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 閑話 1



 バタン。ガチャリ。

 ドアの鍵が閉まる音と共にノゾミとナナが玄関に立ちすくむ。

 二人の顔は自然と俯き気味で視線は足元へと落とされている。


「行っちゃったね」

「そうね」


 一言ずつ言葉を交わした後、徐に靴を脱いだ二人は無言の状態で廊下を歩くと、先ほどまで朝食をとっていたダイニングまで戻ってきた。

 そのまま椅子を引いて腰を降ろすナナとノゾミ。

 その表情は、まるでリュウセイを一人にさせたことに対して功罪相半ばしているかのように複雑に歪んでいた。

 考えがそのまま行動に出ているのか、二人の手は髪をいじったり腕を抑えたりと忙しなく動いている。

 やがて思いつめた表情を浮かべたまま目を動かしていた二人は不意に互いの視線が交差するように見つめ合うと、緊張の糸がほどけたように言葉を漏らした。


「一人にしちゃって大丈夫かな?」

「一人で行かせてよかったのかな?」


 殆ど同時に似たようなことを言った二人は続けて何かを話そうとする。

 しかし、このままだと同じことを繰り返してしまうことを瞬時に察したノゾミは咄嗟に口を閉じて遠慮する姿勢を見せると、そのまま発言権をナナに譲った。


「ありがと、ノゾミちゃん」


 ノゾミの慎み深い心意気に短く礼を告げたナナは僅かに溜息をつくと、懊悩が形になったような声色で口を開いた。


「大丈夫かなぁ、星川さん。そもそもこの辺り知らないだろうし。それに初版本読んで、思いつめて、最終的に人生どうでもいい!とかってなっちゃったらどうしよう……」


 話しているうちに妄想がエスカレートしていったのか徐々に顔を青ざめさせていくナナ。

 そんなナナを気遣ってうんうん、と話を聞いていたノゾミはナナの肩に手を置いて一旦彼女の言葉を遮ると、そのまま確信を持った瞳で彼女を見つめた。


「大丈夫よ、ナナちゃん。そんなに心配しなくても」


 妙に説得力のある落ち着いた口調でそう告げるノゾミの姿に安心したのか、大きく深呼吸をしたナナは息を整えながらノゾミを見つめ返す。

 そのウルウルとした仔犬のような瞳には何故自信を持ってそう言えるのかという疑問がありありと綴られていて、ノゾミは一種の諦めに近い溜息を吐き出すと彼女に伝えた。


「星川さん、ううん。星川リュウセイはそんなことしないわ」


 どうして、と尋ねようとしたナナを間髪を容れずに遮りふっと不敵な笑みを浮かべるノゾミ。

 ノゾミは頭を捻って疑問符を浮かべるナナに再び目線を移すと、笑みをより深めながら胸を張った。


「だって私が作ったキャラクターだもの」


 自信満々に答えるノゾミに戸惑いを隠せないナナは今度もまた理由を尋ねようとしてやめた。


「星川リュウセイは恋に盲目な今時珍しい、ピュアで純粋な心を持った清純な男性でヒロインの工藤ナナの身を一番案じている正に優柔不断をそのまま人間にしたような……」


 なぜならノゾミが突如何かを語りだしたからだ。


「えっと……。ノゾミちゃん?」


 堰を切ったように溢れ出てくる情熱がこもった言葉に語尾が上がり気味になるナナ。


「……クラスを一言で纏められる男っぽさを持ちながら……」


 しかしノゾミはそんなことお構いなしに自分の世界にのめり込む。


「お、落ち着いて。ノゾミちゃん!!!」


 終いには椅子から立ち上がってクラーク像のように指を突き立てたノゾミを必死に制止しようとナナも立ち上がるも……


「……けれども、ヒロインのことを一途に慕う、まるで絵に描いたような乙女っぷりまで兼ね備えていて……」

「ごめんね、ノゾミちゃん!!私が悪かったから。もう疑ったりしないから無視しないで!!!許して!!!」


 ……ノゾミの留まることの知らない熱弁によってナナの虚しい努力は掻き消され、結局ナナが手を合わせて謝るまでこのやり取りは続いた。

 ようやくほとぼりが冷めたのか、息を切らしてナナを見つめるノゾミの姿に、ナナはゆっくりと時間をかけてノゾミが落ち着くのを待つと、その頃合いを見計らって徐に言葉を発した。


「星川さんが自分の人生を諦めるような人じゃないってことはよく分かったけど……。ノゾミちゃんはなんでそんな確証を持って色んなことを言えるの?」


 無言でナナの言葉に耳を傾けるノゾミの瞳には自身の綴った小説の世界観が映し出されていたが、一旦思考を目の前の小動物のような女性に戻すと、ノゾミはゆっくりと足を踏み出しながらある場所を目指して進み始めた。

