3つの山
待つ事、約10分。小走りで近付いて来る音が聞こえた。
「ショータ! 済まない!」
相変わらず通りの良い声だ。立ち上がってトカブを出迎える。
「急に来て悪い。ちょっと時間が出来たから、この前の件を済ませたいと思って」
「ああ、感謝する。別の部屋に行こう」
以前に2人で話したこの空間からまた違う個室に移った。どうなってるのか分からないが、ガス灯のようなお洒落な形をした照明が煌々と光っている。そこでもっと詳しい話を聞く事になった。
「具体的にだが、こういう事を調べて来て欲しいんだ」
1枚の紙を渡される。だが困った。人間の理解出来る文字じゃない。アラビア語か何かのように見える。
「……ごめん、人間には読めないみたいだ」
「そうか。じゃあ1つずつ説明しよう」
調べて来て欲しい事は以下の通りだった。
1・人の手が入っているかどうか。出来るだけ自然な環境であると好ましい。木の高さや太さがバラバラだと人の手が入っていない可能性が高い。
2・近くに川があるかどうか。小さくても大きくてもいいが、水が澄んでいる事が最も重要。
3・目に見えて10種類以上の昆虫がいる事。移住した虫の種類はもっと多いが、それぐらいの数が居ればトカブたちが生活出来る環境にあると言えるらしい。
4・朽ち木の存在。枯れてしまっても新しい芽が生えるので森が長く続いている証拠になる。
5・もし可能であれば、トカブの名前を出していいので移住した民と接触を図り、状況を聞き出して欲しい。
1~4まではいいとして、5については今の俺の状態なら可能だろう。しかし、トカブは俺がそうなってる事は知らない筈だ。リギーと出会った事も同様の筈。
「んーと……この空間以外でトカブたちのような存在と話した事がないんだけど」
「ああ、そうだった。すっかり忘れていたよ。これはやらなくていい。だがもし、向こうで声が聞こえるような時があれば頼みたい」
「まぁ、試してはみる」
さて1つ嘘をついてしまった。これでリギーが絡んで来て面倒な事にならなきゃいいが……
「他に何かあるかな。ないんだったらそろそろ」
「これで全部だ。是非とも、よろしくお願いする」
では早速だが調査に行こう。またハナバとリホキに出口まで送って貰い、俺は外の世界に戻った。
「えーと……20分か」
山口を少し待たせてしまった。急いで山を下りて車の所まで走る。
「悪い、待たせた」
「へーい。話は聞けたんだろうな」
運転席に乗り込み、自分のメモ帳に書き写した物を見せる。無論だが5つ目の事は書いていないしトカブたちの存在に触れる事も端折った。
「……地主か何かか」
「その辺も詳しく聞いてない。かなり長期間放っておいてあるらしい」
「お前さ、山を譲るとか言われてその気になってないか? 面倒くせぇぞ色々と」
「いやそんな事は言われてないな。取りあえず様子を見て来て欲しいってさ」
車を発進させてまず一番近い山へ向かった。ここから5キロほど東にある。近さも相まって、10分程度で着いた。細い小道に車を停めて降りる。
「んで、どうやって調べるんだ。闇雲に分け入っても仕方ないだろ」
「取りあえず入れそうな所を探すか」
道なんて物はない。だが何所かしらに入れる場所はある筈だ。そう思って探すと、木々の薄い所を見つけた。
「ここ行けそうだな」
「大丈夫か? 獣道で何かにバッタリ遭遇したらどうする」
「その時は逃げるだけだ。向こうが警戒して近付かない可能性を祈ろうぜ」
中に入っていくと、空間が少し開けた。木々の位置は感覚がバラバラで背丈もそれぞれ違う。太さも同様だ。この時点で1つ目の問題がクリアとなる。
「……1つ目は通過した訳だ」
「このまま3つ目と4つ目を調べよう。あんまり離れないようにな」
「OKOK」
暫く、虫の種類と朽木の存在を調べて回った。20分ぐらい経った時点で見つけた虫はカマキリ・カミキリムシ・アリ・セミ・クワガタ・カブトムシとなる。クワガタは記憶が正しければノコギリとヒラタが居た。これで種類としては7種類になるだろか。
