揺れる大地
前回の後書きに記した通り、地震に関する描写がございます。
抵抗感を感じた場合はお戻り下さい。
それでも宜しいのであればこのままどうぞ。
瞬く間に2日が過ぎ去った。午前中は履歴書の清書。午後は職務経歴書の打ち込み。夕方に散歩。寝る前に求人のチェック。そんなルーチンである。自分が職業訓練生と言う皮を被った体のいい無職である事を否応にでも実感させられた。
そんな中、夕方の散歩で俺は異変を感じた。また声が聞こえる。こんな住宅地でだ。
「今日何か変だよなー」
「なー」
何所かから声が聞こえる。何かとは何だ。
「やべぇって。何かあるって」
「どうすんだよどうしよう」
それは俺にも分からない。リギーの言っていた異変とはこれの事だろうか。呼び出して質問したいと思ってもアイツは根無し草らしいし、その辺で遭遇する確率も低い。ぶっちゃけて言うと同じ種類のクワガタに混じっていたら外見では判別がつかないのだ。
「……そろそろ帰るか」
時刻は17時40分。小1時間は歩き回った。歩くのは健康にいいのだ。手軽に出来る究極の運動だ。
「…………こんな所に道なんかあったかな」
記憶にない路地を見つける。民家と民家の間に薄暗い道が口を開いていた。地面をよく見るとコンクリート製の側溝蓋が敷かれているのが分かる。
「あー……ほっそい川だったかここか」
子供ですら何か生き物を求めて散策しようともしない細すぎる川があったのを思い出す。工事して上から蓋を敷き詰め、通れるようになったらしい。ここから行ければ向こうの路地まで民家を迂回しなくても済む。便利なようなそうでもないような。そもそもここを通る人が居るのだろうか。
ふと思いついて小中学校の通学路を歩く。昔からある家。建て直された家。駐車場になって消えた家。これ等が過ぎ去った年月の多さを物語っていた。無性に悲しい気分になる。
所がここにおいても声は聞こえるのだった。
「おかしいなぁ、何だろうなぁ」
「変だよなぁ」
「ゾワゾワするー」
もうよく分からん。気にするだけ無駄だ。若干歩くスピードを速めて帰宅を急ぐ。
夕飯と風呂を済ませ、布団に寝転ぶ。声が聞こえる以外は特に変わらないこの現状。何を意味しているのかも不明だ。それよりも求人を調べよう。ハローワークインターネットサービスにアクセスする。
「……お、未経験可で16~23万、正社員採用、これいいな」
良さそうな求人を見つけたのでお気に入りに登録した。募集の締め切りは来月末だ。夏休みが終わってから動き出しても間に合う。
「こっちは……未経験可で19~25……あ、夜勤専門っすか」
ちょっといただけない。前職でも夜勤は経験済みだが故郷に戻ってまでやりたいとは思わない。申し訳ないがパスだ。
「18~23、三交代制ね……」
訓練校には講師として職業訓練指導員の資格を持った、元プロの人たちが期間限定でやって来る。現役時代の事や実際の仕事がどんな感じかを話してくれるのだが、三交代制はちょっとつらいと言っていた。平気な人も居るけど自分には合わなかったらしい。この辺は人それぞれである。
「……出来れば日勤に絞りたいなぁ」
ちらりと時間を見る。気付けば22時前だ。今日はもう寝よう。生活のリズムを崩したくないし。
「明日は……何所か行くか」
少しは休みらしい事がしたい。何か映画でも見に行こう。なんて思いながら眠りに落ちた。それからどれぐらい経ったか定かではないが、急に目が覚める。暗い部屋を見回すが何も変化はない。
「……ん?」
僅かな振動を感じる。それは次第に大きくなり、激しい横揺れになっていった。家具類もガタガタと音を立て始める。地震だ。
「っとっとっと」
立ち上がって部屋の電気を点けた。窓と襖を開けて部屋を出て、階段の手前に立つ。今ここで階段を下りるのは危険だ。揺れが収まるのをここで待つ事にしよう。
「こんな時間に何だってんだもう」
「ガス栓ガス栓」
両親も起き出した。さすがにこの揺れで寝続けるなんてのは無理だろう。
揺れは2分程度続いて収まった。茶の間に降りて、テレビを見ている親の後ろから俺も映像を覗き込んだ。