 同時に、ノゾミはキョトンとした様子のナナの手を取って連れていく。

 ほんの数歩歩みを進めて立ち止まった二人の目線の先には、二組の布団が敷かれた寝室があった。

 ノゾミの謎に包まれた行動に眉を歪ませて悩むナナ。

 するとノゾミは、その寝室のある一角を指差してナナに見せつけた。


「あれが何か分かる?」


 ノゾミの指し示した場所。そこにはまだ畳まれていないしわくちゃになった布団と、その上に無造作に置かれた改訂版の本がポツリとその存在感を示していた。

 はっ、となって口元を抑えるナナ。

 何かを察したのかうんうんと首を縦に振っている。


「確かに、改訂版に書かれていた星川さんはどんな状況下に立たされても頑張っていたよね!」


 小声で呟きながら小さめに拳を握るナナを静かに見つめるノゾミ。

 しかし、ナナの言葉は聞き取れなかったのか、ノゾミはナナの姿を目で捉えて固まっている。


「そうだよね!!!ノゾミちゃ……んってあれ⁈」


 ノゾミの様子がおかしいことに気がついたナナ。

 それもそのはず。何故ならノゾミはナナを見つめて固まったのではなくその先を見つめて固まっていたのだから。


「ナナちゃん……。昨日はどこで寝たの?」


 何故だか拳を握りしめながら何かに耐えるようにして問いかけるノゾミに対して、ナナは素っ頓狂な声で答える。


「えっ?どこって、この部屋だけど⁈」


 何故そんな質問をされているのか分かっていないナナはただ事実だけをノゾミに述べた。


「うん、それで星川さんは?」


 ワナワナと震える拳をもう片方の手で抑えながら、努めて冷静に尋ねるノゾミ。

 同時に、どこか冷たい笑みを浮かべている。


「もちろん、この部屋だけど……ってノゾミちゃん?」


 昨晩のことを思い出そうと上空を見つめていたナナは急激に背中に伝わった寒気に違和感を覚えてノゾミを見つめると、ノゾミはゴゴゴゴゴっという文字が見えそうになるくらいのオーラを醸し出しながら顔をあげた。


