第一話
「あれぇ? 今日って、飛竜注意報出てたぁ? ほら見てみ、あそこ飛んでるわ、ウケるぅ」
「しらなぁい。てかさ、それよりどこいくよ」
高校帰りの女子高生が、空に飛ぶ飛竜を気にすることなく、駅に向かって歩いていく様を横目に、斗波 佐武朗丸は気だるそうに紫煙を吐き出す。
「ここで落すと、プラマイで言ったら……マイナスだよなぁ」
ろくに櫛も通らないであろう髪を掻きながら、眉間に皺を寄せながら空を見る佐武朗丸の両目には、酷い隈が出来ていた。
「あぁ、もしもし。俺だ。あ? いつの時代の迷惑電話だ、そんなことするかよ。俺だ俺、飛竜が街の上にいやがる。見た感じは、子供だろう。群れから逸れて、こっちに飛んできたってとこだろうな」
今では珍しくなった所謂折りたたみ式のガラケーを耳に当てながら、飛んでいる飛竜を指先で摘むような仕草をしながら、どうやら電話の相手に飛竜の大きさを伝えているようだ。
「そっちで、No.819地区に誘導してくれ。そこで仕留めるが、今度はペイントを忘れるなよ。はいはい、分かった分かった」
耳から携帯を離すと、強めにガラケーを折りたたみ音をわざとらしく音を出す。それは佐武朗丸の癖である。
「さぁ、お仕事の時間だ」
冒険者として仕事モードに入る時、これが彼の合図になっているのだった。
剣と魔法のファンタジーは、子供に読み聞かせる童話ではなく、中世の頃の世界の有様であり、現代においては単なる古い歴史の一端でしかない。近代化が進み、高度に発達した文明における魔物の脅威とは、野生生物の獣害よりも少し怖い程度という認識する程度となっていた。
〝冒険者〟という職業も現代では国家資格化され、医師や弁護士資格と同格のものとして、一般的には知られており、冒険者全盛時代すなわち中世の頃とは異なり、高度な技術を要する専門職という位置付けとなっている。
自身が指定した処理区へと急ぎ愛車の自転車を走らせる斗波 佐武朗丸もまた、難関の冒険者資格を手にし、この春から開業届を出したばかりの独立したての新米冒険者であった。
そんな彼が、中学からの育ての親でもあり師でもある女エルフから、冒険者家業としての独立の際に選別にと渡されたのは、〝浄化〟の魔法が魔石に刻まれた腕輪のみであった。おそらくは、あまりにも生活力がない弟子を案じて、独立するなら身ぐらいは綺麗に保つようにとのことなのだろう。
事実、彼は身の回りのことに対しての興味が、とことん低い。首都からより魔物への対応が忙しい地方へと独立を機に移り住んだものの、ろくに風呂も入らず、ギルドからの仕事の斡旋を受けまくっていた。
冒険者は、顧客との対応も行わなければならない。自身の管理すら出来ていないような冒険者に顧客はつきにくいのだった。強ければ良い、という時代では現代はないのだ。
特に彼のように個人事業主として仕事を続けていく場合、何よりも客の口コミは重要であり、常連を捕まえなければ稼ぐことは出来ない。大手の冒険者事務所では、ギルドを介さずに依頼を受けることが出来るが、それはテレビやネット、まるでアイドルかのような冒険者が広告塔となることで、依頼を呼び込んでいるのだ。
師と共に冒険者の仕事を経験してきたといえど、それは師の名前に信頼があり、そこに依頼が集まってきただけにすぎず、独立したての名も売れていない者への指名依頼など月に数件しかない。
それでも数件はあるのは、彼の修行時代に師の手伝いではあるものの、主として仕事をさせてもらった際に知り合った客の娘が、偶然にも佐武朗丸のが居を構えた土地にある大学へと進学し、一人暮らしを始めたからだった。
彼女は佐武朗丸の丁度十歳年下であり、才色兼備の御嬢様であるものの、両親の教育方針からかとにかく好奇心旺盛な性格に育ち、かつて見た佐武朗丸の師が使用した魔導具に魅了され、その世界の沼にしっかりはまっていた。
結果として、魔導工学部の名門に自力で入学し、持ち前の高いコミュニケーション能力によって、入学から二ヶ月程しか経っていないというのに、既にお目当ての教授のいる研究室に頻繁に出入りするようになるばかりか、素材を持ち込めば研究室の工具や器具の使用を許されるまでに至っていた。
それは、彼女が有力貴族の令嬢という訳でなく、大学入試の首席合格者であり、すでに高校生の時には学術誌に論文を投稿するような才女であったことが大きい。要は、教授や大学院生が好むような真の魔導具開発ガチ勢だったからだ。
「はいはい、819まで誘導ね。って、まだ自転車で移動してるし。はぁ、勝手にアイツの自転車を魔改造しちゃおうかな」
ドローンの映像を映すモニターを、入り浸っている大学の研究室で見ながら南兎灯莉は呆れていた。
大抵の冒険者は、バイクか車を所持しており、すぐれた機動力を確保している。道路が整備されている現代においては、馬という選択肢は勿論ないのだから。
「いやぁ、彼の自転車はいつ見ても早いねぇ。ん? また自転車が変わっているようだけど、壊れちゃったのかい?」
