表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

蕎麦屋は二度ベルを鳴らす 3

作者: 天ヶ森雀

某呟き所にて突発的に発生したリレー企画小説第3話です。第1話は巳田 弥様のこちら(http://ncode.syosetu.com/n8824w/)、第2話はまめご様のこちら(http://ncode.syosetu.com/n0181x/)、今作の続きである最終話はkuro-kmd様のこちら(http://ncode.syosetu.com/n6171x/)になります。あくまで同一作品を作風を変えて楽しむものであり、前作のイメージが壊れても一切責任をとれませんので、予めご了承くださいませ(ぺこり!)

 白い背中に口付ける。

 浮き上がった背骨と、翼の名残りの様な肩甲骨を長い指が丹念になぞり、染みひとつない皮膚の脇の下を通って、膨らみ始めたばかりの乳房を手のひらが覆う。

 強張る華奢なうなじに唇を滑らせて、男は甘い声で囁いた。


「愛してるよ―――」


 背後から、未だ幼さの残る桜色の唇を人差し指で撫でると、小さな舌が恐る恐るその指をペロリと舐めた。柔らかい粘膜の感触に背筋をぞくりと振るわせながら、それが彼女の是と受け取って、男は少女の身体を自分の腕の中へと引き寄せる。


 少女は抗わず、長い睫毛をゆっくり伏せると、男の胸にその身をすっぽりと預けたのだった。



  ◇◇◇



 人通りの多い往来を、びっこを引きながらも器用に人ごみを避けて歩いていた背むしの小男は、自分のうなじにちりちりと何度目かの視線を感じて振り返った。

 人波は滞る事なく流れ、怪しき人影はない。火傷の痕が広がる額をつるりと撫でながら、男は思案気な顔になる。

 気のせいかと歩き出した時、視界の下の方から甲高い声がかかった。

「旦那! 靴を磨いていかないかい? ピカピカにするよ? 男前がぐんと上がるよ?」


 見れば埃り立つ雑踏の片隅で、歯抜けの顔を墨だらけにした様なガキが、古布を握ってニコニコしている。

 いつもなら無視する声に珍しく応じたのは、首の後ろに感じる違和感の正体を確かめたかったからだ。

 粗末な木箱に足を乗せながら、隙のない目付きで背後を窺う。しかし、やはり怪しい気配は何もしなかった。

 仕方なく、靴を磨き終わった子供の手に小銭を落とす。

「毎度ありぃ! またどうぞ!」

 威勢の良い掛け声を背に受けながら、男は人混みへと紛れていった。


 還暦が近いにしては危なげのない男の足取りを、横丁ごとでその顔ぶれを少しずつ変えながら、子供達が追いかけていた。

 風呂敷包みを抱えながら、小さな洋品店に入っていった男を、はすむかいの角からじっと見張っていると、カランとカウベルを鳴らして、今度は上品そうな紳士が出てくる。


「あ、さっきのおっちゃんだ!」


 小声で叫んだのは靴磨きの少年である。

「嘘だぁ。全然違うじゃないか!」

「間違いないよぉ。だって俺、さっき靴を磨いた時に、靴の裏に印を付けといたもの」

「ええ!?」

 数人の少年達がこそこそ顔を見合わせる。確かによくよく見れば、靴の裏には微かに光る塗料の跡があった。

「でも…あの人せむしでもないし顔に火傷の痕もないよ?」

 むしろどちからと言えば中肉中背、誰の目にも止まらなさそうな平凡な外見だった。

 一度顔を見ても二度目には忘れてしまいそうな。

「とにかく追い掛けるんだ。で、結果を小林団長に報告するんだ」

 リーダー格の少年が潜めた声で結論付けると、少年達はまたバラバラと散らばりながら、ターゲットの男を追い掛け続けていた。



 ◇◇◇



「ほうほう、富士子さんの事ならよく覚えてるよ」

 年季明けで住吉家を辞去したと言う老女は、生き別れの叔母を探していると言う小林少年の言葉を疑う事なく人の好い笑顔で答えた。

 二人並んで腰掛ける長屋の縁側は、秋の陽射しが暖かい。

「お屋敷に来たのは数えで11か12だったかねえ。その名の通り、ヒョロヒョロと背ばっか高くて、しかも背格好が奥様とよう似とったから、後ろから見ると皆よう間違えてねぇ」