「ひっ⁈」


 思わず裏声が出てしまうほどの反応を見せるナナ。

 対するノゾミは般若とも鬼とも形容し難い、この世のものとは思えないほど恐ろしい形相でナナを睨みつけながら堪忍袋の緒を切り落としていた。


「ナナちゃ〜ん!!!」


 雷が鳴ったと幻聴するくらいの怒声が響き渡る。

 マンションの天井からは鳩が何羽か清々しい大空へと飛び立っていった。























「あれほど見知らぬ人、しかも年頃の男の人と同じ部屋で寝たら駄目って言ったでしょ?ナナちゃんはベッドだってあるのに!!!」

「えっ?でも、私何もされなかったし……」

「そういう問題じゃないの!!」


 ノゾミが最初に冠を曲げてから数分後。

 未だに業を煮やしていたノゾミはナナの東西をわきまえない無神経な行動にいつしか怒りよりも呆れを覚え始めていた。


「本当に昨日は何もされなかったのね?」

「うん。むしろ夜中にうなされてたりしてたからそんな何かをする余裕もなかったと思うよ」


 そう、と小さく呟いて今朝のリュウセイの様子を思い出そうとするノゾミ。記憶の通りならば、確かに目の下にはクマがあったのでナナの証言は確実になる。

 ノゾミはこの際、布団の件は忘れることにして、ふと気になった先ほどナナが応えたことについて確かめることにした。


「うなされてたってどういうこと?」


 何かが腑に落ちなかったのか、ノゾミは少しゆっくりと尋ねる。

 すると、ナナは先ほどまで浮かべていた表情をどんよりと曇らせて彼女に答えた。


「うん。私が、本当に元の世界に戻りたいのか?って聞いた後に改訂版を渡してね、それから眠りについた数時間後くらいにうなされてたんだけど……」

「ちょっと待って」


 そのまま続きを語ろうとしていたナナはノゾミの言葉によって遮られた。

 話の途中で口を挟まれてナナは思わず顔をノゾミに向ける。

 しかし、次にノゾミに訊かれたことに対してナナは無意識に身体を強張らせた。


「ナナちゃんはなんでそんなこと言ったの?そもそもなんで星川さんは改訂版の方を読むことになったの?」


 ただの興味から紡がれた疑問。

 しかし、ナナはその疑問に過剰に反応すると、うー、と頭を抑えながら熟考をはじめた。

 やがて、一つだけ盛大に溜息を吐いたナナは真摯な眼差しでノゾミを見つめながら正面から向き合うとポツリポツリと衝撃的な事実を語りだした。



 *******



 閑話 2



「なんとなく確かめたかったんだ。星川さんがどんな反応するのか」


 ナナの答えはノゾミにとってあまりにも呆気なく、そしてどこか意外なものだった。

 どうして、と問いただそうとして彼女の顔を覗き込んだノゾミはナナの今にも壊れてしまいそうな表情を見つけてしまい、瞬時に思いとどまった。

 代わりに彼女の背中をそっと撫でたノゾミの優しさを感じ取ったのだろう。

 ナナはどうしてそんな真似をしたのかを赤裸々に語りだした。


「私がノゾミちゃんのファンだってこと知ってるでしょ?ノゾミちゃんの本はいつも予約して買ったその日に二回は読んでそれで……」


 胸襟を開いてありのままを話そうとするナナにノゾミはただ相槌を打つ。


「だから幻の初版本を編集者さんから貰った時は早く読もうって思って用事を済ませたらすぐに全速力で家に帰って読んだんだ」


 その時のことを思い出しているのか、一瞬だけナナはふわりと表情を緩める。

 しかし、今度は忸怩とした思いに駆られるかのように顔を赤らめると声を落としてノゾミに告げた。


「で、私初版本読んでる時に思ったっていうか感情移入しちゃったんだよね。主人公はもちろんだけど、何と言っても……星川さんに。可哀想だなぁって」


 それとこれと何の関係があるのか、と思考を巡らすノゾミを他所にナナは続ける。


「改訂版だとヒロインは速水レンと結婚して終わるでしょ?」


 急に話題を変えたナナに更に疑問を深めるノゾミ。

 すると、ナナは自信のない自分の解答の最後の答え合わせをするように心配げにノゾミを見つめると今度は更に肝胆まで開いて彼女に告げた。


「もし原作でも同じ結末だったら星川さん、すごく可哀想じゃない⁈悲しいなぁーって。だから、うん。わざわざ元の世界に戻らなくてもいいんじゃないかなぁって思ったんだ」


 ナナの告げた嘘偽りのない本音に共感を示すノゾミ。


「そっか」


 ノゾミはそれ以上追求することをやめるとナナの頭を優しく撫でながら彼女の隣に佇んだ。



















「ねぇ、ノゾミちゃん。一つ気になってたんだけど」


 一言も言葉を発さないまま虚空を眺めてほんのわずかの間だけ自分の思考に集中していた二人。

 しかし突然、何かが思い半ばに過ぎたのかナナがノゾミに声をかけた。


「本当に覚えてないの?初版本の最後のシーンに何が書いてあったのか」

「えっ?最初に書いた小説なんて覚えてないわよ。あの後、何度も書き直してるし」


 目をキョロキョロと泳がせながら明後日の方向を見つめるノゾミにナナは、


「ウソだよ。だってノゾミちゃんは前に書いた原稿を無くしたりしないもん」


 咄嗟に如才無い口調で虚を衝くように探りを入れると、ノゾミは勝ち目がないと踏んだのか、それとも分が悪いと感じ取ったのか、最後には降参を示すように溜息をつきながら底を割って口を開いた。


「そうね」


 しれっとそう呟くノゾミの姿は逆にどこか清々しい。


「この際私のことは置いとくけど……。じゃあノゾミちゃんはなんで星川さんに嘘ついたの?本当の結末を知ってるのに」


 更に引きも切らずに追い打ちをかけるナナを見て、ここらが関の山だと見限ったのかノゾミは少しだけ口元を緩めながら楽しげに答えだした。


「そりゃあ、もちろん興味があるからよ。自分が書いたキャラクターがどんな結末に辿り着くか。だってこんな貴重なことって滅多にないでしょ?物語の中の登場人物が現実の世界に現れるなんて」

「ノゾミちゃん!!!」


 それがあまりにも自分勝手に聞こえたのか、ナナは僅かに眦を決しながら抗議の言葉を吐き出す。


「ハァー……。分かったわよ」


 しかし流石に悪ふざけが過ぎたと思い直したのか、単に観念したのか。

 どちらにせよこれ以上の誤魔化しは効かないと断念したノゾミはナナの真正面に向かって真剣な眼差しを向けながら静かに告げた。


「見極めたいのよ。私の書いた結末が正しかったのかどうかを。知りたいのよ。かつて批判された私の小説がどのように終わるのか、自分の描いた登場人物が自力でどんな結末を迎えるのか、この目で」


 ノゾミの説得力のある物言いに反論の余地はない。


「そうだよね。ノゾミちゃんだもんね」


 ナナはノゾミの述べた理由に納得して満足していると、ノゾミは今度は仕返しとばかりにニヤリと口角を上げてナナを見つめた。


「さて、問題は星川さんをどうやって元の世界に戻すのかだけど……」


 ギクリと肩を揺らし気まずそうにノゾミを見上げるナナ。

 一気に形勢が逆転したことに内心得も言われぬ思いを抱きながら、ノゾミはナナの核心をつくような鋭い質問を投げかけた。


「本当は知ってるんじゃないの?星川リュウセイが元の世界に戻る方法。そして彼がこの世界に来た理由も」


 互いに見つめあいながら様子を伺う二人。


「うー。見破られちゃったか……。そうだよね、隠し通せないよね」


 けれど、睨めっこはおしまいとばかりにナナが目線を逸らすと、ナナはそのまま弱々しく囁いた。


「そうよ。親友に隠し事は良くないのよ」


 ノゾミはその通りだと言わんばかりに首を縦に振っている。

 ナナはそんなノゾミの姿を見つめ、心の中で


「ノゾミちゃんには敵わないな」


 と呟くと、意を決したかのように覚悟を決め、ある前置きと共に隠蔽していた真実を語りだした。


「偶然だったんだよ。あれを見つけたのは……」

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