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「そう。あなたの夢の中では初版本に似た展開になった訳ね」
俺の話を聞き終えた桐崎さんが、表情を変えずに淡々と告げる。その声色には俺に対する同情や気遣いは感じられず、ただ自身の納得を示すような抑揚がつけられていた。
「・・・それってどういう事ですか?」
告白をした後の展開。俺が知り得ない今後の展開に思わず身構える。はたして、俺の告白に対してナナはどう答えたんだろう?受け入れてくれるのか、それとも拒否されて儚く散っていくのか。聞きたいような聞きたくないようなその結果の内容が、怖くても聞きたくなる怪談のように俺を惹きつける。
ナナはオッケーしてくれると嬉しいな。何せ俺たちはあんなにそばにいて、一緒にくだらないことで笑いあったり、お互いが困った時には助け合ったりしたんだ。最終的にグズグズで格好がつかなかったかもしれないけどもしかしたら、とも思う。
実は私も、って言われて、両想いだったことに俺たちは今更気づいて、小さな衝突を乗り越えたりしながら付き合って、めでたくゴールイン、なんて。
しかし、俺の描いた小さな希望は桐崎さんが記した筋書きという名の運命に一つも残らず上書きされることになった。
「初版本だと小島ナナはレンともあなたとも結ばれない。あなたが無理やりキスを迫ったことによってあなたは振られるのよ」
そう言い放たれた瞬間、雷が落ちたかのような衝撃が走る。遅れて雷鳴のように言葉の意味を音として捉えると俺は自分の行動を振り返った。
俺は了承も得ずにナナの唇を奪おうとした。ナナに恐怖を植えつけて、相手の立場になろうともせずに自分の感情を押し付けた。
そんなはずはない、そんなはずはない、と今にも泣き出しそうに心が抵抗するが、無慈悲にも脳は冷静に桐崎さんの発言を受け止めていて、俺はどうすることも出来ない。俺の告白を断る理由が堰を切ったように出てきて僅かな希望でさえも押し流していく。
桐崎さんが言わんとしていることが矢の雨の如く降りかかって、俺はしばらく口を開くことが出来なかった。
「しかも、まさかと思うかもしれないけど、リングボーイをやっていたあの男の子と結婚するのよ、設定上はね。って言われても分からないかしら?」
更にその先の現実味のない確定事項が追い討ちをかける。
まさかとは思うがナナが参加した結婚式に子牛の恰好で登場したあのリングボーイのことか?
だがそんな事は至極どうでもよいと思わせるくらいに桐崎さんは考える暇も与えずに、俺にとっては何よりも重大で残酷な事を問い質した。
「それであなたはどうするの?真実を知ったからには覚悟を決めておく必要があるんじゃない?告白してもフラれる覚悟を」
俺が本来知る由もなかった展開をサラッと言っておいて覚悟を決めろとはいささか無責任じゃないだろうか。
自分がしでかしそうになっていたことを棚に上げて、桐崎さんに反論しそうになる。その時、あの時のナナの怯えた表情が一瞬、目を合わせた桐崎さんの顔と重なって俺は反射的に自分を抑えた。
俺の告白はなんだったのだろうか?振り絞った勇気も俺の本気度を伝えるための婚約指輪も全ては無駄だったのだろうか?このまま桐崎さんの言う通りに俺はナナを傷つけてしまうのだろうか?
