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その手をとれば  作者: ななのこ
第3章 芽吹きを目指す冬の道 【藤代編】
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「いや、それくらい言おうよ」


 依子の話を聞いて、悠季は呆れた顔で言った。


 次の週の金曜日。依子は仕事帰りに、悠季・伊藤・早田と四人で飲んでいた。誰が言いだしたわけでもないが、夏の納涼会以降は大体一カ月に一回のペースで集まっている。いつのまにか定例化しており、幹事もまるで当番制のようにまわっていた。


 この日の幹事は悠季で、彼女が予約してくれたのは新宿三丁目にある海鮮居酒屋だった。『板前が目の前でさばく店』という触れ込みの通り、店の中央に板場があり紺色の作務衣(さむえ)を着た料理人が魚をさばいたり、寿司を握ったりしている。そのまわりを取り囲むようにカウンター席があり、依子たちはそこから少し離れたテーブル席で飲んでいた。新宿にあり、しかも金曜日であるというのに、この店は時間無制限でいられるそうだ。だから、残業して一時間程遅れて合流した依子も、焦ることなく自分のペースで飲み進められている。


 伊藤との関係も変わらない。飲み会の席で藤代の話題になり、依子が悠季や早田から突っ込まれたりからかわれたりしていても、伊藤に変化はない。あまり表情を変えずに話に入り、時に的確な突っ込みをいれてくるという普段通りの姿だった。

 そこに含むものはなく、相変わらず伊藤の視線もまっすぐだった。そうやって接するうちに、そのうち依子は伊藤が自分に気があると感じたのは、完全なる勘違いだったのだと思うようになった。あの時伊藤を拒絶していたら、自意識過剰な痛い女になるところだったと、ほっと胸をなでおろしたものだ。


 そして毎回のように藤代の件を根ほり葉ほり聞かれるうちに、依子の方も段々気になることなどを話して三人から意見をもらうほどになっていた。

 

「『あんまり仲良くしすぎると、わたしヤキモチ焼いちゃいますよ~』くらい言っとけば良いじゃん。なんでそんな遠慮するの」


 心底不思議そうな悠季に対して、「だってさ…」と依子は呟く。


「藤代さんは仕事だから谷口さんに関わってるのに、そこを嫌だとか言われても困るでしょ。仕方ないことなんだし……」

「蓮見さん、物分かり良すぎですよ~」


 やけに明るい声で早田が突っ込みをいれる。困ったように笑いながら「そんなふうに相手に合わせてばっかりじゃ、浮気されちゃいますよ」と容赦ない言葉をかけてくる。


 ぐっとつまる依子を見てか見ないでか、伊藤が「おい」と低い声で早田を制する。その鬼気迫る重い声と、まるで燃え盛る炎のような怒気が宿る目線には、依子の方が身体をすくませるほどだ。

 対して、早田の方はその視線を受けても動じず、肩をすくませるのみだった。


「すみません蓮見さん。つい口がすべっちゃって。でも悠季さんの言うとおり、そういうことは伝えないとだめですよ。あーこの子平気なんだなって思われちゃいます」

「……うん、そうだよね」


 実は今日、飲みに行ってるんだよねと言うと、三方から驚きの声が上がった。

 悠季などは驚きのあまり、持っていたジョッキを力強くテーブルに置いたほどだ。そこまで驚く!? と依子の方がびっくりする。


「え!? まじで!? そんなことまで許しちゃったの!?」

「蓮見さん、やせ我慢しすぎ!」

「さすがにそれは嫌だと伝えても良かったんじゃ……」


 勢いのある反応に圧倒され、依子はいやいやと手を振った。


「二人きりじゃないよ。課長もいる」

「それでも三人でしょ!? 課長っておっさんなんでしょ!? やばいよ!!」

「こりゃ、帰り道お持ち帰りコースの危険が……」

「早田!」


 二度目の伊藤の怒声がとぶ。ひえ~と早田は首をすくめ、縮こまった。伊藤は「少し黙ってろ」と早田を一瞥し、依子に視線を向ける。ひどく心配そうな目をされて、依子はごくりと唾を飲み込んだ。


