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 俺は何のために生まれてきたんだろう。

 その答えを俺はなんとなく知っていた。

 引き立て役、ライバル、かませ犬。あげればキリがないような気がするが要するに、俺はナナが成長するために生まれてきた登場人物で、告白して振られて、ナナがレンやらリングボーイの男の子と最終的に結ばれるように作り出された存在なのだ。

 そして定められた運命を全うするのが俺の本来の役割なのだろう。


「それであなたはどうするの?」

「もしよかったらこのままこちらの世界にいませんか?」


 だけど、桐崎さんに聞かされた本当の物語の顛末や、工藤さんに告白されたおかげでナナに告白をしない、という選択肢を意識させられた。

 そんな可能性を提示されたおかげで、もし与えられた役割以外のことをしてみたら、という今までに考えもしなかったものに目を向けられるようになった。

 普通なら喜ばしいことだ。この恋心が無駄だったと知ることが出来たおかげで振られるリスクを回避して告白をしなくても良くなる。

 俺も傷つかないし、ナナに余計な気遣いをさせなくて済む。

 絶対に結ばれない運命なのだから潔く身を引いて、このナナに対する想いもひけらかすことなく内に留めておけばナナとずっと友達でいれるかもしれない。

 諦めたらいいんだ、諦めたら。

 ……。だけど。


 俺からナナが好きという感情を抜き取ったら、果たして何が残るんだろうか。


 俺の返事を静かに待つ工藤さんの顔を見る。

 こちらの様子を窺う眼差し。顔の作りは全く似ていないがその表情や雰囲気がどことなくナナに似ている。

 こんなに綺麗な人に告白されたのにそれでも俺は懲りずにナナのことを考えている。


 これは重症だ。

 目の前のこの女性に告白されたというのに他の女性のことを考えているなんて、俺はなんて罰当たりな男なんだろう。

 自分のことを皮肉る間にも頭はナナの事でいっぱいだった。

 じゃあナナはどうだろうか。

 もし俺がこのままナナに告白したらナナも同じようにレンのことについて考えるのだろうか。

 そんなこと告白しなければ分からないじゃないか、という問いかけは結末を知っている俺には通用しない。

 俺がナナのことしか考えられないように、ナナもレンのことだけ考えて、工藤さんは俺のことを考えて。

 どうしてこういう気持ちは大体一方通行なのだろうか。


「もし私とキスしてくれたら教えますよ、元の世界に帰る方法を」


 そんなことを考えていたから俺は工藤さんの提案に即答することが出来なかったのかもしれない。


 ここでナナに会うために割り切ってキスをするのか?

 でもキスをそんな軽く扱ってしまっては工藤さんに対しても失礼になるし、そもそもナナを好きでいる資格など無くなるのではないだろうか?


 その時ガサリとプラスチック袋に入っていた駄菓子が音を立てた。それは俺の世界にはないもので俺がこの世界の住人ではない証拠でもあった。


「工藤さん」


 だから俺は答える。


「俺は元の世界に帰りたいです」


 本当はこの世界に留まっていたい。結末を先延ばしにしたい。


「絶対に振られるって分かっていてもですか?」

「はい」


 逃げ出したい。けれどもこの想いをナナに打ち明けなければこの物語(きもち)が収まらないことを俺は知っていた。


「でも初版本も改訂版も読みましたよね?星川さんには1パーセントもチャンスはないんですよ?」


 少しだけ期待していたのだろうか?それとも諦めが悪い俺に対して怒りを覚えているのだろうか?どちらにせよ少し不機嫌そうな顔で工藤さんは俺に確認を取った。


「それでもです。この気持ちに蹴りをつけられるのならキスだってなんだってします」


 けれど俺の気持ちは揺るがない。工藤さんが俺の目を真っ直ぐに見つめてくる。そしてそんな工藤さんを俺は強い意志を持って見つめ返した。


「……分かりました」


 工藤さんが渋々引き下がる。しかししばらく何かを考えた後、不安そうな目をこちらに向けて俺に聞いた。


「じゃあ、もし。もし星川さんがナナさんに振られたらもう一度こちらの世界に呼んでもいいですか?」

「それは……」


 いくら結末が分かっているとはいえそんな聞き方はないんじゃないだろうか?


