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その手をとれば  作者: ななのこ
第3章 芽吹きを目指す冬の道 【藤代編】
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 その後穏やかに秋は過ぎ、季節はいつのまにか移ろっていた。初冬にあるお互いの誕生日とクリスマスを祝い、年が明けてバレンタインも過ぎれば、甘いイベントは終わったんだからいいでしょとばかりに、仕事が忙しくなった。

 毎年恒例のことで慣れてきているが、それでも身体はその都度疲れる。

 平日に余裕がないのはお互いわかっているので、気遣い合いながら依子と藤代は日々を過ごしていた。それでも毎日の連絡は欠かさないあたり、藤代はマメなのだなと改めて感じる。


 当初、藤代が毎日連絡してきたり、毎週末会おうとするのは、彼なりに気を遣っているからなのだと思っていた。『二番目』から『一番目』に昇格した依子が気に病まないように、もしくは彼自身が前の彼女を思いださないようにしたかったのだと。

 けれど二カ月を過ぎた頃から、段々と『これが彼の付き合い方なのでは…』と思うようになった。

 そして、付き合い始めて半年が過ぎた今、それは確信に変わっている。

 最初に感じた『寂しがり屋なのかも』という印象は、その通りだったというわけだ。


 ぼんやりと藤代のことを考えていた依子は、鍋がふきこぼれたのを合図に我にかえった。あわてて火を弱めて、蓋をあけて蒸気を逃がす。煮えたぎった鍋の中で、いちょう切りにされた大根が踊っていた。手元には混ぜている途中のハンバーグのタネがある。考え事をすると本当によく手が止まるなぁと自分に苦笑して、今度はそれを混ぜあわせることに集中した。


 依子は今、藤代の部屋で夕食を作っている。

 この半年の間でいつの間にか始まったのは、金曜日の夜の夕食作りだ。割と早い段階で藤代は依子に合鍵をくれた。その時にぽつりと言ったのだ。


『そっちが早くあがった日とか、先に帰って待っててくれてもいいよ。ごはん付きだと嬉しいな~』


 それを聞いて、じゃあ金曜日は作って待つことにしようと依子も思った。外食して帰るのも良いが、自炊した方が栄養面に気を配れる。なにせ藤代はエンゲル係数がとても高く、かなり偏った食生活をしていたのだ。平日の夕食を、コンビニ弁当か牛丼かラーメンでまわしていると聞いたときは、卒倒するかと思った。

 帰り際にスーパーで買い出しをして、合鍵を使って藤代の部屋に入り、キッチンを我がもののように使うことにも今では慣れている。キッチンに関しては、むしろ家主以上に使いこなしている自信さえある。


 二十一時を半分以上過ぎたところで、藤代が帰ってきた。ドアが開いたのを合図に依子が玄関まで迎えに行くと、藤代は嬉しそうに顔をほころばせる。


「ただいま~。良いにおいが廊下までしてたよ。今日何?」

「煮込みハンバーグです」

「うわー、それすごい楽しみ!」


 依子の料理を藤代は本当に喜んだ。ほとんど自分で料理をしていないと言っていたので、手料理を食べるのは久しぶりだったようだ。

 カレーやオムライスなど、依子の作る料理は一般的なものばかりだが、どれも美味しいとかきこむように食べてくれる。張り合いがあるので依子も頑張って作っている。金曜日はできるだけ早くあがれるように、昼休憩を少し早目に切り上げるほどだ。


 本日のメインは、トマトソースで煮込んだハンバーグである。付け合わせとしてグリーンサラダをそえ、汁物には大根の味噌汁。和洋折衷な食卓になってしまったが、藤代は気にする様子もなかった。手早くスウェットに着替えてきた藤代は、目を輝かせて早く食べようと依子を促す。

 手早く缶ビールで乾杯してから、食事は始まった。


「いやー、やっと今週も終わったね」

「なかなか今年も忙しくなってきましたね」

「そうだね。相変わらずこの繁忙期、きっついよなぁ。しかも去年よりどっと疲れるんだけど…」


 藤代が言い含むことに気付き、依子は苦笑してうなづく。

 現在藤代が毎日忙しいのは、自分の仕事が多いからだけではない。仕事外の部分で大きなストレスがかかってきているのだ。

 それは、彼が教育係をしている谷口にかかわる問題だった。


 谷口は、春に比べれば営業活動に精を出すようになり、徐々にだが受注も取るようになってきた。まだ他の支社にいる新卒営業と比べれば数字は小さいが、彼女にとっては大きな変化である。