「先ほど、県内の内陸を震源とする大きな地震がありました。詳しい情報はまだ入って来ていません。住民の皆様はテレビ、ラジオをつけて、避難に関する情報の収集を始めて下さい。火の元に注意して下さい。ガス栓を閉め、窓や玄関を開けて、避難ルートの確保を行って下さい。繰り返しお伝えします。先ほど、県内の内陸を震源とする大きな地震がありました。詳しい情報はまだ入って来ていません」
ニュースが震源の位置を報じている。内陸。この時点で何となくだが、嫌な予感がし始めた。今の時刻は深夜2時ぐらいである。
その日の昼過ぎから、雨が降り出した。地震の後に雨が降る理由は定かではないが、一説によると地震によって生じた電磁波が大気に影響を与えるらしい。その結果として雨が降るとか降らないとか。
「引き続き、県内で発生した地震に関する続報をお伝えします。現時点で確認された死者は7名、重軽傷者41名、行方不明者11名、倒壊家屋は3棟、震源にほど近い町村での被害が顕著に現れている模様です。現在もなお、行方不明者の捜索が続いております。また県南方面の道路が一部破損、通行の出来ない状態になっているとの情報があり、自治体による確認が急がれています」
聞く限りはそこまで大きな被害ではないらしい。それは人間にとっての場合だ。虫たちの方はどうなのだろうか。トカブの山は無事なのだろうか。移住が完全なものとなるまでは、まだまだ時間が掛かる筈だ。
「…………っ」
携帯を取り出す。何をしようと言うのか。誰に連絡を取るつもりだ。自分以外は全員働いている。呼んだって来れる訳がない。じゃあ来れるようにするにはどうするか。それには納得のいく理由が必要だろう。
翌日、9時頃に家を出た。車は父親が使っているから自転車だ。郊外に出たらそのままトカブの山を目指してひた走る。
「……ありゃ」
1台のパトカーが停まっているのが遠めに見えた。何かあったのだろうか。交通事故にしてはパトカー以外に車がない。まさかこんな所に死体でも転がっていたのか?
「取りあえず近付いてみるか」
距離が縮まっていく。こちらを確認した警官が誘導灯を掲げて停止を促した。走るのを停めると向こうから近付いて来る。
「何かありました?」
「この先で道路が割れちゃっててね、危ないから通行止めにしてるんだ。歩道も同じようになってるから自転車も通れないよ」
50代っぽい制服警官がそう言った。これではトカブの山に行く事が出来ない。まさか押し通るなんて選択肢は選べないし、どうしたものか。
「……分かりました」
「いつもここ通ってるの?」
「今日はたまたまです」
「そっかぁ。暫くは行き来が出来ないだろうからそのつもりでね」
「はい」
素直に引き返す。途中にある防風林に囲まれた神社の敷地に入って、他の道を調べた。さっきの道路が使えないとなると候補は4つ。念のため、警察や消防に出くわさないよう、遠回りする事にした。
「こっちを曲がって……直進して、最初の信号を左か」
候補の中で良さそうな道があった。さっきの道はトカブの山に対して正面、いつも出入りしている方向に到着するが、この道は裏の方に行ける道筋だ。吉と出るか凶と出るか分からないが、とにかく今は山に到着するのが最優先だ。先を急ぐとしよう。
出発して30分ばかりが経過。幸い、パトカーなんかに遭遇する事もなく、トカブの山の裏側に辿り着く事が出来た。
「着いた……疲れた」
だが休んでいる暇はない。自転車を茂みに落とし込んでこっそりと正面に回る。いつも出入りしている所の近くには誰も居ない。チャンスだ。
外からの見た目に大きな変化はなかった。しかし山に入った途端、あちこちに亀裂が走っているのが目に飛び込む。他の木も何本かその影響で傾いていた。雨で土砂が流れ出て不安定になったのだろう。
「……うわ」
そしてトカブの木もまた、傾いていた。それどころか上の方が折れてもいる。中が無事だといいが。
「ショータです、中に入れて下さい」
木に話しかけると、少し小さくなった出入口が開いた。この機能にも何らかのダメージが及んだらしい。とにかく中に飛び込む。視界が前に収束するあの感覚と同時に足が自然と下を向く謎の現象。どうにもおかしいと感じたのは、落ちて行くスピードが妙に速い事だった。少し高い所から落ちたかのような感覚で着地する。