「へえ。僕の父も背が伸びるのは早かったらしいから、その辺血筋なのかなぁ」

 無邪気な少年の相槌に、老女はますます目を細め、手土産に貰った羊羮を旨そうに頬張った。

「そうそう、洋行帰りのせいかズボンを履く事も多くてね、男の子に間違えられる事も多かっただ。塀の上になんか平気で歩いちまってよう。なぁんか不思議な娘っ子だったねぇ」

 米寿を迎えようかという老女には、30年前の事も一昔になるらしい。懐かしそうにふふふと笑った。

「お話ありがとうございます。おかげでやっぱり叔母の可能性が高い確信が持てました。僕、勇気を出して会いに行ってみます」

「そうかい。頑張ってくんなしょう」

 別れの挨拶を述べて縁側から立ち上がると、小林少年はふと思いついたようにもうひとつ訊ねる。

「そう言えば…おたきさんがお屋敷を出たのは12年前でしたっけ?」

「そうさな。そんなもんじゃな」

「じゃあ、住吉の旦那様が亡くなった頃は…」

「おんや、そんな事も知っとるんかね」

「叔母がお世話になった方だし、色々調べてたらたまたま…」

 些か苦しい言い訳も、老女にとっては疑う理由はなかったらしい。

「そうかい…。あれは恐ろしい事故だったよ。朝まで誰も旦那様が階段から落ちたのに気付かんでねぇ」

 いかにも忌み事に遭遇したように、老女は悲しげに顔をしかめる。

「落ちた音とか聴こえなかったんですか?」

「はあ、どうだったかねぇ。下働きは屋敷の反対端に寝部屋があったでねぇ。ただ…」

「ただ…?」

 小林少年は老女の記憶を妨げない様に静かに聞き返した。老婆の目が遠くを見るように細くなった。


「今思うと、犬の鳴き声がえらく煩かった気はするねぇ」



 ◇◇◇



 堀端の柳を目印にした蕎麦屋『徳庵』の、一番奥の席で探偵は座敷の床に何かを広げ考え込んでいる。

 広げた紙は端がすっかり黄ばんで、手に持てば今にも崩れそうな古めかしさだったが、その表面に書かれた絵や字は充分に見てとれた。

 中央に少年とも少女ともつかぬ美しい若者がなやましげな目で微笑み、周りには怪しげな怪人奇人の絵が描かれている。縄を渡る者、天から落ちてきた様なブランコに乗る者、火を吹く者や水柱を操る者。その絵の下の部分には、やはりけばけばしい色合いで大きく『魔界転ショー』と書かれている。

 所謂(いわゆる)サーカスの興行ポスタァだった。

 三十年程前に上海の街に貼られていたものを、印刷所のツテを辿って入手したのだ。

 写真ではないから外見の正確さには欠けるものの、中央にいる男装の美少女が、当時、一座の花形奇術師だった蘭子だろう。化粧を施しているせいか、由美子とはあまり似ていない。

 怪しさを狙ってわざと毒々しく描かれたそのポスタァと、自分の黒皮の手帳に書き込まれた文字を、探偵は見比べる。

 始めの時系列のメモには以下の事が書いてあった。


・30年前~上海にて住吉権蔵氏、興行奇術師の蘭子を見初めて後妻に。同時に蘭子のたっての願いで、一座にいた小峰富士子(当時11歳)と次元元次(つぎもとげんじ)(28歳)を連れて帰国。


・一年後、由美子誕生。


・由美子13歳、住吉銀行が御竹銀行を買収。同年、住吉権蔵事故死(屋敷内にて階段転落)