「……蓮見さん、少しも嫌がらなかったんですか?」


 おそるおそるといった問いかけに、依子は小さくうなづいた。


「今後のことじっくり相談したいっていうのと、お酒が入った方が本心も聞きやすいだろうからって言われて……」

「いわゆる飲みニケーションってやつですね」


 こりずに横入りする早田に、伊藤は視線も向けなかった。伊藤と早田の間に見えない壁が設置されたかのようである。代わりに悠季が「その言葉久しぶりに聞いたわ」と早田に反応を示していた。

 伊藤は心配そうな表情のままで、依子にいたわるような視線を向けている。


「俺も、もう少し蓮見さんは自分の気持ちを伝えても良いと思います。そうしないと、蓮見さん自身がつらいんじゃないですか?」

「……なんか、どこまで言っていいか分からなくて……」


 依子は溜息をついて、自嘲気味に笑う。


「ずっと藤代さんには求めないようにしてたから、向こうに合わせる癖がついちゃったのかも。思えば、自分の良い面しか見せてこなかったからね。今更負の部分を出したら、それこそ引かれそうで……」

「そんなことないです」


 伊藤は力強く請け合った。


「蓮見さんに本心を隠される方が、向こうは嫌だと思いますよ」

「……よっちゃん良いこと言う」

「ほんと。びっくりだわ」


 悠季と早田の言葉は聞き流すことにしたらしい。伊藤は依子から目をそらすことなく、「今からでも連絡してみたらどうですか?」と提案した。


「そうだよ! 終わったら電話したいなとか、会いたいなとかさ。きっと藤代も喜ぶよ」

「そうですそうです! まずは柔らかい感じで!」


 悠季と早田の言葉にも背中を押され、依子は携帯電話を取り出した。飲み会が終わって落ち着いたら、電話くださいと用件を入れて送る。きっと今はまだ宴もたけなわな頃だろうから、連絡がくるのは遅くなってからだろう。


 そう考えていた依子だったが、その日連絡はこなかった。



 


 


 カーテン越しに差し込む光に気付いて、依子は目を覚ました。三月に入り朝の冷え込みも大分ましになったが、それでも布団から出るまでにはしばしの時間を要する。もぞもぞと寝返りを打って携帯電話を確認すれば、ちかちかとメール着信を知らせるランプが灯っていた。


『件名:ごめん!

 本文:連絡遅くなってごめん! 谷口さんを家まで送ってる途中で電池がなくなって、今マンガ喫茶にいます。明日始発が出たら帰るよ。心配かけてごめん』


 送信時刻は三時だった。 

 二時頃まではまんじりと過ごしていたのを覚えているので、もう少し起きていられたらこのメールを受信してすぐに確認できたのに。そう思うと、眠ってしまった自分が恨めしい。

 

 藤代からの連絡を待つ間に、依子は様々な想像をした。

 その中にはこういうパターンも確かにあった。

 もし谷口が泥酔したとしたら、送るのは課長の西ではなく藤代になるだろうというのは分かっていた。谷口がどこに住んでいるかは知らないが、確か遠いようなことを聞いた気がする。タクシーだとしたら結構な長い時間乗らなくてはならないはずだ。

 

 藤代の言っていることが真実かどうかは判断できない。

 その時の事情が何も分からないからだ。

 

 それでも、他にも浮かんでいた様々な想像――藤代と谷口が二人きりで飲みなおしていたり、ホテルや藤代の部屋で過ごしていたり――に比べれば、格段に良い方だった。

 だからどうかそれを信じさせて欲しい。

 祈る思いで依子は開いたままのメール画面を凝視していた。

 

 





 その日の夕方、依子は藤代の部屋へと赴いた。珍しく会う予定のない土曜日だったのだが、来て欲しいと呼ばれたのだ。

 依子自身も、スッキリしない思いを抱えたままなのは嫌だったので、二つ返事で承諾した。マンションのオートロックを開けてもらい、玄関のドアをノックする。「あいてるよ」とくぐもった声がきこえたので、控えめにドアを開けると、両手を合わせた状態の藤代が目に飛び込んできた。