 その成長は、藤代をはじめとした同じ課の営業の努力によって下支えされたものだった。

 毎日誰かしらの先輩営業と同行させ営業活動の内実を見せたり、その現場で得たことをまとめさせたり、ことあるごとにランチミーティングを行って彼女の考えを聞いたり……。はたから見て、それはもう細やかに彼女をサポートしているのが分かった。

 そしてその中心には藤代がいて、色々なことに骨を折ってきたのを依子も知っている。


 ただ、ここまでくる過程でひとつの弊害があった。

 谷口一人を特別扱いしていると、課内に二人いる営業事務からクレームがついたのだ。

『私たちも同じ課の一員なのに、営業は皆谷口ばかりかまっている』というのが彼女たちの言い分らしい。直接的に言ってはいないようだが、給湯室でそんな話をしているのを依子も聞いてしまったことがある。


 谷口のそばにいつも誰かしらの営業がいることや、ちょくちょくランチに連れだされているのを見て、少しずつ嫉妬心がわき出てしまったようだ。

 初めて藤代が谷口をランチに誘った時は笑って送り出していた営業事務も、今ではむっつりして挨拶もしない。たとえ藤代が「一緒にどう?」と誘っても「行きません」とにべもないので、彼も途方に暮れていた。

 

 そして営業事務の矛先は、谷口に向かっている。彼女が書類作成を依頼しても、返事はそっけないわ、出来は悪いわ(藤代曰く)で、段々と彼女も委縮するようになっているということだ。

 そんな課内の雰囲気が、良いわけがない。

 それは離れている依子からも感じ取れてしまうほどだった。

 藤代もただでさえ仕事が忙しいのに、そんなところにまで気を回さないといけないのがかわいそうで仕方ない。

 

「ほんと、こんなんで三月大丈夫かなぁ」


 大きく息をついて、藤代はビールを飲み干した。冷蔵庫から取り出して二本目を渡すと、彼は礼を言って弱々しく微笑んだ。


「谷口さんはどうですか?」

「うーん、まあまいってるみたいよ。何せ彼女たちに頼まないと書類も作れないしね。別に自分で作っちゃえばいいのかもしれないけど、そうすると完全に関係が修復できなくなるからなぁ」

「そうですね……」

「うちの課に依子がいてくれたら良いのになぁ」


 この半年の間でもう一つ変わったのは、藤代の依子の呼び方である。その時から、依子も藤代から下の名前で呼んで欲しいと言われているが、それはまだ移行できずにいる。恥ずかしい気持ちがあるのと、会社でうっかりその呼び方をするのが怖いからである。

 やれやれとプルトップをあけてビールを流し込む藤代に、依子は微笑んで見せた。


「いつでも行きますよ。人事にかけあってください」

「ほんと、かけあいたいくらいだよ。あの子たちいっつも怒ってるから俺たちもやりづらいし。なんで仕事に私情をはさむんだろ。……女の嫉妬ってこわいよね」

「やっぱり、誰しもちやほやされたいっていうか、自分を見て欲しいっていうのはありますからね」


 仕事は恋愛とは違う。誰かを手に入れたいと思うような関係性でもない。それでも、今まで自分たちをかまってくれていた営業の目が違う子に向けられれば、嫉妬するのは仕方のないことだろう。しかもそれが若くてかわいい女の子なのだから尚更だ。


 現に依子だって、谷口には嫉妬しているのだ。

 藤代が谷口の心配をするたびに、依子の心はしめつけられている。藤代に対して、谷口はずっと固く閉じられた貝のように心を閉じていた。けれど最近になって色々なことを相談するようになったそうだ。

 そうなってくると、いつ彼が谷口に手をさしのべるとも限らない。そして、依子と並行して谷口とも会うようになったら……。悪寒すら感じる想像を打ち消して、依子はハンバーグを口に含んだ。


「……依子もそんなふうに思うの?」

「何がですか?」

「谷口さんにヤキモチやくの? ってこと」


 藤代からのさぐりに、依子は苦笑してみせる。


「……いや、仕事だって分かってるから大丈夫です。藤代さんが谷口さんのために頑張ってることも知ってますし……」


 胸をはるようにして依子が言いきると、藤代は口をとがらせた。そうなの~?と不満げに呟き、「依子ならいいのにな~」なんてのんきな顔で言う。


 本当はずっと嫉妬しているなんて、藤代には言えない。

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