるつもりだった。彼の負担にならないように、彼を傷つけないように。

 けれど、それはもう無理な話だ。

 依子は自分が震えているのに気付いた。怒りにも似た激情に突き動かされ、思うがままに言葉を続ける。


「ずっと……ずっと、藤代さんは彼女とわたしと天秤にかけてたじゃないですか。二人とも好きだって言ってたじゃないですか。だから、藤代さんが谷口さんと仲良くなっていくのをみて、いつかまた、かつてのわたしみたいに谷口さんと会うようになるんじゃないかって……」

「やめてよ」


 悲痛な声とともに、勢いよく藤代が身を起こした。布団がはねあがり、その勢いのまま藤代が依子をまたぎ、顔の横の両手をつく。押し倒されたような態勢になり、依子はそこで藤代と視線を合わせた。

 ああ、傷ついている、とすぐに感じた。

 表情としては怒っていたが、その目に深い悲しみが宿っているのを見つけてしまう。


「依子と付き合ってからずっと俺は一途だよ。他なんて見てないし、見たいとも思わない。谷口さんのことなんて、全然眼中にないよ」

「……谷口さんのことはそうだとしても、これから先また別の人があらわれるかもしれない……そう思わずにはいられないんです」

「そんなことしない!」


 叫ぶように告げ、藤代は覆いかぶさるようにして依子を抱きしめた。布団ごと圧迫されて苦しい。けれどその苦しさがそのまま藤代の心をあらわしていることはわかった。


「……いつになったら、信じてくれるの?」


 まるで泣いているような声の呟きを落とした後、藤代が一層強く依子をかき抱いた。

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