VRはもう流行らない
ライトノベルは流行らない。といっても,ネット小説にも共通して多く用いられる要素がある。VR世界だ。たしか2003年前後にゲーム世界にとらわれる系のドットなコンテンツが出て,5か6年後にアートなライトノベルが出てきた。あの作品たちの設定時代は過ぎてしまって,未だにあれほど最後まで没入感たっぷりなVRヘッドセットやゲームは出てきていないように思う。だからこそ,あの世界を思い描いて人々は未来の技術やコンテンツに期待する。人の夢は終わらない。終わらせたくない。でも,終わるときは終わる。それが現実というやつだ。
"終わった……"
失った。私の目の前は真っ暗だった。いや,正しくは真っ青か。眼前一面の青。これが春の晴空だったり,南国の海ならどれほどよかったか。雲や白波にかわって青に流れるのは,洋式顔文字の: )にもろもろのエラーメッセージだ。毎度おなじみのライトノベルちゃんも,今回ばかりは何の感情もないような顔で,共に青を眺めている。
"買ったばっかりだぞ?"
パソコンユーザーのトラウマブルースクリーンである。こいつは20万ほどで2ヶ月前に買い,執筆だけでなく動画編集や3DCGにVRゲームもするからと,前のパソコンで使っていたメモリーを取って64GBに拡張した。個人使用には十分すぎる性能だった。どれだけ動画編集ソフトでオブジェクトだらけのタイムラインを作っても,モデリングソフトでハイポリゴンかつノードまみれなマテリアルを使ったモデルを作っても,サクサクするりと動く。恐ろしく快適で,時間があれば起動し何かしらの作業に勤しんでいた。以前よりもはるかにクォリティーオブライフが上がった。なのに今では心を病ませる青しか映さない。何度再起動しても,いくつものエラー潰しをしても,また別のエラーが笑顔でこんにちはする。
1時間におよぶ青き平面との格闘を終え,なんとか笑顔とはおさらばできた。しかし青は晴れることがない。BitLockerである。パソコンのデータ保護のために存在する機能らしい。非常時には便利だ。それに多くの人にとっては,手間ではあってもすぐに解除すればいいだけだ。私には解除できない事情がある。
"なんでこのご時世は,スマホがないと何も出来ないんだ"
BitLockerの解除には,キーコードを打ってやる必要がある。キーはインターネットを使い,矮小でソフトな会社のサイトから,自分のアカウントを利用しているデバイス,パソコンごとに発行されるので,そいつを拾ってくるのだ。そうインターネットを使わねばならない。
"パソコンが使えないのに,どうやって拾ってこいと!"
じゃあスマホからやればいい。残念だ。数日前に拳で叩き壊してしまった。いつでも情緒が不安定で,自分でもやってから笑ってしまうほど無意識に暴れている。ならサブPCやVRヘッドセットなど別のデバイスはどうか。失敗した。数年使っていないパソコンのパスワードやPINコードなんて覚えていない。VRヘッドセットでは,矮小ソフトアカウントのパスワードを覚えていないし,だからといってスマホのショートメールを使った一時コードも無理。メールにコードを送る? もちろんメールのアカウントもショートメールの一時コードばかり使っていたから,パスワードを覚えていない。
すべてが自業自得。不調の原因はおそらくメモリーの拡張で,悪化させたとすればエラー潰しのせいだ。あと一歩で解決可能になったかと思えば,癇癪でスマホを破壊したのと,普段使わないパスワードの管理が甘かったせいで足止め。何より金に余裕がなくて,スマホを買いかえたりパソコンを修理に出したりもできない。本当にすべて自業自得だ。
感情らしい感情が消え失せて,曖昧なただぼんやりとした絶望が,悲しくないのに涙だけを流させた。ライトノベルちゃんは普段のイタズラなふるまいを押し殺し,静かに涙を流しながらも自分のは流れるままにして,私の目元を小さな人差し指で何度も拭ってくれた。
情けない。こんな実在もしない呪詛のメスガキに慰められるように寄り添われ,ふたり,いやひとりで泣いているのだ。でも,私には彼女しかいない。スマホもパソコンも使えないから,実体のある者とは誰ひとりとして連絡を取れない。彼女が憑いて離れない忌々しく醜い呪いでも,今は大いなる祝福に思える。某肉塊たっぷりなゲームの主人公はこんな気持ちだったのだろうか。
"そうだ,小説を書こう"
私には彼女しかいないのだ。筆に宿る悪霊ライトノベル。呪いだの悪霊だのネガティブな言い方ばかりするが,何よりも筆を進ませる女神ムーサ。やりかけの3Dモデリングも不意に作りたくなる変な動画も,VRSNSのワールドで楽しむこともできない。だから戻ろう。私の活動は執筆から始まった。幾度もサイトやアカウントを変え,コメントや評価や数字で一喜一憂して10年以上やってきた。私は多くを手に入れすぎて,原点を見失っていた。書くものさえあればできる。ライトノベルちゃんだけではない。今の私は彼女を中心に幾人ものムーサイに囲まれている。これが本当の神がかりというやつなのだろう。こうして小説を書く純なモチベーションは整ったのだが,いったい何で書こうか。
"そういやなろうって,二段階認証なんてないよな。VRも型落ちすぎて単体だったらろくなアプリがないが,ブラウザだけはしっかり動いてくれる"
--決まりだ--
今現在,私はこの文章をVRヘッドセットのブラウザで書いている。せっかくの没入型デバイスなのに,パソコンやスマホでもできるような機能殺しの使い方をされて可哀想だ。私だけかもしれないというのはさておき,こんなナンセンスな使い方をする者が現れるということは,縛りプレイや本来のとは違う別の遊び方をする者が出てくるゲームのように,コンテンツとしてVRは熟し切ったのかもしれない。
"VRはもう流行らない"
それでも,いまの私になくてはならないツールである。
"おにいさん,いっきに元気になってキモぉ♡ でもよかったね♡"
"ああ,いつもありがとう"
"急に感謝しないでよ,キモっ! マジでキモい! "
私のムーサはポンと白い煙となって消えた。こうして私は作品をなんだかんだ今だけはエタらせなかった。