結論から言えば、俺は桐崎さんに何も言い返すことが出来なかった。
ポタ、ポタ、っと床に何かが滴れる。その部分だけ黒く濁り、自分の感情と同じくらいに濃くなっていく。自分が泣いている、と理解する頃には床に涙の染みが出来ていた。
「反応がないって事はフラれるって認識したって事かしら?」
無言を貫く。込み上げてくる何かに身を任せて口を開こうにも、沈黙が破れる気がしない。言葉の代わりに涙がとめどなく溢れ、俺は泣き崩れた。
「それにしてもよく泣くわね。私はあなたをもう少し魅力的に書いたつもりだったんだけどなぁ」
俺が中々言葉を返さない苛立ちからか、泣いてばかりいるからか、辛辣な毒を吐く桐崎さん。だが俺はまた何も返せずにせめてもの抵抗として彼女を睨みつけた。
その時。いつぞやのようにこの場の雰囲気をぶち壊すチャイム音が鳴り響くと、桐崎さんはみっともないから涙を拭いておけよと言わんばかりにティッシュを俺に渡してから玄関に向かった。
「ちょうど良かった、ナナ。彼泣いてばかりで会話にならないからどうにかしてくれる?」
特に隠すつもりもなく玄関先で言葉を交わす二人。工藤さんの方は声が聞こえてこない事を察するに桐崎さんの方だけ意識的に俺にも聞こえるように話しているのだろう。
そんな桐崎さんの声をかき消すように受け取ったティッシュで鼻をかむと徐々に涙はおさまっていった。
代わりに部屋に入ってくる桐崎さんと工藤さん。二人を横目に床を見つめていると、工藤さんが恐る恐るといった様子で声をかけてきた。
「大丈夫ですか、星川さん?」
近くに腰を下ろした工藤さんは俺の顔を覗き込もうと首を斜めに傾げる。
目線を合わせようとしてくる工藤さんに対して、情けない顔を見せたくなかった俺は彼女がいる反対の方向へと顔を逸らした。
そんな俺を見て、何か気に障る事を口に出してしまったか一瞬気になった工藤さんだったが、すぐに何かを考えはじめる。やがて、考えがまとまったのか、俺が向いている方向の正面に移動した工藤さんはそのまま意を決して口を開いた。
「星川さん。えっと、もし良かったら私とまた出かけませんか?」
明るく、でも反応を窺うように俺を誘い出す工藤さん。ノーと言いたければ言えたのにどこか強引なナナにそっくりで、なぜか断れる気がしなかった。
「私とデートしましょう!」
正直、自分への怒りやら何も出来ない虚しさとか悲しさでそれどころではなかった。デートなんて展開が唐突すぎて、言葉として認識していたのかも怪しい。でも、無邪気に笑う工藤さんの顔が眩しくて、一瞬でも重ねてしまったナナの誘いを断りたくなくて、俺は何が何だか分からないまま工藤さんとデートをすることになった。
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工藤さんに引っ張られるがままに連れてこられたのは商店街だった。所々シャッターが閉じられ、そんな中まだ開いていた駄菓子屋やおもちゃ屋もその佇まいはまるで時代に取り残されたかのようにどこか古めかしい。ノスタルジーを感じると同時にまたしても知っているものとは少し違う店名に違和感を覚えていると、工藤さんはそんな俺の表情を読み取ったのか言葉を選ぶように俺に語りかけた。
「ここは星川さんが小さい頃よく来てた商店街のモデルになったところですよ。今はほとんど閉まってますけど」
私も久々にきました、と言いながら駄菓子屋に入って行く工藤さん。見慣れた駄菓子がまとめ売りされていたり、見知ったスナック菓子の今まで試したことがない味が売られていたりで思わず手に取ってしまった。
こちらの世界ではゆずジャムせんべいではなく梅ジャムせんべいだったりカットさんちゃんがよっちゃんになっている。そういえば名前も違うけれど、味も少し違っていたりするのだろうか?
一瞬こちらの商品を買ってみようかとも思ったがお金がないのに加えてそのあまりにも精巧に作られた本物にどこか気後れしてしまい商品棚に戻した。
「なんか変な感じですよね。見慣れた商品のはずなのに今と昔じゃパッケージのデザインが変わってたり味が変化してたり。もしかして星川さんも私と同じように感じてますか?」
質問として投げかけられたが、その口調や声からはほぼ確信を持って発言しているように感じられる。少し驚いた俺の顔を見て工藤さんは続けた。
「私にはあなたの気持ちが手にとるように分かります。ずっと読んで見てきたから」
内面だけでなく、今まで経験したこと。自分の発言、幼少期の頃から今の今まで知識として知られているこの感覚は正直言って気持ち悪かった。全て見透かされたこの感じ。自分の恋人でも家族ですらない赤の他人に自分の気持ちを次から次へと言い当てられるのははっきり言って恐怖だった。
