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【第一章】結婚式
その日の夕方。
正午を跨いで行われた結婚式はその幕を閉じて、私達はこれから行われる披露宴の会場内で席に着いていた。
「うーん、なんて書こう?」
そんな数多くの参加者が次々と着席する中、私はペンを片手にテーブルの上に置いた短冊と睨めっこをしていた。
「幸せになってください、だとありきたりになるし、第一他の人も似たようなものを書いてるからなぁ…」
一人ブツブツと呟きながら思考を巡らせる。
「末永い健康と幸せを祈って、だと定番過ぎて色がないと思われるし、かといって捻り過ぎてもダメだよね」
誰か私の願い事代わりに書いてくれないかな、と願いながらペンをいじっていると、お母さんが横から見兼ねた様子で口出しをしてきた。
「思ったことを素直に書いたらいいじゃない。友達の結婚式とかじゃないんだし」
声がした方を見るとお母さんは、
『二人の毎日が曇り空のない七夕のような日々になりますように』
と短く書かれた短冊を私に見せながら悪戯っぽく笑っていた。
その願い事にした理由を聞くと、せっかくの七夕だから、と軽く返される。
全く、拍子抜けするというかなんというか。
けれどお母さんのおかげで肩の重荷が降りた私は一旦目を閉じて思考を整えると、先ほどからずっと幸せそうな花嫁の笑顔を思い浮かべてペンを走らせた。
「これでよしっと」
そう呟きながらペンのキャップを閉めていると、また、けど今度は披露宴の始まりを告げるアナウンスが響き渡り、ざわざわとしていた空気が一気に静まり返った。
「長らくお待たせいたしました。それではただいまより、新郎、加藤ナオキ様と新婦、林改め加藤レナ様ご夫妻の結婚披露宴を行います」
いよいよ披露宴が始まる。
先の結婚式でワクワク感がうなぎ登りに増えていた私は、未だ登場していない主役を今か今かと待ち望んでいると、アナウンスの人は数秒、間を置いてから口を開いた。
「それでは新郎新婦のご登場です!」
扉が開かれると同時に新郎新婦改め加藤夫妻が入場してくる。
その時、突然辺りの照明が落ちてスポットライトが二人に当てられると、二人は手を繋ぎながら優雅に、けれど何処か恥ずかしそうにゆっくりと隣だって歩いていった。
有名なディズニーの曲、【A whole new world】のピアノ伴奏を背景に寄り添って歩く二人は何処か幻想的で、まるで実際の王子様とお姫様が歩いているかのようにラブラブな花嫁と花婿は正直見ていて顔を覆い隠したくなるくらい恥ずかしかった。
案の定、他の参列者も私と同じような気持ちを抱いていたようで参列している女性方はイイなぁ、と焼き餅気味に嘆いていたり、男性に関しては、
「見せつけんじゃねぇ!?」
と単なる照れ隠しなのか本音なのか分からないトーンで野次を飛ばしていた。
何はともあれ、沢山の拍手や激励に見送られながら共に歩いて行った二人は最終的に自分達が座る席に辿り着くと、お互いにアイコンタクトを送りながら同時に着席した。
その後、ちょうどいいタイミングでアナウンサーがマイクを手に取ると、会場はそれを合図に徐々に静寂に包まれていった。
「それでは、吉例にならいましてこの度、ご媒酌の労をお取りくださいました新郎の上司であります、小島ノリマサ様にマイクをお渡しします」
「えっ、お父さんがやるの?」
私が司会の内容よりも自分のお父さんが仲人役を引き受けていることに驚いて素っ頓狂な声をあげていると、お父さんは何も言わずに一つ咳払いをして拍手の中壇上に上がっていった。
スタンドマイクの高さを整えるお父さん。
あー、と声の調子を整えたお父さんはポケットから慎重にカンペを取り出すと、少し頼りなさげに声を発した。
「え~っと、ただいまご紹介に預かりました小島と申します。え~、本日はお忙しい中、え~、新郎新婦の為にお越しいただき、誠にありがとうございました」
お父さん素人感丸出しだよ、と口に出したいのを寸のところでやめ、周囲にバレないようにサインを送ろうと躍起になっていると突然、お母さんが急に大きな咳払いをしながらものすごく怖い眼差しをお父さんに向けて冷たい笑みを浮かべた。
真夏であるにも関わらずお父さんの額から汗がサーっと引いているのはきっとクーラーが効き過ぎているからだろう。
何処か顔色の悪いお父さんは何を思ったのか突如背筋を伸ばして胸を張ると、何も無かったかのように言葉を続けた。