・由美子14歳、蘭子は大蔵官僚の大岡平次と再婚。


・由美子17歳、大岡が事故死(交通事故)。


・由美子20歳、鉄郎氏が婿入り。同時に鉄郎は富士子を連れて仕事のために渡英。


・由美子21歳、蘭子死去(夫の事故を目前にした事による心因性の病死?)。


 確かに人死にが多いかもしれない。とは言え不審と思うほどではない。むしろその状況の奇妙さを後押しするのは、やはり御竹銀行の買収劇だろうか。

 しかし――


 考え込んでいた路場戸出の耳に、カラカラと店の引き戸を開ける音が響いた。顔を上げると、記憶より老けた、けれど精悍さだけは増している昔の同僚が彼を見下ろしている。

 髪にいくらか白いものが混じるものの、仕立ての良いツイードのジャケットを着こなしたその姿は、アクション映画のスタアの様でもあった。

「相変わらずしょぼくれた顔してるなぁ、ロバさんよぉ」

「ご挨拶だな、凡人(ぼんと)。相変わらず官費で海外を遊び回ってるんだろうが」

「うるせえよ。仕入れた情報やんねぇぞ?」

「いいからそこに座れ」

 促されるまま外務省官僚の是武須(ぜむす)凡人(ぼんと)は靴を脱いで上がり框に腰を下ろす。片手に下げていたトレンチコートを床に置き、路場戸出が広げていたポスタァに目をやると、ピューと口笛を吹いた。年の割にリアクションが軽い。

「おや、懐かしいねえ。確かかぐや座の上海公演だろう、それ?」

「覚えてるのか? もう30年以上前のものだぞ?」

「ああ、ちょうどその頃赴任してたしな。面白そうだから何度か見に行った。花形奇術師の女の子が綺麗でさあ。衣装がまたこう、胸とか足とか…いやぁ良かったなあ…。あ、俺、鴨南蛮1枚ね。え? こいつと同じ? まあいいや。それお願い」

 注文を聞きに来た女将がとろけるような笑顔をくれて、凡人は懐かしそうに再度ポスタァに目をやった。

 そんな昔馴染みに、探偵は呆れた様な声を出す。

「…そういや、お前昔っから女好きだったもんなァ。帝大に入ってからも赤線に通うほうが多かった」

「よせよ、昔の話は。お前だって怪しい場所にばっか出入りしてたじゃねえか。んで? その一座の興行と頼まれてた調べモンとはなんか関係あるのか?」

「…訊かない方が身のためって奴だな」

 路場戸出の少し落ち窪んだ目が妖しく光る。

 この男がこう言った時はおとなしく引くのが剣呑と、凡人はスーツの胸ポケットから自分の手帳を取り出した。


「お前の言うとおり、30年ほど前、上海では一連の窃盗事件が世間を騒がせていた。いわゆる金持ちの家から宝飾品ばかりを盗み出す奴らで、警察に被害届けを出したのは8件だけだが、表沙汰にできないやつはもっとあったらしい。つまり…大っぴらにできない好事家のコレクションもあったという事だ」

「さもありなんだな。で? 結局当局はそいつらをお縄にはできなかったのかい?」

「そういう事だな。上海警察も躍起になって賊を追ったらしいんだが、とにかく事を公にしたがらない被害者が多くてね。彼らの名誉と威信に関わるから大っぴらには言えないが…尻尾一つ捕まえられなかったってよ」

「………」

 ポスタァをくるくると丸めて筒型のケースにしまうと、路場戸出は古びたシガーケースから煙草を一本抜き出し、卓上で紫煙をくゆらせる。

 さて。

 この話は今回の依頼に関係があるだろうか?

 あるとしたらどう繋げる?


