リギー
翌日
ハローワーク支所
訓練生になって以来、初めてこの手の窓口に来た。入所時に渡されたコピーの雇用保険受給資格者証がある事を確認。受付で番号の記載されたカードを貰い、一般の求職者とはパーテーションで区切られている方だと案内される。こっちが訓練生用の窓口らしい。と言うか、訓練生の全般的な相談の窓口はこっちになるそうだ。
支所じゃない方のハローワークはワンフロアに全てがあるからちょっと分かり難い。この感じだと見ただけで分かるから好きだ。
「78番のカードをお持ちの方 2番の窓口までどうぞ」
あからさまに機械的なアナウンスが流れる。まだ椅子に腰かけて1~2分だ。訓練生の窓口は訪れる人が少ないのかすぐに呼ばれる。
「どうぞこちらへ」
「よろしくお願いします」
椅子を引いて座る。まず受給資格者証を出し、続いて訓練受講証明書も提出した。
「えー、長沢翔太さんですね。訓練開始から3か月。今日はどう言ったご相談でしょうか」
「自分では一応の形になったと思うんですけど、履歴書と職務経歴書の添削をお願いしたいんです」
「はい。ではお預かりします」
窓口の人は眼鏡のおばさん。これは良いのを引いたかも知れない。ハローワークの窓口に居るのは千差万別。酷いのは本当に酷い。
寧ろ、俺が変わるから窓口の仕事させろ、と言いたくなるレベルの人も居る。バイトのコンビニ店員の方がもっと丁寧だぞこの野郎、と口には出さないが思う事もある。
まぁハローワークの職員さんも実を言うと非正規が多いらしいから、中には適当にやってる人もいらっしゃるでしょう。
履歴書と職務経歴書の入ったクリアファイルを渡す。こういうのを見られるのは何だか気持ちのいいものではない。しかし1人で悩むよりは得るものがある筈だ。ハローワークの案内で窓口相談はこの手の事も受け付けていると大っぴらに書いている。
「……この志望理由はまだ特定の企業向けに作った訳ではないんですね?」
「そうですね。取りあえず今訓練しているコースの職種で働きたい理由と、それに絡めた志望動機や自己PRをまぁ、想像で」
「会社見学はされる予定ですか?」
「案内が来れば見に行こうと思ってます。他に良さそうな所があれば訓練校の方に申し出ようかと」
「分かりました。まだ企業を決められてない状態での志望動機ですと、どうしても定型文を並べたような感じになってしまうと思います。またこちらの職務経歴書の方にも同じような志望動機及び自己PRの欄が作ってありますが、履歴書の方に比重を置いてしまうとこちらに書ける事が少なくなってしまいます。ですので、例えばですが、履歴書の方には企業への志望動機だけ書いて、職務経歴書の方にこれまでの経歴を絡めた自己PRの欄を作成。こうすれば、それぞれ多少は似通っていても別の事を書けると思います。どちらもですが"必ずしもこのテンプレートで作成する"と言う決まりはございませんので、書きたくない事は書かない、書きたい事だけを書くと言った作り方も可能です」
あー、これは確かハローワークのセミナーでも聞いた気がする。履歴書の見本(例)とかも雇用保険の説明会で貰った。隅の方に小さく「これは一例です」とか記載されてたようなそうでもないような。
「……そうですね、作り方は自由ですもんね」
「あと、長沢さんは今回が初めての転職と言う事ですが、この職務経歴書の感じですと何だか転職を繰り返しているように見て取れる書き方になっております」
「え?」
「職務経歴書も絶対これと言うのはないんですけど、例えば表を使って入社時からの時系列を作った方がより見やすいかと思います。今の状態ですと見出しについては問題ないとしても、単語をズラズラ箇条書きにしてしまいますとやはり見栄えとしては一歩劣る感じでしょうか」
うん、これは手抜きしたのがバレた。表とか面倒くせぇと思ってつい箇条書きにしてしまったのだ。
「…………難しいですねぇ」
「ジョブカフェの方では具体的な作成方法のセミナーなんかもやってますので、良ければ利用してみて下さい。他には何か?」
「ん~、今日はもう大丈夫です。また作り直してみます」
これ以上は心を抉られそうなので退散を決め込む。受給資格者証に判子を頂いて諸々を返して貰い、席を立った。出入口に行く途中でパーテーションの向こうから一般窓口の会話が聞こえる。
「ここを受けてみようと思うんですけど」
「営業ですか? ここはあなたの経歴では難しいと思いますけどねぇ」
「いえ、ちょっと興味が」
「あぁそうですか。まぁ落ちるだろうなぐらいの気持ちで行ってみればいいんじゃないですかね。まだ誰も書類出してないみたいですから連絡します?」
「え、あ……」
あー、あれは外れだな。勇気出して来た人にそんな物言いはないだろ。くわばらくわばら。
時刻は11時過ぎ。東京ほどじゃない雑踏の中を歩く。日差しがキツイ。何かしらの仕事をされている皆さんの中を無職が通ります。申し訳ありません。
「……駅前のうどん屋でも行って何か食うか」
戻って来てから知った店だ。昔は何があったかも思い出せない所に新しく出来ていた。出汁が美味い。
「冷やしタヌキか……天ざるも捨て難い」
とか何とか言っていると、急に空が曇り始めた。鼻先に冷たいものが落ちると同時に大粒の雨が降り出す。ゲリラ豪雨とか言うやつだ。非常に迷惑極まりない。その辺のビルの出入り口で雨宿りさせて貰おう。
「……そういやこんな事も暫くなかったな」
子供の頃は遊んでいて雨が降ったら、マンションやアパートの入り口とかで雨が止むのを待ったものだ。最近はそういう光景を目にしない。大人になったからだろうか。見ようによっては不審者だし……
「おい、あんた」
誰かに声を掛けられる。振り返るが誰も居ない。管理の人かと思ったが違うようだ。
「ここだここ。こっち見ろ」
また声を掛けられた。辺りを見回すが本当に誰も居ない。
「こっちだ。自転車の上」
自転車? 確かに1台の自転車がスタンドを立てた状態で置かれているが……
「おーい、分かるか?」
よく見るとベルの上に1匹のクワガタが居るのが分かった。何だこいつ。さっきから話しかけて来るのはお前か?