「ご紹介にもありましたように私は新郎と同じ部に所属しております関係で、本日は不慣れながらも媒酌人という大役をお引き受けする次第となりました。至らない点も多々あると思いますがなにとぞよろしくお願いします。さて、本来は仲人が二人の紹介をする約束なのですが、この度は我が同僚の協力のもと、二人のビデオをご用意させていただいたのでこちらをお楽しみください。まずは新郎の……」
何がキッカケだったんだろう。お母さんの笑みを見た途端に、テレビのアナウンサーのようにスラスラと舌が回りだしたお父さんに首を傾げていると、お母さんが隣で、
「ふふ、最初からああすればいいのに」
と、何やら不気味な笑い声をあげていた。
なんとなく触れてはいけないなぁ、と肌で感じながらスクリーンに映される映像を見ると、二人の生い立ちからプロポーズの日までの人生が上手くまとめられている。
時には笑い声が、時には茶化すような声が耳に入りながらも熱心にスクリーンを眺めていると、終盤からは映像がスクリーンショットに変わった。
初旅行に初温泉と色んな写真を見ていると、私は最後の写真に目を奪われてしまった。
場所は何の特徴もないただの公園。
けれどもそこでは小さなお祭りが開かれていて、二人は浴衣姿でベンチに座っていた。
写真の右側には新郎が。そして左側には目を真っ赤に腫らした新婦さんが指輪を見せるように左手を新郎の手の上に重ねながら新郎の肩に顔の半分を隠すように頭を乗せていた。
そしてもう片方の手には『レナとずっと一緒にいられますように』と書かれた短冊が。
私は終始映されていた二人の熱愛ぶりに周りの温度が何度か上がったような感覚を覚えていると、そこでスライドショーは終わり、辺りは羨ましがるようなひやかすような声援を今日の主役達に浴びせながら暖かい目を彼らに向けていた。
当の本人達は当時のことを思い出したのか、顔の色を真っ赤に染め上げながらモジモジと俯いている。
「!!!」
キュン、と二人を見ていると胸がポカポカするような不思議な気分に包まれる。
言葉にならない高揚感を覚えた私はいつの間にか両手で頬杖をつきながら二人を微笑ましげに見ていた。
同時にふー、と羨ましいとも嬉しいとも言えない色んな感情が篭った息を吐き出しながら夢を見ているような気分に陥る。
なんだか現実離れしたこの感じ。
「私も、いつかあんな風に結婚したいな……」
二人の関係があまりにも素敵で私はこのまま自分も白馬の王子様に攫われてもいいんじゃないかと思うぐらいにうっとりとしていると、突如聞こえてきたアナウンスの声が私を妄想から現実の世界に引き戻した。
「小島様、ありがとうございました。続きましてはウェディングケーキ入刀の時間です」
いつの間にか媒酌人の挨拶が終わり、ウェディングケーキ入刀の時間になっている。
お父さんが私達の席に戻ってくるのを横目に花嫁と花婿の姿を少しボーッとしながら見ているとウェディングケーキは参列者全員の視線を浴びながら真っ二つに切り分けられた。
真っ白なウェディングケーキは蓋を開けるとカラフルなフルーツケーキで食後のデザートとして各テーブルに出されるらしい。
私はその様子を見送りながら何処か上の空でいると、いつの間にかケーキ入刀の時間も祝辞の時間もボンヤリと過ごしていたことに気がついた。なんだか急に自分と会場の間に温度差が出来たような気がする。
場違いとも浮いてるとも形容し難いこの感じ。
いつからかな、と自問していると、脳裏に先ほど見た最後の写真が蘇った。
そういえばあの写真を見てからずっと集中出来ていないような。
それが何なのかは分からない。
けどあの写真は何処か引き込まれてしまうような不思議な魅力を醸し出していて、なのに何かが引っかかっていて、私はなんでこんなに虜になっているのか自分でも理解出来ずにいた。
時間はどんどん過ぎていく。
結局食事の時間になるまでずっと同じことを考え続けていた私は、一旦自分の考え事に終止符を打つと、運ばれてきた料理に集中することにした。
食事の香りを楽しみ、味に舌鼓を打っていると、いよいよお色直しの時間になった。
私は退場していく二人の背中をなんとなく先ほどの写真の二人と重ねて見ていると、お母さんが私の肩をチョンチョンと突ついてあることをコソコソと私の耳元で囁いた。
「気になってるならついていったら?聞きたいことがあるんでしょ?」
「えっ、どうして……」
いきなりそんなことを言われて狼狽える私。でも、確かにあの写真を見てからどこかモヤモヤしていた私は何も言い返すことが出来ずにその場で息を呑み込んだ。