「へい、鴨南蛮2枚お待ち!」


 間に生じた沈黙を埋める様に、女将が運んできた鴨南蛮を二人は同時にすすり始める。脂の乗った鴨肉を、香ばしく焼いて漬けた汁が絶品だった。

「ロバさんよ」

「俺はロバじゃねえ、路場戸出(ろばとで)だ」

 なぜ助手の少年とのやりとりをこんなところで繰り返さねばならんのだ。好きで変わった名字に生まれたわけではないのは、お互い様だと思うのだが。

「あー、はいはい。今度呼び出す時はもっといいものを驕れよな」

「何言ってんだ。だから蕎麦屋に呼び出しているだろうが」

「………」


 そう言えばこの男が外務省を辞めて警察に移ったのは、「海外には蕎麦屋がない」という理由だったような。

 いや、確かにこの店の鴨南蛮は美味い。このコクと蕎麦の香りのバランスはそうそう味わえるものじゃない。

 とは言えいい歳の親父が二人集まろうとするなら、もっと相応の場所があるんじゃないだろうか。

 そう、例えば極上のバーボンやスコッチを味あわせる地下のバーとか。


 ―――いやダメだ。この男と蕎麦は切っても切れない何かがある。

 凡人は諦めの境地というものをその身に実感しながら、絶品の鴨南蛮をもう一枚と締めの笊蕎麦を追加注文した。


   ◇◇◇


「わざわざご足労頂き申し訳ありません。えーと…らばとでさん?」

路場戸出(ろばとで)です」


 探偵が通されたのは、『社長室』と大仰な札がかかったオフィスビルヂングの最上階だった。勧められて大きな革張りのソファに腰を下ろす。向かいに揃いの一人掛けのソファがあり、世にも美しい青年が座っていた。

 自分の失言を恥じる様子も無く、日本人離れした長身と彫りの深い顔立ちを面白そうに崩して、男は顔の前で優雅に指を組む。

 後ろに流していた前髪の、一房だけがゆるくカーブを描いて額に落ちていた。

 30代も後半になるのではなかっただろうか。それにしては随分若々しい。

「よもやあなたに呼び出されるとは思ってもみませんでした」

 探偵は苦々しさを隠しながらぼそぼそと呟いた。

 情報漏洩には最新の注意を払っている筈だが、どこから情報が漏れたのだろう。そろそろ耄碌し始めたと言う事だろうか。

 苦虫をつぶしたような顔で、探偵は男の背後にかかった大きな絵画に目をやる。


 油絵ではない。

 日本画になるのだろうか。

 しかしその意匠は一風変わったものだった。

 大きな円を象って、兎と狼がそれぞれ背を丸くして飛びながらお互いの尻尾に噛み付いている。

 それは敵同士の終わらぬ戦いの様でもあり、何故か愛しい者同士のじゃれあう姿にも見えた。


 改めて目の前の男に視線を戻す。

 男はゆったりと微笑んだまま、先ほどから微動だにしない。このまま動かなければ象牙か大理石でできた塑像だと言われても信じるかもしれない。


「で、私にどんな御用で?」

「妻の依頼内容をお教え頂きたい」

「それは守秘義務に反します。どうかご勘弁を」

「そう言わずに鯖戸出(さばとで)さん」

路場戸出(ろばとで)です」

「おっと失礼。ならば改めて申し上げますが…私は妻を疑った事はありません」

「はあ」

「由美子が何を何故そんな風に思ったのかはよく分かりませんが、私は妻を愛しています。そして信じています」

「はあ」

 彼の発言からするに、この男は依頼主の依頼内容を知っているらしい。

「だから、あなたのなさっている事にあまり意味はないと言う事です。河馬戸出(かばとで)さん」

路場戸出(ろばとで)です」

「…ああ、すみません。どうも人の名前を覚えるのが苦手でして」

 ようやっと男は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。

「構いません。まあ、滅多にない名前ですしな」

「そうですよね。くふふ」

 何が可笑しいのか、目の前の男は子供の様な無邪気な笑い声を上げる。

「とにかく。信じて欲しいんです。私が彼女を愛していることを。――そう、初めて会った15年前の夏からね」

 そして初めて彼女を抱いたあの日から、と言う言葉は舌に乗る前に淡く口中で溶けた。

「だからこそ…私は住吉が御竹を買収する様に、大岡を使って工作したのですから」

「!」


 突然衝かれた核心に、探偵は言葉を失う。

 この男があの買収劇の影の仕掛け人?

 しかし、何故そんな事を―――


 混乱を押し隠す探偵を面白がるように、御竹の最後の総領であった旧姓:青梅鉄郎は、殿上人の様な優雅さで彼を見つめ続けていた。



改めて最終話はkuro-kmd様の(http://ncode.syosetu.com/n6171x/)よりどうぞw 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