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 しばらくボーッと佇んでいる俺の背中に誰かの肩がぶつかる。

 帰宅ラッシュの時間帯なのか、人混みに揉みくちゃにされる。

 俺はそんな大群に抵抗する意思を見せずに、ただただ人の波に呑まれ流されていった。

 気がついた時には駅から外れた小さな通り。バス停が並ぶこじんまりとした広場に辿り着いた。

 しかし、やはり時間が時間なだけにバス停には多数の列が連なり、俺はそこでもまるで満員電車の中にいるような状態で押されて更に遠くの通りに進んでいった。

 背後で生暖かい風が吹き抜ける。

 線路に背を向けた状態の俺はガタンゴトンと電車が揺れる音をなんとなく聞き流しながら目の前のバス停を呆然と見つめていた。

 停車して人が乗り込んで、出発してまた新たなバスがやってきて。

 そんな無限に続くループを見ながら、俺は無気力に歩き出す。

 すると、バスはまたエンジン音を立てながら俺を追い越して前方を走っていった。

 知ってる場所を探そうにも顔を上げる力が入らない。

 どこか見慣れた風景の筈なのに、自分だけ場違いのような気がしてくる。

 店の配置は記憶通りなのに店名は違っていて、まるで天然の迷路に迷い込んだようだ。

 前方を誰かが歩いていく。


「あ、おいっ!」


 俺は知っている誰かの背中を見かけたような気がして声をかけた。


「えっ?」

「あっ……。すみません。知り合いだと思って」


 けれども、声をかけた人物は近くに寄ると全くの別人で、俺は丁寧に頭を下げるとその場を離れた。

 また、当ても無しに歩を進める。

 それでも俺の足はどこへ行けばいいのか分かっているようで、俺は誰も寄り付かない小さな公園まで歩いていくと、そこのベンチに腰を降ろした。

 ギーコギーコと幼児用のブランコが風によって揺れる。

 シーソーも片側に倒れ、滑り台には滑った後を示す砂が溜まっている。

 俺はそんな遊具に目を向けながら、宙を見上げると、さっきの話を頭の中で整理することにした。


「俺が物語の中の登場人物ってどうゆうことだよ」


 まずは急に突きつけられた疑問。

 俺がもし物語の登場人物ならなんでここにいるのだろうか。

 それにどうやって俺を連れ出したんだろうか。

 考えれば考えるほど、思考が絡まり、空回る。

 仮にそうだと想定しても訳が分からない。


 何故俺なのか。

 どうしてここなのか。

 この世界は何なのか。


 疑問をあげだしたら切りが無くて、俺は自分の髪の毛を掻き毟る。


 ウソだ。

 ただの壮大なドッキリだ。


 でも……


「そうしたら言い訳がつかないんだよな」


 あの本にも。この奇妙な世界にも。

 そして今俺がいる、というこの事実にも。

 それに……


「ウソついてるようには……見えなかったよな……」


 自分がこの説明のしようがない世界に来て初めて出会った人物。

 工藤ナナ、という女性の一言一言には有無を言わせない浸透性、というか絶対の信頼性が感じられた。


「それにあの目……」


 どこにでもありそうな茶色の瞳。

 でもその目からは一切の曇りというか嘘を感じなかった。

 確かに怯えや戸惑いは感じられたがしかし、その虹彩はどこか真っ直ぐで綺麗で。


「ナナみたい……だったよな……」


 まるでナナが乗り移ったかのように見えたのだ。

 全くの別人なのに、だ。

 もし小島ナナが綺麗系の天使のような女性なら、工藤ナナは可愛い系の小動物を彷彿させる女性だろう。

 俺はそんなことを考えながら足元を見ると、大分日は落ちてきていて、足の影が見えなくなってきていた。

 何かを考える度に思考がズレる。

 俺の悪い癖だ。


「スー、ハー」


 冷静さを取り戻す為に深呼吸をする。

 それを二、三回繰り返した俺は一旦思考をクリアにすると、また最初から考え直すことにした。


「とりあえず俺はこの世界の人間じゃない……んだろうな。多分」


 確証も無ければ証拠も無い。

 でも名前の違う店や駅を実際に目の当たりにして俺は、徐々にだが、そう思うようになってきた。

 もちろん、信じるつもりはサラサラないが。だけど、今はそうだと仮定しておいた方が少なくともこの状況には説明がつく。

 だから俺は一旦このことに区切りをつけると、次の疑問に取り掛かった。


「じゃあ、なんで俺はここにいるんだ?それにここはどこなんだ?」


 二つの疑問は俺だけでは解決できないだろう。

 おそらくだが、工藤ナナが答えを知っている気がする。

 もしかしたら俺がこの世界に来た理由も知っているかもしれないし、実際一番最初に会った人物だ。

 きっとそうだ、と無理矢理自分を納得させると、俺は公園に建てられた時計に目を向けた。

 もうかれこれ一時間はここに座っていたらしい。

 俺はゆっくりと立ち上がると、次の行動を決める為にスッと立ち上がった。

 俺の身に何が起きたのか今すぐ知りたい。

 ならばやることは一つ。


「工藤ナナのところに行こう」


 俺はこの見知らぬ世界に来た理由を知る為にまずは彼女の下へ向かうことにした。


