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 野良猫が渡り歩いても誰の目にも止まらなそうなくらい古ぼけた路地裏。

 建物の影に隠れてほどほどに暗く染まった路地裏でナナは真っ赤なシャツを着た男に、傷がつかないぐらいに慎重で繊細に、包み込まれるようにしてそっと抱きつかれていた。

 ナナの顔に隠れて見えない男の表情とは裏腹に、ナナの表情は困惑さと唖然さに満ち溢れていて、まるで状況を把握していないかのように目を見開いたまま硬直している。


「う、嘘だろ……?」


 受け入れがたい光景に思わず疑いの言葉が漏れる。

 なのに。


「なんでなんだよ……」


 どんなに目を擦っても、どんなに目を凝らして見ても、その挿絵が映像のように変わることはなく俺は言いようのない悲しみを嘆いた。


「なんで、なんでレンとナナが抱き合ってるんだよ!!!」


 どうか見間違いであってほしいと心の仲で神頼みする。

 けれど、何度も対立したライバルの姿や長年見つめてきた愛しい人を見間違えるはずもなく俺は知らず知らずの内に爪を拳に食い込ませていた。


 きっとこれは何かの間違いだ。


 目前の事実を認めたくない心の中の自分が、運命に抗うようにそう吐き捨てる。


 ふざけるな。


 俺は込み上げてくるどこかドロドロとした感情を必死に抑え込みながら口では真逆のことを言う。


「そうだよ。レンが強引にやったんだ、きっと」


 俺はレンを悪者にして自分の心を強制的に落ち着かせると下手くそな作り笑いを浮かべながら空を見上げた。

 もちろん、俺の言っていることは嘘だし、レンはそんな性格をしたやつじゃないというのも分かっている。

 けれど勝手にレンのせいにすることで鎮痛剤のように心拍数が下がっていくのも事実で……。

 盛大な溜息を空に向かって放つ。


「あーあ。レンがそんなやつじゃないって分かってるのになんで俺は……」


 同時にレンを悪者にして落ち着こうとする自分に嫌悪感を抱いた俺はそんな自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られると、差し込み始めた日の光を手で遮りながらそう呟いた。