「さっきの写真見たあたりからずっとぼーっとしてるし、何かあるんでしょ?」
お母さんの図星をつく発言に私はあわわわ、と手を振って誤魔化そうとする。そんな私の様子を見たお母さんはいつの間にか、私が書き終えてテーブルの上に置いていた短冊を私に握らせると、私の背中を押すように口を開いた。
「チャンスは今しかないでしょ!短冊っていう口実もあるんだから早く行きなさい。遅くなる前に」
「でも……」
確かにさっきから妙なモヤモヤ感に浸ってはいる。けれども、それだけの理由で直接花嫁に聞きにいくのは変な気がして、私は一旦押し黙ってしまった。
「う~ん、でもなぁ」
でもさっきから覚えるこの引っかかりは一体なんなんだろう。どうしてあの写真に固執しているんだろう。
そう考え出したら居ても立ってもいられなくなって私はいつの間にかゆっくりと自分の席から立ち上がっていた。
でもやっぱりやめた方がいい気がして、視線をドアとテーブルの間で動かす。
ついでにお母さんの方に視線を向ければ、お母さんは微笑ましげに私を見つめながら一回だけ大きく頷いていた。
「思い立ったが吉日よ、ナナ」
一瞬、私とお母さんの目線がかち合う。けれどもお母さんの無言の圧力に敵うはずもなく、私は目線に押しきられる形でドアの方に振り向くと、小さめにボソッと呟いた。
「なんだかよくわからないけど、うん。分かった」
お母さんが最後に告げた一言と先ほどから抱いていた思いを胸に一歩を踏み出す。私はテーブルから離れると花嫁の背中を追うように披露宴会場を後にした。
「大丈夫かしらねぇ、あの子」
ナナが去ったテーブルでその母親が心配げにそう口にする。
すると、その隣に座っていた男性が傾けていたワイングラスをテーブルの上に置きながら彼女の発言に口添えした。
「ナナは色んなことによく気づく子だからね。あの写真にもきっと何か思うところがあったんだよ」
「そうね……」
男性改めノリマサが静かにそう告げると、ナナの母親は諦めたように同意を示した。
「それにしても、どうしてわざわざ自分の感じた疑問を確かめにいかせるようなことをしたんだい。特にあの写真は結構シビアなやつじゃないか。聞くなら僕に聞いておけば……」
「それじゃダメよ」
続けて説教じみた口調で語るノリマサを途中で制した女性はその表情を真面目くさったものに変えると、そのまま正面からノリマサを見据えた。
「あの子はいつも他人の顔や表情を窺ってはその人の心情をすぐ見抜いちゃうし、ただでさえ繊細で鋭い心の持ち主だからあのまま加藤君達のことで誤解させてちゃいけないなぁって思ったのよ。特に結婚とか恋愛とかそういうところで曲がった認識を持ってもらいたくないし、だったら直接聞きにいかせれば写真のことで変に誤解したまま自己完結しないじゃない。だからこれでいいのよ。それに……」
女性は今度はその表情を悪戯っ子のようにニヤリと曲げると、小さく微笑みながらノリマサに向かって囁いた。
「ついでに将来どんな素敵な結婚式を挙げようか考えられるじゃない。誰かさんが計画した結婚式とは違って」
ノリマサは古傷を抉られたようにうっ、と身構えると途端に堪忍したように小さく両手をあげた。
「もう分かったから。本当に悪いと思ってるから。もう許してよ、ね?」
「ふふ、分かればよろしい」
女性は満足そうに自然な笑みを浮かべると、この話題はもうおしまい、とばかりに自身のグラスに残ったワインを口にした。
「もう本当敵わないな、レイコには」
ノリマサは自身の妻兼ナナの母親改めレイコの耳に入らないようにボソッと呟く。そのまま手元のグラスを手にしたノリマサは、ナナが去っていったドアをチラリと見ながらワイングラスに入った残りの飲み物を飲み干した。
「全く……。誰に似たんだか」
無意識に吐き出されたその言葉は何かの答えを探すかのように賑やかで華やかな披露宴会場を彷徨うと、小さな少女の背中を追うように扉の向こうへと消えていった。
写真を見たあとに感じた違和感。
そして同時に引っかかりを覚えたこのモヤモヤ。
私が会場を去った後に交わされていた会話など露知らず、私はこの二つを胸に花嫁さんの控え室に向かっていた。
カツカツとパンプスがたてる音が廊下に吸い込まれていく。
「うーん……」
靴がたてるリズムと胸の鼓動が妙に重なりあう。その音を耳に挟みながら私は自分が感じたモヤモヤの正体を解き明かすべく一人物思いにふけっていた。
「何か変だったんだよね……」
写真と今日の結婚式の二人。