見た目の印象よりも低めの声が、灯莉の耳元で囁かれ、驚くことなく振り向くと、丸眼鏡をかけた理知的な妙齢の女性が、意地悪そうに笑っていたが、灯莉は気にせずに、いつも通りの答えを返す。
「あんな速度でペダルを踏んだら、壊れるに決まってるんですよ。あれ、ただのママチャリなんですから。氷巳教授、私ってバイクは未だここで自作しちゃダメなんですか?」
灯莉はあからさまにねだる様な上目遣いで、椅子に座ったまま氷巳教授を見上げるが、教授はその問いに答えることなく、銀色の美しい長髪を微笑みながら研究室を出て行ったのだった。
「流石に学部生では、無理か」
研究室に入り浸っているとはいえ、四月に入学したばかりの学部生に、バイクの魔改造は許可されない。灯莉もそれは百も承知なのだが、氷巳教授の許可の基準を灯莉は分かっていないので、毎回ダメ元で尋ねているに過ぎない。
「バイクは夏休みに本気で許可を貰いに行くとして、経験上、自転車の耐久度を上げる方向での魔改造は、きっと大丈夫なはず!」
立ち漕ぎ全速力でママチャリを走らせる佐武朗丸を映すモニターから目を離すと、手元のノートに自転車の魔改造プラン案を書き始めたのだった。
そしてもう一つのモニターには、しっかりとドローンを追いかけてくる赤色のペイントが付着している飛竜が映っていた。
「そろそろだな」
すでに佐武朗丸の周りの景色は、文明的な街並みが消え、荒れ果てた瓦礫が散乱する光景へと変わっていた。その光景を目にしても、佐武朗丸の心には何の動きもない。
ここがかつて自分が幸せだった頃に、家族と暮らしていた場所だとしても。今はもう、単なる職場の一つに過ぎないのだから。
彼が腰に巻くベルトには、十本のダーツの矢がホルダーにセットしてある状態で、括り付けられている。そこから一本取り外すと、ママチャリのハンドルからもう片方の手も手放し、器用に一輪車でも乗っているかのように自転車のペダルを回し続けている。
下半身は自転車のペダルを漕ぎ続けながら、状態を大きく捻る。そしてその瞳は、しっかりと上空の飛竜を見据えている。
「はぁ!」
佐武朗丸の掛け声と共に投擲されるダーツの矢は、空気を切り裂き、まるでレールの上を走っているかのように、飛竜へと空を疾走する。そして数秒と経たないうちに、飛竜の怒り狂った咆哮と共に、その獰猛な瞳が佐武朗丸を捉えた。
一般的に飛竜と呼ばれる竜種の魔物は、息吹を吐くことはない。下級竜と分類される彼らは、あくまで牙と爪、そして尾で獲物に襲いかかる。皮は、下級であったとしても竜の皮は厚く硬く、いくら現代の冒険者が一般人からは逸脱していると言っても、所詮はダーツの矢、しかも魔物用に造られたものではなく、安物の遊戯用のそれである。有効なダメージを、飛竜与えられる類ものではない。
だがしかし、自分が投げれば、飛竜相手にもイラつかせる程度には痛みを与えられることを、佐武朗は知っている。
だからこそ、彼は自転車を止め、地面に降り立ち、待っているのだ。空に生きる彼らが、獲物を仕留めるべく、降りてきてくれるのを。
「流々式舞技〝蚤ノ身〟」
佐武朗の発した言霊は、空中で形となると彼の周りを旋回しながら漂い始め、やがて浮いていた文字が脚に纏わりつき、まるでズボンの上から墨で書いたように文字が記された。
自身にちょっかいをかけてきた相手が佐武朗丸であると認識した飛竜が、敵を仕留めるべく急降下してくる。威嚇するかのように竜の嘶きは、竜が上位の生命体であることを示すかのように、周いの動物達が狂ったかのように逃げ出していた。
しかし、一切逃げる素振りを見せないそれを見た幼い飛竜は、更に苛立ち牙を剥く。
その自分を恐れない餌まで三十メートル程の高さまで降下したきた頃には、まるで竜の形をした巨大な矢の様に風を切り裂く音が、あたり一面に響いていた。
だがその風切音も、直ぐに聞こえなくなった。
何故なら、樹貴が地面を全力で蹴った瞬間、飛竜の首は、胴と永遠の別れを告げたのだから。
地面に落ちていく飛竜と位置を入れ替えるように、空中には佐武朗丸がいた。
まるで某特撮ヒーローのキックを、天に向かって放ったかのような状態で。
「もしもし、J 3314斗波です。はい、市街地上空に迷い込んだ飛竜の子供を討伐しました。はい、そうです。No.819地区に処理班をお願いします。到着するまでは、そのまま待機してます、はい。よろしくです」
空中で体勢を立て直すと、何事もなかったかのようにギルドへと電話する佐武朗丸は、地面に勢いよく着地すると、息を一つ吐いた。そしてズボンのポケットから、くしゃくしゃになっている煙草の箱を取り出すと、飛竜の骸を見ながら、煙草を吸い始める。
「お前が群れから逸れたせいで、俺の目のくまは今日も取れそうにねぇよ」
手を合わせてそう呟くと、紫煙を空に向かって吐き出した。
「冒険者……やっぱり俺は、向いてないよなぁ」
駆け出し冒険者の呟きは、静かになった空へと吸い込まれるように、誰にも聞かれることなく消えていったのだった。