朽木もそんなに数はないが、ある事はあった。残念ながら新しい芽は見つけられなかったが。
「おーい、そっちどうだ」
「ちょっと待て」
山口は携帯の画面を弄りながらこっちに近付いて来た。何をしているのだろう。
「オオムラサキと、スズメバチ、アブラムシ、カナブン、ナナフシ……こいつはルリハタテって言うらしいな」
撮った写真から検索して6種類を見つけたようだ。何やかんや言いながらも随分と探してくれてたようだ。有難い事である。
これで総数は13種類になり、トカブの言う10種類以上をクリアした。残るは2つ目の項目である。まぁ、5つ目に関してだが、今現在で声は聞こえないから取りあえず放置で。
「結構見つけたな。じゃあ川を探すぞ」
「大きさは関係ないんだったか?」
「水が澄んでればそれでいいってさ」
一旦、山を出た。周囲を観察するがどうにも川らしいものは見えない。適当に目星をつけて歩き出す。
「あったかー?」
「いや、ない」
時折り声を掛け合いながら歩く。ふと、別にこんな事をしなくても携帯で地図を見れば分かると気付いた。足を止めて携帯の地図サービスを呼び出す。
「えーと……大体この辺だから」
凡その位置を割り出しながら拡大縮小を繰り返した。そうしている内に川っぽいものを見つけるも、どうやら山の裏側らしい。歩いていけない事もないが車では道が細すぎる。顔を上げると山口の姿が見えなかった。
「佳一、山の向こうだ」
「なにー?」
地形が窪んでいる所に居るらしい。声が下の方からする。
「山の向こう」
「夜空ノムコウ?」
「山っつってんだろ!」
日照りが増して来たせいか思考が鈍くなる。炎天下を長く歩くのは良くないが仕方ない。ここが終わったら休憩を挟む事にしよう。もう若くないし。
山を迂回したので少し長く歩いた。地面に反射する長いものが見える。
「翔太、川あったぞ」
「水はどうだ?」
「まだ遠いわ」
太陽の光で川面がキラキラと輝いていた。やっとの思いで川に辿り着き、中を覗き込む。
「……澄んでるっちゃあ澄んでるか」
しかし生き物が見当たらない。川の中の生き物どうこうまでは言われていないがこれでいいのだろうか?
「ここはもう十分だろ。車に戻ろうぜ。あっちぃなしかし」
気温も上がって来た。まだ2つ見に行かないといけない。5つ目以外の項目は全てクリアしたからこの辺で引き上げる事にしよう。
車に戻り、冷房が効くまで待つ。10もするといい感じに車内が冷えて来たので車を出した。トカブと再会したあの日に寄ったコンビニに入って休憩する。
「経費お前持ちだよな」
「左様です」
「これよろしく」
ちょっと高いアイスを押し付けられた。昼を奢るとは言ったがここまでやると伝えた覚えはない。だから少しだけ反撃する。
「これはサービス適用外ですね。領収書の宛名を教えて下さい」
「東日本デジタル通信サービスで」
「お前の所の親会社だろそれ」
「んじゃ坂本通信」
「マジで送るぞ」
「冗談だ冗談。何とぞ宜しくお願い申し上げます」
と言いながら一瞬だけ同様したのが分かる。付き合わせてる手前、渋々と金を出して買ってあげた。後で何か仕返ししてやろう。何がいいか考えながら車に戻る。
冷房の効いた車内で冷たいお茶を流し込む。外の暑さが嘘のように遮断されるが、日差しだけは防ぎようがない。
「所でお前、そろそろ再就職先の目星はつけてんのか」
「あー、休み明けに紹介状が県内の企業に送られて見学の案内が来るらしいから、その中でいいのがないか探す予定。まぁ自分で探したのでも2~3社は考えてる」
「秋になると求人減るぞ。動くなら早い方がいい。んで、次の山は何所だ」
「次は……」
印刷しておいた地図とカーナビを照らし合わせる。今居るコンビニからだと南に向かう必要があった。
「南に10キロか。30分もあれば着くだろ。多分」