多分写真の中の何かがおかしかったからだとは思うんだけれど今一つピンとこない。まるで雲を掴んでいるようなこの感覚でとてももどかしい。
「写真の映り方かなぁ…?でもどっちかっていうと写真に写っていた二人の印象の方が変だった気がするんだよね」
私は何がおかしかったのか自分の胸に問いかけながらなんとなしに自分の手の中にある短冊に目線を落としていると、私は短冊という言葉に何か引っかかりを感じてもう一度あの写真に映っていた短冊のことを頭に思い浮かべた。
あの短冊には『レナとずっと一緒にいられますように』と書かれていた。
その時の花嫁さんは涙を隠すように新郎の肩に伏せるように顔を隠していてそれから……。
「そうだ……」
突然、私の頭が歯車が上手く噛み合った時のように動き出す。
「多分、表情だ」
私は小さく呟きながら先ほどまで感じていた違和感と照らし合わせて確認をはじめた。
式中から披露宴までずっと幸せそうな笑みを浮かべていた新婦さん。
けれども、写真に写っていた彼女の表情は今日とは違って控えめで、もっとこう、恥じらっていた。
最後の写真だけならともかく、他の写真でも、花嫁さんは照れ笑いを浮かべていて、どちらかというと、写真の花嫁さんからはもう少し照れ屋でさみしがりなイメージを抱いた。
それなのに今日の新婦さんは今までにないくらい幸せそうに、ううん、明らかに今までとは違った表情で式に臨んでいた。
しかも他の写真に映された花嫁さんは常に嬉し涙を流していたり、僅かにはにかむような笑みを見せていたのに今日の花嫁さんは涙を見せることなど一度もなかった。
それに結婚式もデートも同じ幸せな時間のはずなのに、写真の方の新婦さんはどことなく無理をしてるようで、そして今日の花嫁さんからは何かを吹っ切っているような清々しさを感じた。
もちろん、こんな予想誰も信じないだろうし、花嫁さんに対して失礼だと思う。それにこんな当てずっぽうな推測なんか誰も共感しないだろう。
けど、私は半信半疑ながらもなんとなく辻褄があっているような気がして一人勝手にうんうんと頷くと、そのまま前に進んでいった。
「ここだ」
しばらくすると、私の目の前に新婦控え室と書かれた看板が現れた。
ドアをノックしようと片手をあげる。
けれども、扉を叩こうとしたその途端、ここに来る前に抱いていた疑問がぶり返してきて私はノックする寸前のポーズで自分に問いかけた。
「勢いでここまで来ちゃったけど本当によかったのかな?」
考えも気持ちも何もまとまっていないのに心の中に現れたモヤモヤ感だけに従ってここに来た私は今更ながら自分のやろうとしていることに疑問を抱く。
「どうしよう…。どうしよう…」
やっぱり戻ろうかなぁ、どうしようかなぁ、と二つの考えの間をメトロノームのように行ったり来たりしながら控え室の前でうーんと腕を組んで考えていると、突然ガチャリ、という音と共にドアが開いた。
「あれっ?ってうわ、ビックリした!」
「きゃっ⁉︎」
ドアの隙間から登場したのは今日の主役の花嫁さん。
私は急に本人が現れたのと意表を突かれたことで分かりやすいくらい心臓をバクバクと鳴らしながら声をあげると、花嫁さんは私とは違ってすぐに落ち着いたのか先ほど驚いた時とは異なるトーンで私に話しかけた。
「えっ、誰?なんでこんなところにいるの?」
「私は小島ナナです……えっと、実はこれを渡しに、いやっ、実は花嫁さんにお伺いしたいことが…って違う‼︎そうじゃなくてですねぇ」
すんなりと名乗ることは出来たけれど、その後に続く言葉が上手く見つからない。
私は両手を頬に当てながら首を振って返す言葉を探していると、花嫁さんは視線を私の高さに合わせながらニコリと微笑んだ。
「花嫁さんって……。遠慮しないでレナでいいよ、ナナちゃん」
「いえ、あの、そんな…」
花嫁さん改めレナさんは未だに慌てふためく私と私の手に握られた短冊をチラリと一瞥すると、何かを察したようにニコッと微笑みながら告げた。
「じゃあナナちゃん。せっかくだし、ちょっと中に入って手伝ってくれる?」
そう言いながら小さく手招きするレナさん。
えっ?と問い返す前にレナさんは流れる動作で私の手を引くと、そのまま導くように私を控え室内に招き入れた。
今日は誰かに引っ張られてばっかだな。
整理しきれていない心の中で何故かその事実がポツリと浮かび上がる。
なんかもういいや。
私はもうどうにでもなれ、といった精神で腹を括るとそのまま控え室にお邪魔する形で入室した。