「きっと何か事情があるはずだ」


 日光にジリジリと焦がされていくような錯覚を見ながら俺は信じもしない言葉を発する。まるで自分を偽るかのように。

 けれど今はそれが一番適切な方法だと頭が告げていたので俺は力づくで自分を納得させるとそのまま自分に言い聞かせた。


「そう、まだ決まったわけじゃない。きっと別の理由があるんだ」


 もはや現実逃避気味にそう仮定して視線を落とした俺は第七章の最初の方のページを開く。


「頼む。どうか間違いであってくれ」


 俺はそのまま藁にもすがる思いで指を動かすと、挿絵の現象が間違いであることを指し示す文章を探索した。


『「ごめん、リュウセイ。今日は用事があるからバイト遅れるって伝えといて」

 ありがと、それじゃまた後で。

 私はいつもならメールで伝える予定の変更を電話で伝えると、そのままベッドの上でごろりと寝転がった。』


 第七章の冒頭部分。

 一番初めの一文はナナのセリフから始まっていた。

 リュウセイ、と俺のことを名指しで呼んでいるからまだ最近の方の話だろうか。


「あれっ?そういえば」


 ピタリ、とページをなぞる動作を止める。

 用事、という単語と電話をしたというナナの動作に引っかかりを覚えた俺は、首元まで出てきた重要なことを思い出そうとしながら記憶を順番に遡っていく。


「あ」


 そして俺はプロポーズをする一週間前のとある日の出来事を思い浮かべると、そのまま自分自身に言い聞かせるように小さく口にした。


「俺が指輪を買った日だ……」


 俺とナナのイニシャルを彫った金の指輪。

 ナナと始めて会ったあの日に渡そうとしていた指輪を買った日が正しくその日だった。

 ふー、息を吐きながら凝り固まった首元や肩をほぐす。

 本を脇に置いてベンチから立ち上がった俺はそのまま無人のブランコとベンチの間を任回しながらあの日のことを思い浮かべていた。












「♪~♪~♪」


 午前六時半。

 カーテンを閉じた、夏特有のジメジメとした蒸し暑い空間の中で俺は目覚ましの音よりも三十分ほど早い着信音に叩き起こされた。


「誰だよ、こんな時間に」


 足の踏み場こそあれど、脱ぎ捨てた服で散漫した室内で聴覚だけを頼りに、手探りで俺の快適な睡眠を阻害した忌々しい音源を探す。

 週末の朝をこんな形で迎え入れることになった元凶に文句を言ってやろうと心に決めながら、俺は案外近くにあった携帯の画面を開くと半ばやけくそに通話ボタンを押しながら仏頂面で声を発した。


「もしもし、星川です」


 少々イライラが零れていただろうか。ダミ声に近いガラガラとした声で恒例の文句を告げると、電話の向こうからは控えめな、けれどもちょっと慌てた声が聞こえてきた。


「もしもし、リュウセイ?ごめん、やっぱり早かったよね、時間帯的に」


 申し訳なさそうに話す聞きなれた声に思わず面食らうと、俺は先ほどのイライラなど吹き飛ばすような勢いで覚醒しながら即答した。


「な、ナナか?どうしたこんな朝早く」


 一つ咳払いをして喉を整えて質問する。

 同時に速めに脈を打ち始めた鼓動音がバレないように取り繕うと、声の主のナナはあー、と前置きしながら俺に尋ねた。


「今日のバイトのことなんだけど、ちょっと伝言お願い出来る?」


 ナナの声色がほんの僅かに変わったような気がしたがまだ寝起きの俺にそんな些細な変化に気づく余裕は無かった。


「どうした?何かあるの?」


 そんな訳で俺は素っ頓狂にそんな返事をすると、ナナは一瞬だけうーん、とそれこそ虫の羽音のような声で悩む素振りを見せると、刹那の間の後にナナは俺に告げた。

 もし俺が指輪を買う日を今日に改めていなかったら、もし俺がこの時点でまだナナにプロポーズをすることを決めていなかったら、電話の向こうのナナの心境を察知出来ていたかもしれない。

