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黎明の百鬼夜行戦記  作者: 沼口ちるの


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第一話:目覚めれば、現世の陽炎

視界が歪む……


千年前、燃え盛る大内の内裏で意識を失ったはずの俺『安倍晴明』が最初に関知したのは、肌を刺すような冷たい空気と、アスファルトの匂いだった。


「……おい、いつまで寝ている。これでは日が暮れてしまうぞ」


鈴を転がすような、だが芯の通った凛々しい声が鼓膜を震わせる。


ゆっくりと目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。


空を突くような鉄とガラスの塔、絶え間なく流れる光の列。

平安の世には存在し得ない、異形の摩天楼が夕焼けに赤く染まっている。


そして、俺の頭を自身の膝に預けている一人の少女がいた。

黒いブレザーに短いスカートという、この時代の装束に身を包んだ彼女は、苛立たしげに自身の長い銀髪を指で弄んでいる。


だが、その頭上から生えた二つの耳……白く柔らかな狐の耳が、彼女が人ならざる者であることを雄弁に物語っていた。


「……葛葉くずは、か?」


俺がその名を呼ぶと、少女は黄金色の瞳を僅かに細め、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「今の名は葛城凛だ。この時代、あまり前の名で呼ぶなと言っただろう。主の魂が定着するまで百年単位で待たされた私の身にもなってみろ」


彼女はかつての俺の式神であり、数多の戦場を共にした九尾の狐の化身だ。


俺が死の間際、転生の秘術を施した彼女は、千年もの間、現代という孤独な時間を生き抜いて俺を待ち続けていたのだという。


俺は身を起こし、自身の体を確認した。

指は細く、肌は瑞々しい。かつての老いた体ではなく、十代後半の若者の肉体だ。


術の反動か、記憶の一部は混濁しているが、魂に刻まれた陰陽道の理だけは、今もなお熱く脈打っている。


「状況を教えてくれ。俺を呼び戻したということは、ただの再会が目的ではないはずだ」


俺の問いに、凛は表情を硬くした。彼女は立ち上がり、眼下に広がる大都会を見下ろす。


「見ての通りだ。この世界は一見、平和に見える。だが、人の負の感情は千年経ってさらに肥大化した。呪いは電脳の海を駆け巡り、闇に棲むあやかしたちは、もはや人の手に負えぬほどに凶暴化している」


凛が指差した先、新宿の雑居ビルが立ち並ぶ路地裏から、どす黒い瘴気が立ち昇るのが見えた。それは並の妖怪ではない。人の怨念を吸い上げ、神の領域にまで手をかけようとする悪鬼の波動だ。


「かつての百鬼夜行は、ただの夜の行進だった。だが今の奴らは違う。現世を喰らい尽くし、常世へと変えようとしている。……主よ、もう一度、私に命を。この歪んだ夜を、貴方の指先で裁いてみせろ」


彼女が俺の前に膝をつき、恭しく頭を垂れる。

その姿は、かつての平安の庭で交わした契約の儀式そのものだった。


俺は右手を空にかざした。

五芒星の残光が、手のひらにぼんやりと浮かび上がる。


今の俺には、かつてのような強大な霊力はない。だが、知識はある。

そして何より、命を賭して付き従うと言ってくれる、この美しき式神がいる。


「いいだろう。この混沌とした令和の世に、真の百鬼夜行を知らしめてやる」


その瞬間、路地裏から咆哮が響いた。

影の中から現れたのは、巨大な蜘蛛の脚を持つ異形の怪物だ。

人の顔をいくつも背中に浮かべ、よだれを垂らしながらこちらを睨みつけている。


「凛、まずはあの土蜘蛛の紛い物からだ。風を読み、核を貫け」 「御意、我が主。……久々に、暴れさせてもらうぞ!」


凛の背後から、目も眩むような黄金の炎が噴き出した。

それは九本の尾となり、夕闇を昼間のように照らし出す。


彼女は弾かれたように跳躍した。ビルの壁を蹴り、重力を無視した速度で怪物へと肉薄する。


俺は懐から、凛が用意していたであろう新品の呪符を一枚抜き取った。

急急(きゅうきゅう)如律令(にょりつりょう)指先で霊を練り、一気に言葉を紡ぐ。


「急急如律令! 風神、その道を切り拓け!」


放たれた術が凛の加速をさらに促し、彼女の爪が土蜘蛛の肉を容易く引き裂いた。


断末魔の叫びがビル街に響き渡るが、不思議と通行人たちは足を止めない。


この戦いは、人には見えない境界の向こう側で行われているのだ。


怪物が塵となって消えていくのを見届けながら、俺は冷徹に周囲の気配を探った。


今のはほんの小手調べに過ぎない。


この街には、まだ数多の妖気が潜んでいる。


「凛、他には? まだ仲間がいるのだろう」


「ああ、そうだ。この街の影には、主の帰還を待つ者が他にもいる。……だが、どいつもこいつも一癖ある妖の物ばかりだ。覚悟しておけよ?」


凛は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、俺の手を引いた。


これから始まるのは、失われた秩序を取り戻すための戦い。


転生した最強の陰陽師と、美しき妖怪たちが織りなす、新たなる百鬼夜行の幕開けだった。



【後書き:葛城凛】


ようやく……ようやく会えたぞ、主。

千年だぞ、千年! 私がどれほど退屈な時間を過ごしたと思っているんだ。


……ふん、まあいい。また貴方の指先一つで私が舞うというのも、悪くはない。


それにしても、この時代の服というやつはどうにも落ち着かんな。


特にこのスカートとやらは風通しが良すぎて困る。


主、あまりジロジロ見るのではないぞ? さあ、次は我らの仲間を探しに行くとしよう。


主を待ちくたびれて、少々荒ぶっている奴もいるからな。

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