「どっかで昼にしようぜ。確か道沿いに何かあった気がする。この辺は滅多に通らないけどな」
「そろそろ出すぞ。アイス落とすなよ」
ゆるゆると次の山を目指した。相変わらず交通量が少ないのでとても有り難いが、途中で合流して来た変な後続車が気になり始めるのだった。
「……後ろの車、近くないか?」
「気にすんな。追い越し禁止区間だから車間距離詰めて来るようなのはロクじゃヤツじゃない」
山口はそう言うも、見るからに金の掛かった車なのは分かる。試しにスピードを出すと向こうもその分だけ加速した。
「やめとけ、こっちは交通ルール守ってんだ。せいぜいゆっくり走らせてやろうぜ」
そのままピッタリ付けられた状態で5分ばかり走り続けた。次の信号で左折すると、後ろのヤツは車内にも響いて来るようなエンジン音をがなり立てて走り去る。何なんですかこの野郎。
「あれが田舎ドライバーの一種だ。トラック煽ったり是が非でも自分が前に出なきゃ気が済まない連中。乗ってるのが人間だから言葉通じる分で熊よりタチ悪い」
「随分な物言いですね」
「前に会社のハイエースでカマ掘られたんだ。黄色だから減速したのに突っ込んで来やがってさ、言うに事欠いてこっちが急ブレーキしたとか抜かすんだよ。ふざけやがって」
「まぁまぁその辺で」
永遠に毒を吐き続けそうになったので何とか宥めた。気付けば目的地の山も目の前である。
無事、2つ目の調査も終了。川が見当たらなかったので地図を調べたが、さっきよりも距離があったので諦めた。それに川じゃなくてどうやら農業用水路らしい。拡大するとコンクリートで護岸工事されているのが分かる。これでは水が澄んでいようがいまいが、山の状態にはそれほど関与しないだろう。
日差しが一層キツくなって来た。空腹も強く感じる。山口が言っていた所ではないが、道沿いに飲食店を見つけたので迷わず入店。エアコンの効いた店内で昼を済ませた。
「安かったな。味はそれなりだけど」
「道楽だろ。電子決済もポイント系も何も無いとか久々に見たわ。しかしあれだな、奢られがいのない昼になっちまったなー」
「また適当なコンビニで何か買ってやるよ」
「あざーす」
調子のいいやつだ。なんて思いながら3つ目の山を目指す。次は西に向かわなければならない。
長閑な道を走っていると、その途中でセルフスタンドが目に飛び込んだ。思わずガソリンメーターを見るがまだ半分以上ある。だがそれと同時に、道路上に設置されたカメラのような物も気になった。
「あれ何だ?」
「Nシステムだろ。ナンバープレート読み取ってそれが手配車両かどうか調べるやつ。車検切れの車が通ると警察が家に行くって噂があるな」
「怖っ」
そのままカメラの下を通り過ぎる。更に走り続けて30分ちょい。
「そろそろか」
「この辺じゃねーのか?」
山口がカーナビを指差す。確かに自分が目星を付けていた場所に近かった。更に距離が縮まるも、停められそうな小道が見当たらない。路駐は警察が怖いので遠慮したい所である。
「何所か……停められる所」
「そこの自販機でどうだ」
「自販機?」
こういう田んぼだらけの所に点在している謎の自販機コーナーがあった。有難い事に駐車スペースも広い。
「ラッキー、ここでいいか」
「まぁ駐禁の標識もないから大丈夫か」
砂利の広場に車を入れた。近くにはトレーラーが1台だけで他に車はない。しっかり施錠して道路を渡る。山は道路の向こうなのだった。
「入れそうな所は……」
「お、クモだ。取りあえず1種類な」
「早いなおい」
と、ここで山に入る道を発見。「保安林」と書かれた立札があった。どうやら森林管理署が出入りしている道らしい。
「翔太どうする。ここから入るか?」
「まぁ……何かあったらすっとぼけよう」
って訳で歩き出す。森の密度はトカブの山よりも濃く、1つ目と2つ目の山すら凌駕していた。そして同時に、明らかに俺でも山口でもない存在の声が無数に耳へ届くようになる。