 けれど、ナナに告白すること、そしてその先の展開を空想に描いていた俺は一言も発さずに黙っていた。


「ごめん、リュウセイ。今日は用事があるからバイト遅れるって伝えといて」


 一言謝りながら早口でそう告げるナナ。

 その声のトーンと話す速度に若干の慌ただしさを感じた俺は分かった、それじゃ、と短いやりとりを繰り返してナナに別れを告げると、ゆっくりと電話を切った。


「遅れるってことは今日はバイト先で会うことになるのか。じゃあ指輪選ぶ時間が長引くな」


 壁にかかったカレンダーと携帯画面の時刻を交互に見ながらウキウキと伸びをする。

 まだ七時にもなっていないが、なんだかその瞬間が待ち遠しくてじっとしていられなかった俺は布団から飛び起きると、嬉々として支度を始めた。













「あの後、指輪を買ったけど、そういえばあれからあの日のナナの用事がなんだったのか聞いてないな」


 回想から意識を戻した俺はふとそんなことに思い至ると、ベンチに置いてある本に目線を移した。


「じゃあ読めばあの日何があったのか分かるのか……」


 興味心が蜂蜜のように甘く俺を誘惑する。


「それに……」


 ベンチに座り直し、本を片手にとった俺はページをパラパラとめくりながらある一箇所で手を止めると、その部分を凝視した。


「もしかしたらこれがなんの状況か分かるしな」


 それはナナとレンが抱き合っていた第七章の挿絵。

 何かの間違いであってほしいと願った、俺にとって目に余るくらいの図。

 俺はこの二人の状態を今すぐにでも解明したくて第七章のはじめから文章を目でなぞっていると、とある部分で目を止めた。

 それは…………。


「タイムカプセル?タイムカプセル……ってあれか!プロローグの」


 その単語を何処かで見たなぁと思い無意識に記憶の中を探ると、俺はこの小説のプロローグでナナがタイムカプセルを埋めていたことを思い出した。


「えっ、じゃあこの日って」


 タイムカプセル、そしてナナとレン。

 そこまで判明した今なら想像するぐらいなら容易い。


「ナナとレンがタイムカプセルを掘り返した日だったのか……」


 その事実に頭が撃ち抜かれるような幻想を見る。

 俺が婚約指輪を買った日、そしてナナとレンがタイムカプセルを掘り返した日。

 この二つの出来事が重なったという偶然。


「まずい……」


 俺はその事実に驚愕を覚えるよりも前にこの重なりが単なる偶然だとは思えなくて細かい部分はすっ飛ばして読み進めていった。

 しばらくページをめくる音が響き渡る。

 けれど俺の耳にはその音が何かの地雷を踏むまでのカウントダウンに聞こえて仕方が無かった。



 *******



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「『タイムカプセルを掘り出しにいこう、か……』」

「『なんか幼稚園の庭で管理しきれなくなったからやむなく今日掘り出すらしくてさ、もし時間あったら一緒にいこうぜ、迎えにいくからさ』」

「『そういえばあの時はタイムカプセルの手紙の中身見せてくれなかったよね。なんだったの、あれ』」

「『あー、あれは見りゃわかるよ』」


 重要なセリフだけ抜き出してまとめると、レンとナナの二人はこの日、幼稚園の卒園式で埋めたタイムカプセルを掘り出しに懐かしの幼稚園へ向かったらしい。

 確かにこの本のプロローグにもタイムカプセルを埋める描写があるし、十五年近く経った今頃なら時期的にもピッタリのタイミングだろう。

 俺は地の文を読み飛ばし、時折考察を入れながら話の内容を頭の中に詰め込んでいた。

 今のところ、ナナの幼稚園の描写だったり、当時の先生との掛け合いだったりで特筆するところはない。

 だけれど、疑心に溢れた俺の心は完全に拭い去ることは出来ず、俺は以前と変わりない速度で文章を辿っていった。


『あっ!懐かしい~。確か手紙だったよね、埋めたの』

『みらいのわたしへ、だって。うわっ、字汚い』

『何々。みらいのわナこしへ?はは、ナナの字下手くそすぎて全然読めねぇ』


 手紙を開封して盛り上がっているのか、このページは会話文が目立つ。

 なかなかに雰囲気の良さげな二人に対し胸がムカムカする思いを抱きながら目で文章を追っていると、俺はとある鉤括弧のところで指と目の動きを止めた。


『ねぇ、レンは手紙になんて書いたの?』


 レンとナナが並んで歩く帰り道。

 二人きりでバス停へと続くらしいみすぼらしいくらいに閑散とした商店街を歩きながらナナはレンにそう尋ねた。