「またお前か、この忙しい時に」
相変わらず悪態をつくマメガが居る。何だか小汚いがどうしたのだろう。
「みんなは無事ですか」
「かなりの数が怪我をした。残念だが死んでしまったのもいる」
想像していた通り、ここ虫たちには人間以上の被害が出ていたらしい。そう言えば今日はここ以外で声が聞こえない。逃げたのかそれとも何かしらが要因となって命を落としたのか。
「……トカブに会えませんか」
「王様も暇じゃない。この騒ぎで少しも休んでおられないんだ」
「ちょっとだけ話が出来ればいいんです、ほんのちょっと」
「…………ったく」
面倒くせぇ、が全身から溢れ出たマメガは奥の通路へと消えた。数分後、マメガはリホキと共に戻って来る。
「ショータ様、お怪我などは」
「大丈夫です」
「それは幸いな事です。王には先ほど、話を通しました。少しだけなら時間を作れるとの事です」
少しか。まぁ自分から"ちょっと"と言い出した以上、そうなるのはやむを得ない。頭の中にあるプランが話し終わるまでどれぐらい掛かるか。トカブが受け入れてくれるか。その辺も問題だ。
「ありがとうございます」
「では、行きましょう」
今回は前に通った道と更にその前に通った道の組み合わせだった。だがこの道もダメージを受けたらしく、幾つか崩壊しているのが分かる。
「こちらでお待ちを」
この先は最初にトカブと話した場所で、2回目の時も1度訪れた場所だ。既に見慣れているが、あちこちにヒビが入ったお陰で様変わりしていた。ここも危ないのだろうか。
「ショータ様、どうぞ」
「失礼します」
中に足を踏み入れる。そこには疲れ切った顔のトカブが居た。
「ショータ、君の家は大丈夫か」
「こっちは何ともない。それより、ここはもう危ないのか?」
「分からない。だが次に同じぐらいの揺れが来たら、持たない気がする」
急いで残った民を送り出しても、全員がここを出ない内に崩壊してしまうのが想像出来た。そうなれば恐らく、トカブはここと運命を共にするだろう。
さて、このプランが受け入れられるか否か。
「トカブ、移住を手伝わせてくれないか。多分、1日で終わると思う」
「……本当か?」
「本当だ」
表情が明らかに変わる。そりゃそうだ。長い月日を掛けて行って来た移住計画がたった1日で終わるなんて考えられない。しかし、それはトカブたちが移動手段に文明を持たないからだ。
「いや、バカな事を言うな。そんな短い時間で終わる筈がない」
「今ここに残っている民の正確な数を教えてくれ。それ次第では本当に1日で終わると思うんだ」
「ショータ、君はそんな事を言うためにここへ来たのか。私をからかっているならよしてくれ」
「トカブ、よく思い出してくれ。君が他の所を視察に行った時、人間の乗り物にぶつかったんだよな。それは車と言うんだ。それを使えば短い時間で移動出来るし、1日の間にここと移住先を何回も行き来が出来る。そうすれば」
「どうにも聞き捨てならん話じゃなぁ」
聞いた事のある声だ。マメガの次に耳にしたあの声。まさか……
「ブンゾー、何所からここへ」
幾つもある出入り口の1つからブンゾーが姿を現した。一番最初に見たあの柔和な表情は消え、険しい顔付きになっている。
「王様のご存知ない道もあるって事です。それより人間。余計な真似はせんでもらおうか」
「……余計な真似してんのはアンタだろ」
「ショータ!」
「ワシが移住を邪魔しているのは人間も知ってるようじゃな。では理由を教えてやろう。ワシは幼い頃、別の所に住んでいた。そこで同じような目に遭ったんじゃ。大地が大きく揺れた後に山が大量の水と共に崩れた。何とか生き延びた先でもまた同じ目に遭った。そうしてここへ辿り着いて一族にお仕えするようになった。もうあんな事は起きないと思っていたがそれは起きた。何所へ行っても同じじゃ。移住した先がそうならないとは言い切れん。ワシはここで死にたい。他にもそう思う仲間が居ると考えたから行動に出た」
確かにそれはそうだ。しかし、生き延びる方法があるならそっちを選択するべきだ。自分1人の言い分で道連れを増やすなんてのは納得出来ない。