 そんな言葉が喉まで出かかって俺は自分が告白した後のことを全く考えていないことに気づいた。

 正確には告白が成功するかしないかもその先の未来も全く想像出来ない自分がいることに気づいたのだ。

 まるで告白をした後の小説内で自分の出番(・・・・・)がないことを示すかのように。


 出番がないということ。それはつまり俺の存在価値や存在意義がなくなることと同意義であり、本当の意味で小説の世界の俺はいなくなる、ということなんだろう。

 けどこのまま俺が小説の世界に戻らず、この現実の世界にとどまり続けたら小説は終わらず、同時にナナの将来は無くなってしまう。

 それは俺がナナの未来を奪うのと何ら変わらないんじゃないだろうか?


 工藤さんと俺の間に沈黙が流れる。


 告白が終わった後にこの世界に戻ってきたらナナの話は進むのだろうか?それとも俺が出てきたことで止まってしまうのだろうか?そもそもそんなことをして許されるのだろうか?

 わからない。俺には何が正解で自分が何をすべきなのかが分からなかった。


 ただ分かること。それは工藤さんが俺の答えを待っていること。そして俺は誰よりもナナが好きだということだけだった。ならばやることはただ一つ。


 俺はずるいと知りながらも工藤さんの質問には答えずに彼女にゆっくりと近づいた。そのまま手を彼女の肩の上に置く。

 ゆっくり呼吸を整えて目を閉じる。

 瞼の裏にナナを思い浮かべながら俺は心を決めて工藤さんの唇に自分の唇を重ねた。






















 ……つもりだった。しかし唇が触れるまさにその瞬間。俺は突然真っ白な光に包まれたかと思うと、視界が反転して周りの景色が回転しだした。

 何かに吸い取られていく、不思議な感覚。

 消える瞬間の最後に見たのは悲しげな顔をしてこちらを見つめる工藤さんの姿だった。



 *******



 閑話8



 工藤ナナが目を開くとそこには誰もいなかった。床には【しんごうき】というタイトルの読みかけの小説がバサっと転がっている。

 ナナが偶然見つけたおまじないによって幻の初版本から抜け出した星川リュウセイ。そんな彼が先ほどまでいた空間を見つめながらナナは空気が抜けた風船のようにへたりと座り込んだ。


「行っちゃった」


 夢、だったのかと錯覚するくらいに跡形もなく消えたリュウセイに想いを寄せてナナはうずくまる。

 自分はなんて卑怯なのだろうか。好きな人の恋を応援出来ずに自分の気持ちを打ち明けて、挙句の果てには彼の恋が終わった後に自分のところに来ないか、と提案さえしてしまった。

