第七話
「どうしてこんな事に……」
六杜部村の村長である里茂は、村の防御結界障壁へと体当たりを繰り返す〝阿修羅〟の群れを、村役場の災害対策本部に設置されたモニターを呆然と見ていた。
「村長! しっかりするっちゃ! 住民の避難は進んじょるが、しっかり村長が指揮をせんと間に合わん様になるちゃ! ジジババが多すぎるやが!」
村の相談役となっている元C級冒険者であった初老の男は、呆けている村長に檄を飛ばしている。
今回の事態が発覚した瞬間から、実働の指揮は彼が村長の代わりに行っている。しかし、身一つでは全てを指揮することは出来ない。村長には、避難の陣頭指揮を取ってもらわないと、彼とてモンスターに対応することが出来ない。
「あ、あぁ……そうだな。そうだな! 防護結界は、一時間は保つのだから……」
村長が放心状態から戻り、瞳に僅かながらも光が戻った時だった。ガラスが割れる音が、対策本部に響き渡る。それは、その場にいる者全員が、一瞬言葉を失い、行動を止めるには十分な音だった。
「う…あ……うわぁああぁああ!!! 結界が砕かれたぁあああ!」
「落ち着け! みなも落ち着くっちゃ! まだ一層だけやが! まだ二層ものこっちょる! 慌てずともみなで動けば、全員避難出来るが!」
村の相談役であり元冒険者の肩書きがあれど、辰臣の声は、目に見える迫る死の危機を前にした人々に届くことはなかった。
「パニックになりよった……このままやと、収集がつかんようになってまう」
現代において魔物の大氾濫は、先進国においてはほぼ起きることはない。
中世の時代における魔物の大氾濫とは、管理されなくなった若しくは未発見の迷宮が、突如崩壊するさいに発生する現象であり、国が滅んだという記録が残るほどの厄災であった。
しかし、先進国においては、定期的に探知用魔導具を用い国土調査を行う国がほとんどであり、ニュースで魔物の大氾濫が話題になるのは遠い開発途上国での事というのか、この国住む国民のほとんどの認識であった。
だからこそ、普段味わうことのなかった命の危険により、視野が狭くなり、魔物の大氾濫とは程遠いほどの規模でしかないはずの魔物の数が、恐怖で増幅されてしまう。
「魔物の大氾濫だぁああああ!」
「違うちゃ! よく見てみられ! せいぜい、数十匹の鬼やぞ!」
一度パニックになった集団を、正常な状態へと戻すのは難しい。しっかりとした知識があるのであれば、村の防御障壁が一層壊されたとしても、まだ二層残っている時点で、落ち着いて行動すれば問題ないことはわかる。
元冒険者の辰臣からしたら、ギルドへ緊急連絡を行っており、二層の防御障壁が破られるまでに、経験上ではまだ時間はかかる見立ての為、指揮さえ乱れなければ、安全に年寄り含めて全村民を避難出来る筈だと考えていたのだ。
しかし、魔導技術の発展もありこのような事態に職員が慣れていないこともあったが、この六杜部村の特殊性も、防衛本部の職員達がパニックを起こした原因もあった。
六杜部村は、鬼神を信仰しており、村を護る存在として鬼は認識されていた。それは、偶然にも鬼の縄張りに、村が入っていなかったというだけなのだが、鬼の縄張りが村周辺に存在していた為に、他の魔物が村に侵入することを防ぐ結果となっていたのだ。
何故、六杜部村自体を大鬼が縄張りにしないのかは、現代においても明らかになっていない。しかしながら、村民は結果的に自分たちを他の魔物から護ってくれている大鬼を脅威とは思わず暮らしてきたのだ。
だからこそ大鬼が、魔物特有の血走った瞳、唾液に塗れた口、恐ろしい爪が、自分達に向けられている現状に、心が耐えられない。他の魔物であれば、驚きこそすれ、ここまで村中が恐慌状態とはならなかったのだろう。
他ならぬ守り神に、強烈な魔物感を見せつけられたからだった。
人口二千人にも満たない様な、小さな村である。役場所員が慌てふためき飛び出して間も無く、何が起きているのかが伝言ゲームのように伝わっていく。その結果、パニックは加速する。
落ち着いて行動と避難の指揮が機能していたならば、十分に全員が無事に村を脱出する時間は、残り二層の防御障壁は作り出せると、辰臣はこれまでの経験上見立てていた。
だからこそ、彼はこのパニックになっている状況を最悪だと考え、何とか状況を落ち着かせようと村内放送を使い、しっかり状況を説明しようとした。
ただ一つの彼の過ちは、最悪までに時間的余裕があると判断したことだった。
それは、彼の見込み違いだった。
村役場の放送室へ辰臣はかけ込んで、村内放送のスイッチをオンにした。
そして、まだ二層の防御障壁がある為、避難する時間的余裕はある旨を伝え、皆に落ち着いて行動するように呼びかけようとした瞬間、立て続けに二度のガラスが砕けるような音が、大音響で響き渡ったのだった。