 なんだか雲行きが怪しくなってきた気がする。

 俺は段々と胸がふさがりそうになっていく感覚に囚われながら先を進めていると、ある場所でカチリと時間そのものが止まったかのように身体を硬直させた。

 同時に怒りとも悲しみとも形容し難い感情がこみ上げ、後悔を覚えはじめる。

 頭部や背中からは冷や汗が流れ出し、寒くもないのに口元がガクガクと震え出す。


「くそっ、ざけんな」


 悪態をつきながら落とした視線の先。レンが幼少期に書いた手紙の内容。

 その内容とは俺が最も危惧し、最も目にしたくない最悪なものだった。


『おとなになつたら、ナナとけつこんできますように』


 またしても先を越された。

 そう思うと同時に無気力感を抱く。

 どうせ子供の頃に書いたものだ、とシャットアウトしかけた思考に鞭打つ俺がいるがそんなもの気休めにもなりはしないだろう。

 しかし、俺の目線と手は諦めかけた思考を無視して虫の抵抗と言わんばかりに物語を読み進めていく。

 ほんの零点何%かだけ残された希望の可能性を信じて。

 だが、現実は甘くなかった。


「そんな……」


 第七章の後半を読んでいた俺はあまりの内容に思わず視界が真っ暗になった。






 第七章【交差点】



「嘘だと思ってるだろ、その手紙の内容」


 レンは突然足を止めると、前を歩く私の手をいきなり掴んで来た。

 えっ、と振り向く暇も与えられずに近くの路地裏にまで連れて行かれる。

 私は急に釈変したレンの態度に戸惑いながらもされるがままに引っ張られると、レンは私を路地裏の建物の裏に誘導しながら私に告げた。


「ごめん。無理に引っ張って」


 何かを言い返そうとするも、口が思うように開かない。

 せめて目線で抗議しようと画策するも、私はレンの目を見た途端、銅像のように全く動けなくなってしまった。

 ビー玉のように透き通った焦げ茶色の瞳。

 今にも泣きそうなその瞳は、あの時の、レンと始めて出会ったあの日の瞳と全く同じだった。


「俺は。俺の気持ちは、幼稚園の頃から、手紙に書いてあるとおりだ」


 一つ一つのセリフはつっかえているのに、何故か一語一句なに一つ零れ落ちることがないように耳が拾う。

 そのまま無限のような時間の間見つめ合う私とレン。

 やがて、ようやく脳が話の内容を理解したと思ったら、私は、私の心臓はドクドクとこれまで以上の速さでリズムを刻みはじめ、頬は自分で熱いと感じられるくらいに真っ赤っかに紅潮していった。


「好きなんだ。ナナのことが」


 その瞬間、何かに包み込まれるような感触を覚える。

 私はそれが、レンが私を抱きしめたからだと理解すると、もはや身動きできないくらいに固まってしまった。


「俺はリュウセイみたいにナナとずっと一緒にいたわけじゃないし、素のナナを全部知ってるわけじゃない。でもやっぱり俺はナナと一緒にいるといつも思うんだ。ナナのことを知りたいって。ナナと一緒に昔みたいに楽しい時間を過ごしたいって。だから俺は逃げも隠れもしないでずっと待ってる。ナナが寄り道しようとなんだろうと絶対待ってるから。どれだけゆっくりでも遅くてもどんな答えでも俺はナナ自身が決めるまでナナのこと待ってるからさ……」


 レンが。背も高くなって男っぽくなって最近頼りやすくもなったレンが耳元でそう告げる。

 私は手に握っていたレンの幼い頃の手紙を知らず知らずのうちに強めに握りしめていると、レンは身体を離しながら私に告げた。


「だから、俺と付き合ってくれナナ。将来を前提に」


 そのまま力強く右手を差し出したレン。

 もし結婚を申し込まれたらなんと答えようか?

 いつか自問した質問がまた復活する。

 はい、と答えるのか、いいえ、と答えるのか、それとも保留を申し込むか。

 私はなんと答えればいいのか分からずにそこに立ち尽くす。

 沈黙が続く。

 すると、見兼ねたレンが私にふっと笑いかけながらこう言った。


「さっきも言ったように、俺は待つから。絶対に。ナナが返事をするその日まで」


 そしてレンはまた何事も無かったかのように歩き出した。

 その後、私たちは互いに一言も発さずにバス停まで歩くと、そこで別れた。

 なんでもレンは歩いて帰る気分だったらしい。

 私はバスに乗ると、運良く空いていた外の景色がよく見える箇所に座って窓に移る光景を眺めた。

 私は結局、自分の降りるバス停までずっと心ここに在らずで上の空だった。

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