「俺はリギー。あんた、トカブの恩人らしいな」
「……何で聞こえるんだ」
「さぁそれは俺の知ったこっちゃねぇなぁ」
低音の割にねちっこい感じの声だ。こんな虫が出していい声じゃない。いや、木の中で会えば相応のビジュアルなんだろうか。いやいや落ち着け。まず第一に考えるのは、自分の正体がバレているらしい事についてだ。
「…………どうして俺だと分かった」
「俺は1回あんたの家を訪ねてる。まぁ、網戸のお陰で中には入れなかった。瞼半分開けて寝てた人間はやっぱあんたか」
「俺の家を何所で知った」
「トカブの奴から大昔に聞いた。もしかしてここか、と思ったら正解だったみたいだな」
あれは夢じゃなかったのか。確かに夢にしては起きている感覚に近かったのは覚えてる。
「……木の中でクワガタには会ってない筈だぞ」
「俺だってあんたを見たのは網戸に張り付いた時が初めてだ。部屋の主って事はトカブの言うショータなんだって考えに行き着いただけさ。雨で一休みしてたら何の巡り合わせか知らねぇけどこうして会えたって訳だ。その物言いだと最近になってトカブと再会したようだな」
ふと、改めて周囲を見渡す。こんな所を見られたら頭のおかしいヤツと思われるのは都会でも地方でも変わらない。まして"無職"と言う札付きだ。
「落ち着けよ。俺たちの周りに居る人間はあんただけだ。詳しく説明しても理解出来ないだろうしめんどくせぇから言わないけど、人間にはない能力が俺たちにはあるんだよ」
「それをどう信じろと言うんだ」
「あんたの家族だって木の中で虫と話してるなんて聞いたら心配するんじゃねぇか? こまけぇこたぁいいじゃねぇかよ」
痛い所を突かれる。確かにそんな事を言ったら下手すれば病院に連れて行かれかねない。同級生連中は冗談半分として受け取るだろうが、肉親はそれ以上に反応するだろう。
「……で、何か用か」
「1つ頼みがある。雨はもうちょっとで上がる筈だ。そしたら何所か適当な木に俺をくっ付かせてくれ。羽が濡れちまって暫く飛べそうにねぇんだ。なぁにそんな訝し気な顔すんじゃねぇ。別にこれからお前さんに絡もうなんて思ってねぇよ」
言葉遣いのせいか、全く信用出来ない。詐欺師か何かに出くわしたような感じだ。
「…………分かった。因みに、あの山の事で何か知ってるか?」
だがこれは好都合だ。トカブの表情を見るといまいち情報を聞き出す気になれないが、もしかするとブンゾーの件についても何か知っている可能性はある。吉と出るか凶と出るか……
「あぁ、トカブの野郎そんな事をくっちゃべりやがったのか。あいつの親父、おっと、父君が移住の計画を立てたんだ。確かにあのぐらいの頃は土の中が揺れたり割れたり山にもヒビが入ったりしてたんだ。だが、移住の計画を急ぎ過ぎたな。環境作りは殆ど失敗。俺が知ってる限りだと2つぐらいしか残らなかった筈だ。生き残りはあちこちに散らばった。別に集団を維持しなくても俺たちは生きられる。父君はそこに少し拘り過ぎたように俺は思うな」
「……散らばった?」
「そうさ。俺はその移住計画の何回目かで山を出たんだ。色々上手くいかなくて集団は崩壊。一旦戻って暫くは山に居たが、何かもう面倒くさくなって飛び出しちまった。その日から気兼ねなく生きてる」
気兼ねなく。何と羨ましい事だろうか。いや、比べても仕方ない。
「もう1つ聞いていいか」
「ああ?」
「ブンゾーについて何か知ってるか」
「ブンゾー……あぁ、爺の考えてる事はよく分からねぇな。死ぬならてめぇ1人で死ねって俺は思う」
「……移住に反対した理由は知らないか」
「古い考えの持ち主だからなぁ。土地と自分たちは一心同体とか思ってんじゃねぇか。お、そろそろ雨が上がるぜ」
「え?」
リギーの言った通り、雨が止み始めた。雨足が完全に止まったのを確認した所でリギーを手に乗せ、近くの街路樹に張り付かせる。
「わりぃな。機会があればまた会おうぜ」
「……なぁ」
「よせ、誰かに見られるぞ。さっさと行けよ」
雨が上がった事で、通りに人影が現れる。虫と話してるのを見られる訳にはいかない。もう少し情報を聞き出し気持ちを抑えて歩き出した。
一応、登場人物(虫)の名前について補足
トカブ:カブトムシ
マメガ:マメコガネ
ブンゾー:カナブン
ハナバ・リホキ:キホリハナバチ
リギー:ノコギリクワガタ