けれども工藤さんからはお金目当ての占い師のようなインチキ臭さなどは感じられず、俺の過去を知っているからかどこか同情のような、はたまた俺に対する憧れのような複雑に入り混じった感情を俺に向けていた。
俺はどんな反応をすればいいのか分からず、そのまま見つめ返していると空気を読めない駄菓子屋の店長が閉店に向けて店じまいを始めだした。
それを見た工藤さんが会話を中断して駄菓子をいくつか買いにレジに行き、会計を済ませて俺のところに戻ってきた。
「星川さんはしょっぱいものが好きですよね?いくつか買ったんで後で一緒に食べましょう」
レジ袋の中には工藤さんが見ていたお菓子以外にも先ほど俺が手に取ってみていた駄菓子がいくつか入っていた。気を使わせてしまったな、と申し訳ない気持ちでいると工藤さんはまた俺の手を取りながら今度は違う目的地に向かって歩き出した。
暑い道を歩いていくうちに俺は工藤さんがとあるルートを辿っていることに気づいた。川沿いの通り、坂道、公園、ベンチ。工藤さんは過去に俺とナナが使っていた帰り道をなぞっている。
なんでこんなことをするのかと疑問に思っていると工藤さんは突然、予想だにしなかった事を口にした。
「私、いつかは星川さんみたいな人と付き合いたいなって思ってました。でも星川さん本人が出てきて私、もう星川さん以外は考えられなくて」
「それってどういう…」
頬を赤く染めながら工藤さんはそう口走る。これはもう告白だ、と分かっていると同時に自分が今聞いたことが信じられなくて問い返すと、まるでタイミングを合わせたかのように驟雨が降ってきた。
「とりあえず私の家に行きましょう」
幸い、もう工藤さんの家の近くだったから俺たちは走った。あまり濡れることなく家に着いたが、工藤さんの白シャツが微かに透けて下着がチラリと見えた。
髪の毛や額にも水滴が付いている。工藤さんが洗面所からバスタオルを二枚持ってくると、片方を俺に渡した。なんとなく気まずくて黙々と髪や身体を拭いていると工藤さんが沈黙を破った。
「唐突だって思うかもしれないけど、私星川さんのことを読んでこうして本物に会えて会話して確信しました」
工藤さんの目が真っ直ぐに俺をとらえる。そのあまりのまっすぐさに俺は身体を拭く手を止めた。工藤さんの毛先についていた水滴が垂れて彼女のうなじをなぞった。工藤さんは一つ深呼吸をするとそのまま口を開いた。
「私は、星川さんのことが好きです。星川さんともっと長くいたいです」
そう言いながら工藤さんの頬が赤く染まる。
「もしよかったらこのままこちらの世界にいませんか?」
すぐに否定することも出来た。けれど一瞬、その提案に乗ろうとしている自分がいることにどきりとして俺は何も言い返すことができなかった。
帰りたいんだろ?そのために頑張っているんだろ?と心の中の自分の声がそう囁いた。
「私なら星川さんの気持ちが分かります」
しばらくどう返事をすればいいか分からずに困っていると工藤さんが俺の正面にまで来ながらこちらを見上げてきた。さきほどより距離が近い気がして驚いたが、それ以上に俺はこの現実離れした状況に混乱していた。
「でも俺にはナナが」
とそこまで口にして、いやに冷静な頭が俺に現実を突きつけてくる。別に俺はナナと付き合ってもいないし、ナナにとって俺は特別な存在でもなんでもない、と。ただ一方的に俺が彼女を想っているだけだ。
「いつになっても振り向いてくれないナナさんをずっと待つつもりですか?」
「それは…」
そんな俺の心のうちを見透かしてか、工藤さんが痛いところを突いてきた。きっとナナだって俺のこと、と言いたかったが初版本を読んだことや桐崎さんに言われたことが頭を過って何も言い返すことが出来なかった。
「私は、別にナナさんが忘れられないのならそれでもいいんです。それとも私じゃダメですか?」
ゆっくりと工藤さんが歩み寄ってくる。思わず後ずさるがすぐに逃げ場を失うように壁にぶつかった。身体がぶつかりそうな距離まで近づいてくると工藤さんは一瞬目線を落とした。湿った髪の毛から雨独特の水の香りがした。
「じゃあこれならどうですか?」
工藤さんが何かを思いついたかのようにその場で見上げると、艶美な笑みを浮かべながら俺の目を真っ直ぐ見てきた。思わず吸い込まれそうな瞳だ。
「もし私とキスしてくれたら…」
そしてそのまま俺の胸にしだれかかるとほぼ吐息に近い声で俺に告げた。
「教えてあげますよ、元の世界に帰る方法を」