「ごめん! 連絡しなくて!」


 開口一番で土下座せんばかりの謝罪である。申し訳ないと何度も繰り返す藤代に、依子は唖然としながらも「いえ……」と答えた。靴をぬいであがると途端にバッグを持っていない方の手を握られる。


「ほんとにごめん。……怒ってる?」


 藤代は依子をうかがうように顔をのぞきこんだ。その目には憂いの色があり、彼は彼で色々と考えたのだろうと感じる。こういう顔をされると糾弾し辛いものがあった。何があったのか根ほり葉ほり聞いてやろうと意気込んできたはずなのに、完全に出鼻をくじかれてしまう。


「……怒っているというか……何があったのかなとは思ってます」

「もうほんと大変だったんだよ。谷口さんが酔い潰れて半分寝ちゃってる感じになったから、タクシーで立川の家まで送ってね」

「立川!? そっか、谷口さんて立川に住んでたんでしたっけ……」


 立川は、新宿から電車で四十分ほどのところにある。電車でそれくらいかかるのだから、車だと倍以上かかっただろう。深夜料金のタクシーでそれだけの距離を乗ったら、一体いくらかかるのか、想像するだに恐ろしい。そして同時に、それだけの長い間タクシーの中で二人きりだったのだという事実にも気付く。

 どこかで聞いた話だな、と依子は皮肉をこめて考える。おととしの夏に自分にしてくれたことを、藤代は谷口にしたのだ。依子は送ってもらった時のことはほとんど記憶に残っていないが、谷口はどうだったのだろう。そして、藤代は気づいているのだろうか。自分との関係は、そこから始まったことを。

 目を曇らせた依子には気付かずに、藤代は苦笑いを顔にのせて続けた。


「西さんがタクシー代くれてたから足りたけど、なかなか迫力ある金額だったよ。深夜のタクシーって怖いね。しかも谷口さん実家暮らしだから、親御さんにも挨拶しなきゃなんなかったし。なんかたくさん謝って疲れたわ~。それで、終電もなかったから漫画喫茶行って、ようやく携帯充電して……」


 大きな溜息をつきながら、藤代は依子を抱きしめた。急だなと思いはしたが、依子もバッグを下に落として、自由になった手を藤代の背中にまわした。


「ほんとごめんね。依子からのメール見てたんだけど、なかなか返信できなかったんだ。そしたらそのうちに電池もなくなって……」

「いえ……会社の人の前では、返信なんてできないと思いますし。……大変でしたね」


 飲み会の場で、藤代が依子に連絡を入れてくれるなんてことは期待していなかった。 

 依子と藤代の会社では、社内結婚の例は多いが、一応社内恋愛は禁止という不文律がある。黙認されている点も多いのだが、それでも当人同士は水面下で付き合うことを心がけなくてはならない。依子と藤代もそれに従い、いまだまわりには隠して付き合っている。

 だから、なかなか返信できないというのは分かる。

 分かるのだが……でも電池がきれる前に一報欲しかったと思ってしまうのは、仕方のないことだった。


「ありがと、依子」


 依子のそんな煮え切らない思いは、顔が見えない藤代には分からない。彼は依子がこの件を許したと思ったのか、嬉しそうな気配を漂わせはじめた。「お礼にキスをあげよう」と言われ、依子は目をむく。


 気になることがある。むしろ肝心なことを聞いてない。

 藤代は谷口のことをどう思ったのか、教えて欲しい。

 泥酔してしまった谷口の世話は、嫌だったのか、そうではなかったのか。

 どういう言葉で問いかければいいのか思いつかないが、それでも依子の中では話は終わっていない。


 まだ聞きたいことがあると言おうとした口は、上を向いてすぐにふさがれた。直後から顔中にキスが降り注ぐ。


「ちょ、藤代さん……待ってください……」

「うーん、もうちょっと……」


 依子の抗議の声は瞬く間に遮られ、何故かスイッチが入った藤代によって、リビングにたどりつく間もなく寝室へ連行されたのだった。

12/15 主に後半の依子の心情部分を、加筆しました。

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