「じゃあまずは駅に行こう」


 呟くと同時に足をあげる。

 目指すは小田急線。

 俺はすっかり暗くなってきた公園を抜けて歩道に進むと、街灯に照らされながら夜の駅まで向かっていった。



 *******



 4



 オレンジ色のライトがタクシー待ちの人々を照らし出している。

 遠くの信号機が赤から青に変わる瞬間と同時に、轟音をたてたバイクが通り去っていく。

 現在、七時を少し過ぎたところ。

 第二の帰宅ラッシュに直面した俺は、また人の波にたらい回しにされながらなんとか駅前に自分の場所を確保していた。


「駅まで着いたことだし、工藤ナナの家に……って、あ・・・」


 しかし、道端の草木のように立っていた俺は重大なことを忘れていたのだ。


「あの人の家ってどこだっけ?」


 そう。自分が辿ってきた道順を。

 勢い余ってここまで来たものの、そういえば走るのに夢中で彼女の名前しか知らないことに気づいた俺は自分の失態と詳細を聞かなかったことに対する失念に板挟みにされ、途方に暮れていた。


「せっかくここまで来たのに帰る方法が分からないんじゃ元も子もねぇじゃん」


 頭を抱えながら俺は近くの柱に寄りかかり腰を落とす。

 いくら今の状況に混乱していたとはいえ、あの時自分がしっかりしていればこんなことにはならなかったのだ。


「ハア〜」


 溜息とともに自分の無神経な行動を悔やむ。

 あの時マンションの場所を把握しておけば。

 何階の何号室に住んでいるか知っていれば。

 冷静になってちゃんと尋ねておけば。

 言いようのない後悔と共鳴するかのように溜息がこぼれた。

 自分の無鉄砲さに呆れる。

 前の世界にいた時はこんなことは無かったのに。

 そう。前の世界にいた時は迷いなんて無くって、決めたことはすぐに実行して、で、良くも悪くも結果もちゃんとついてきて。

 まるでこの後何が起きるか分かっているかのように俺の行動は真っ直ぐで。

 それはまるで……


「登場人物みたいだよな」


 筋書きをなぞっていく登場人物のようで。

 俺は自分の後頭部を掻きながら駅から離れていく人混みを見つめた。

 通学路で何度も見た光景なのにどこか別世界の絵画を見ているようで俺は胸が苦しくなった。

 なんだか自分がいてはいけないような気がして。

 これから何をしようにも悪い結果に転がりそうで。

 前の世界ではなんとなく見えていた未来がここでは全く見当たらない。

 自信を持って決めていた決断が今では信じられない。

 俺はどこかやるせない気分になって胸をかきむしった。

 俯いて足元を覗く。

 そこにはいつの間にか出来ていた染みが俺の両足の間に広がっていた。


「クソ……」


 どうやら俺は泣いているらしい。

 全く。情けない。

 プロポーズの途中で無理矢理この世界に連れて来られ、考えもなしに走り回って、自分がこの世界の人間でないことをまじまじと見せつけられて。

 泣きたくもなるだろう。

 だって俺は空想なんだから。

 物語の登場人物なんだから。

 認めたくない自分と受け入れてしまった自分が心の中で争っている。

 そして頭の中ではまだこの状況を信じ切れていない自分がいて。

 でも、今は状況を認めることで感情に流されるほうがいいって身体が分かっていて俺は口を抑えてすすり泣いた。


 涙脆い?

 メンタルが弱い?

 男のくせに泣いてる?


「ちくしょう!!!」


 じゃあ、一度経験してみろってんだ。

 未練もあって、やり残した事がたくさんあって、充実していた世界を取り上げられた自分が、見ず知らずの世界で、知ってる奴が誰もいない世界で孤独感に晒されながら一人馬鹿みたいに走り回って。

 知ってる駅も店も何一つないこんな世界に俺の家や俺の友達の家なんてないに決まってる。

 だって。だって。


「全部前の世界と同じなんだぜ」


 店の並び。公衆電話の位置。

 一度も気にしたことがない電柱でさえ前の世界と同じように寸分の狂いすらなく建てられている。

 きっと俺の家にも誰か別の家族が住んでいるのだろう。

 この駅や店と同じように。

 俺は虚ろな瞳で世界を見つめながらフラフラと立ち上がると、どこかの浮浪者のように足取り重く歩き始めた。

 落胆した気持ちが戻ってこない。

 どこに行くかもわからない。


「じゃあ、またね!!」


 そう遠くない場所から誰かの声が聞こえてくる。

 真面目で律儀で迷いのない澄んだ声色だ。

 きっとその別れを告げたその人には俺とは違って迷いなどないだろう。

 なんとなくそう感じる。

 俺はなんとなしに声が聞こえてきた方向に目線を向けると、俺は衝撃のあまり目を見開いた。


























 茶髪のセミロングに白いカチューシャ。整った顔のパーツにほんの僅かに切れ長の茶色の瞳。


「ナナ……」


 そこにはこの世界にはいないはずの、十年間もの間見つめ続けてきた腐れ縁の、幼馴染の、そして俺がプロポーズをしようと心に決めていた小島ナナの姿があった。

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