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その手をとれば  作者: ななのこ
第2章 伸るか反るかの夏の道 【藤代編】
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ここから『藤代編』となります。

 六月後半の某日。依子はデータ入力していた手を休めて、大きく伸びをした。立ち上がってストレッチしながらそっと隣の課に視線を向けると、小柄な背中が目に入る。朝から同じ姿勢でずっとパソコンに向かっているのは、藤代が教育担当をしてる新卒の女の子だ。名前を谷口と言う。

 

 まだいる……。

 ストレッチをそう長く続けるわけにもいかない。適当なところで切り上げて、依子はパソコン作業に戻った。

 現在午前十一時をまわったところ。彼女は今日の午前中は外出しないようだ。誰かに電話をかけていた様子もなかったから、テレアポもしていないということになる。一体午前中は何をしていたのだろう。

 藤代の課も依子の課も、谷口以外の営業は皆朝から外回りをしている。彼女は営業職として配属されたものの、このように外出せず社内にいることが多い。新人営業の仕事は主に新規開拓であり、その方法としては外回りやテレアポが主である。そのどちらもしていなく、まだ担当も持っていない彼女は、依子にとって謎の存在だった。

 

 まさか、と依子は何気なく窓際に寄る。朝は小雨だったが、今は本格的な雨が地面をたたきつけている。今年の梅雨は雨量が多く、連日こんな天気だった。

 もう一度、パソコンに向かう谷口をこっそり見やる。

 まさか雨が降ってるから外に行かない……ってわけじゃないよね。

 そんなわけないと思いながらも、そうかもしれないと心のどこかで感じている。

 そう思ってしまうほど、彼女から仕事へのモチベーションは感じられなかった。




 そして、その彼女のせいで、最近の藤代は荒れている。


「もーーーー! なんなの、彼女。なんで会社から出ないの!?」


 藤代は叫ぶように言って、テーブルにつっぷしてしまった。

 本日は水曜日で普段なら藤代と会うことはないのだが、よほどストレスがたまっているのだろう。お願い、話聞いて!と藤代からの呼び出しがあった。

 平吉につくなりビールを浴びるように飲む藤代は、今まで見たことがないくらいの勢いがあった。


「今日の日報はどうだったんですか?」


 苦笑しながら依子がきくと、藤代は口をとがらせた。


「……テレアポ十件。他は資料整理と会社調査だって。資料整理って何、会社調査って何!? そんなの指示してないんですけど!」


 配属されてすぐは、谷口もよく外出していた。正確には、藤代や他の先輩営業が同行しながらだが。一か月ほどたって、一人で外出するようにとお達しがあってから、彼女はぱたりと営業活動に精を出さなくなってしまったのだ。

 

「……やっぱ俺が同行するしかないかなぁ」


 溜息とともに藤代が呟く。彼は教育担当として、谷口を一人前の営業にする義務を負っている。依子から見て、藤代の教え方はわかりやすいと思う。事実、谷口も教えられたことはすぐにできるようになるというのだ。だから今も、営業の手順は身に着いていると藤代も言っている。

 しかし、それをやろうとしない。


「彼女、営業やりたくないのかな」

「……そうですね。そう見えます」

「新人のうちから異動願とか出しても意味ないしなぁ。しばらくは頑張ってもらうしかないんだけど……。ねぇ、蓮見。蓮見の仕事のやる気が上がるのってどういう時?」


 藤代の問いに依子は会社での自分を思い返す。日々パソコンに向かうルーチンワークの中で励みになるもの。それはすぐに思い当たった。


「そうですね……、わたしは自分の作った資料や書類が営業さんに感謝された時とかわかりやすいと褒められた時とか、嬉しくてまた頑張ろうと思えます。営業の仕事とは勝手が違うので、参考になるかは分かりませんが……」

「そんなことないよ。褒められることとか認められることって、どの職種でもやっぱり共通の飴だからね。谷口さんのことも褒めて伸ばせたらいいんだけど……。そもそも営業活動してないから、褒めるとこないよ。蓮見、こういうときってどこを褒めたらいいの?」

「えーっ、それはかなり無理難題です!」

「だよねぇ」


 藤代は三分の一程残っていたビールをあおった。ペースが速いので、顔が真っ赤だ。

 対して依子はまだ一杯目のウーロンハイが半分残っている。

 それをゆっくり飲みながら、依子も谷口のことを考える。依子は営業をしたことがないし、したいと思ったこともない。もしそのような気持ちで入社して営業として配属されたら、なかなか営業という仕事に喜びややりがいを見いだせないものなのかもしれない。でも、そもそも営業職を希望して入社試験を受けているはずだ。そんな谷口の気持ちは、依子には想像もつかなかった。


「藤代さん、一度谷口さんと話し合ってみたらどうですか?」


 依子の言葉に、藤代は「面談ってこと?」とたずねる。


「面談って言うと少し堅苦しいですから、ちょっとランチに誘ってみるとか。社内では話しづらいこともあるかもしれませんし。どうして営業活動のモチベーションが上がらないのか、聞いてみたらどうでしょうか」

「うーん……」

「谷口さんがどうして営業に乗り気になれないのか、どう考えているのかを知った方が良い気がします。何か対策を講じるにも、まずは相手のことを知らないと……」

「そうだね。敵を知らねば、戦は起こせぬっていうもんね」


 いきなり物騒なたとえになったが、藤代は自分の言ったことに満足したのか何度もうなずいている。今度誘って色々聞いてみるよと藤代は微笑んだ。


「ありがと蓮見。参考になった」

「いえ、大したことは言えてないですけど……良かったです」


 依子は、藤代の仕事をしている姿が好きだった。楽しそうに課員と冗談をかわす姿も、電話で取引先と真面目に打ち合わせをする姿も、見ていると自分の気持ちが明るくなるのだ。それが最近は、谷口の教育に悩んでいるのか元気がなかったので、心配していた。

 この件が早く落ち着くと良いと心底思う。

 こうして依子の前で管を巻く藤代はかわいいと感じるが、やっぱり彼には健全な状態でいて欲しい。


 何となくでも谷口への関わり方が定まったことで、藤代の状態は落ち着いた。そこからは普段通りのペースで酒をすすめ、週の中日ということもあって二人は早めに平吉を出た。

 雨はまだ降り続いている。地面にはいくつもの水たまりができていた。

 ビニール傘をさした藤代が依子を見る。いたずらを思いついた子どものような表情は、いつかも見たことのあるものだ。


「お招きしましょうか?」


 それに依子は微笑んだ。


「結構です」


 そう言いながら自分の傘をさす依子に藤代も微笑む。季節が移り変わっても、藤代と依子の関係は変わらない。その事実は依子の胸に小さな棘となって刺さったが、似たようなことがありすぎた心は鈍感になっていた。




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