 罪悪感に包まれながら背中を丸めて俯くナナ。

 おまけに普通に元の世界に返せば良いものをキスを交換条件にまでして彼をこの世界に留めようとしてしまった。

 恥ずかしさに顔を覆い隠す。

 けれど星川リュウセイは自分に靡かなかった。あくまで元の世界に帰りたいから、小島ナナに気持ちを伝えたいからと割り切ってキスをしようとした。

 所詮、自分に彼の心の中に入り込む余地などなかったのかもしれない。

 気づいたらナナの目からは涙が溢れていた。

 涙を抑え込もうと手のひらで押し戻すが、目が腫れるばかりで何の意味もなかった。

 ポロリポロリと手のひらをこぼれ落ちて頬を濡らす。

 ファンデーションもチークもぐちゃぐちゃに混ざりあって自分の心の内の悲しみのような色に変わった。


「ナナちゃん」


 いつまでそうして泣いていたのかわからないが、ナナの背後からノゾミが声をかけた。


「ごめんなさい、電話しても出ないし心配で様子を見にきたらドアが開いてたから……」


 ナナの状態に気づいたノゾミは背後からそっと近づくとそのまま何も言わずにくっつくように抱きついた。


「ノゾミちゃん、私、フラれちゃった」

「……そう。辛かったわね」


 ゆっくりとナナの頭を撫でるノゾミ。


「彼は帰るという選択肢を選んだのね」


 そして床に落ちた自身の本を一瞬チラリと見てそう判断した。そのまま泣きじゃくるナナに寄り添いながら次の言葉を探していると更に背後から声がかけられた。


「お邪魔します」

「何しに来たの、ルイ。邪魔よ」


 その声が自分の担当である平野ルイだと認識したノゾミはこの間の悪い男を口で制した。


「ですが、このままだと話に入れなさそうで」


 だが全く悪びれる様子もなくただあっけらかんとしているこの男に気分を害されたノゾミはガルルと威嚇しながら彼を睨みつけていると、ナナがこのしんみりした空気の緊張が切れたからか吹っ切れたように笑い出した。


「私、平野さんにしようかな」

「どうしたのナナちゃん、気が狂ったの?こんなむさ苦しいヒグマのような男にしなくたってちゃんとナナちゃんはモテるわ!しっかりして!」

「ナナさん、僕でよければぜひ」

「あんたは黙ってて!」


 良くも悪くもルイが乱入したからかナナの表情が緩んだのを確認したノゾミは、その後も冗談を続けようとするルイをことごとく阻止しながらも泣き顔でメイクが崩れたナナを洗面台にまで連れていった。


「ナナちゃん、とりあえずメイク直して」


 ノゾミに言われるがままにメイク落としを始めて次のメイクの下準備を始めるナナ。すると興味津々のルイがドアの陰からひょこっと顔を半分だけ出しながら告げた。


「紳士であるこの平野めが何かお手伝いいたしましょうか?」

「はい、ジェントルマンは来ないでください」


 ドアを閉めてルイを追い出しながらノゾミはナナになんて声をかけるか考えていた。しかし、何も思いつかずに待っているとナナの準備が終わった。


「後はドレッサーのところでやる」

「そうね、行きましょう」


 ひとまずフラれたことを引きずってはいない様子のナナを見てノゾミはホッと胸を撫で下ろした。









 ナナのメイクを一通り見終わった頃、ずっとチラチラと転がった初版本を盗み見ていたルイは我慢の限界とばかりに口を開いた。


「ところでお二人さん」

「何よ」

「どうなったか気になりませんか?ほら、星川さんが戻った後の物語がどうなったか、とか」


 ルイの空気を読まない発言にノゾミがあなた、バカじゃないの?とルイの耳を引っ張る。そのまま部屋の隅に連行すると小声で彼を叱り出した。


「もちろん気になるけれど、私の大親友がフラれて泣いてたのにそっちを無視して調べるわけにはいかないでしょ?」

「いや、でもそれを差し置いても普通に考えたら星川さんが帰れたことの方が気になりません?あ、僕だけですか?イテテ、あの、そんなにお腹をつねらないで、イタイ」


 その言い分に呆れたノゾミは口で言っても分からないルイに体裁を加えていると、突然ナナが立ち上がって初版本が転がっている方に歩きだした。

 そして意を決したように本を取るとページを開いた。


「ノゾミちゃん。ちゃんと最後のページまで戻ってるよ」


 信じられないことに破かれたはずのイラストや空白が続いていたページが元通りの状態になっている。

 夢だったのかと錯覚するくらいにキツネにつままれたような気分でいると、内容が気になっていたルイがナナから本を受け取って読み始めた。しかし、読み進めるごとに表情が険しくなっていく。ある程度ページをめくったところでルイは本から顔をあげると、ノゾミに向かって告げた。


「先生、どうやら完全に元通りになった訳ではなさそうですよ」

「どういうこと?」

「ほら、ここ。読んでみてください」


 そこには作者である桐崎ノゾミですらも知らない結末、そして星川リュウセイの小島ナナに対する想いが記されていた。

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