再会
暗闇に吸い込まれると共に、落下していくのが分かった。このままだと落ちた先で何所かしらの骨を折るかも知れない。そう思った矢先、スピードが緩やかになる。体が逆さまの状態から自然と足が下に向き始めた。
「……え?」
ゆっくりと着地する。周囲は明らかに木だ。今、自分が踏みしめているのも木だ。ここは何なのだろうか。不思議な事にある程度は明るい。
「おい! さっき石を投げ込んだのはお前だな!」
妙に甲高い声がした方向を振り返った。そこには、まるでゲームか何か用にデフォルメされたキャラクターが存在した。アニメ調とでも言うべきか。
表情と姿勢、口調から察するに、どうやら怒っているらしい。何か怒らせるような事をしただろうか。
「……は、はい」
「枝まで中に入れて来やがって! しかも最後は手だと!? 馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
「いえあの……ここは何なんですか」
「ここは我らの土地で我の家だ! 人間め! 許さん!」
槍のような物を取り出してこちらに向けて来た。先端には反しのようなのが窺える。殺傷能力を有しているのが何となくでも分かった。
「ま、待て! すぐに出ていく!」
「逃がさんぞ!」
「何を騒いでおるか!」
野太い声が響き渡る。目の前に居るのよりも大きなのが現れた。姿形は全く違うが、デフォルメされているのは一緒だった。
「騒々しいぞ、マメガ」
「ですが親分! この人間が!」
「また門の管理をサボっておったな? 外側から見えるようにしてあったんだろう。そうすれば人間が手を入れてしまうのは予想が出来る事だ」
何だっけ、昔あったアニメ映画のキャラクター。登場人物は全員虫のやつだ。それに近い。
「全くしょうのないヤツめ」
「親分!」
「少し黙っていろ」
大きいのがこっちを向いた。表情は温和だが、体の大きさがどうしても警戒心を掻き立てた。何をする気だろうか。僅かに身構える。
「済まんな、迷惑を掛けた。ワシはブンゾー。こやつはマメガ。人間よ、名は何と言う」
名乗るべきか迷った。しかし向こうが恐らく部下か何かの名前まで紹介した以上、言うのが筋のような気がした。
「……長沢翔太です」
「ショータ? ショータ…………もしやお前さん、王様の恩人か?」
「お、王様?」
「こうしちゃおれん、早く行くぞ!」
有無を言わさずに腕を掴まれ、空間の奥へ奥へと連れて行かれた。マメガも着いて来ようとしたが「仕事をしろバカもんが」と一喝されて渋々と戻っていった。
数多くのデフォルメされたキャラクターの間を縫って、俺とブンゾーは広い空間に飛び出た。そこは吹き抜けのようになっていて、上が何所まで伸びているのか見えないくらい高い。
「すげぇ……」
「ほれ退いてくれ! 王様の所に急がなくては!」
目の前に玉座のような物が見える。その天長部に誰かが座っているのが分かる。
「止まれ! 何の用だ!」
「あなたと言えど不用意に近付く事は許されない! 如何なる用件か!」
蜂を思わせるようなカラーリングのキャラクターがブンゾーの前に立ちはだかる。ファンタジー物に出て来そうな剣まで持っていた。
「王様の恩人をお連れした! 目通りを願う!」
「恩人……もしやその方が」
「そうだ! 王様の命の恩人、ショータ様だ!」
全身がむず痒くなった。何だその呼び名は。勘弁してくれ。しかしこの言葉を聞いた事で、周囲が一気にザワついた。どうやら俺の知らない所で勝手に俺の事が知れ渡っているらしい。
「あれがショータ様」
「ショータ様!? 見たい見たい!」
人だかり。いや虫だかり? が出来ていく。目の前の蜂っぽい2人も驚いているようだ。
「ショータ様! 実在していたとは!」
「早く王様に報せなければ!」
「だからそう言っておる! 通して貰うぞ!」
護衛らしい何かを振り切って更に先へ進む。玉座の前には長い階段があった。その前で止まる。
「王様! ショータ様をお連れしました!」
玉座に座って何か書き物をしていた人物がこちらを見た。何だ。随分とイケメンな、甘いマスクとでも言える顔付だ。
「…………ショータ?」
こんな所で? と言いたげな顔だ。すると王様は破顔し、立ち上がって背中のマントを揺らしながら階段を一気に駆け下りて来た。頭の上にある角が妙に特徴的である。
「ショータ! どうやってここに!」
顔だけじゃなくて声もいいなぁおい。
「……む、昔この辺で遊んでたなぁってのを思い出して……そんで木に穴が開いてるのを見つけて」
「覚えているとも! あれがよく私だと分かったものだ!」
「…………やっぱりあの時のカブトムシは」
「私だ! つい嬉しくなって飛び付いてしまったのだ! それを君は優しく木に戻してくれた! 人間に恩義を感じたのはあれが初めてだったぞ! いや、その1年前に命を救って貰ったな。深く感謝する」
頭の整理が追い付かない。いやそれだけじゃなく、自分が今居るこの世界は何なのだろうか。目の前に居るこいつらは何なのだろうか。疑問が無限に浮かび上がって来ては何も解決されないまま脳内を満たしていく。
「ワシはこれで下がります。何かあればお呼び付け下さい」
「済まないブンゾー、後で何か褒美を届けさせよう」
「いえいえ、お気になさらず。ゆっくり思い出話をされて下さい」
勝手に俺をこの空間に引っ張って来たブンゾーは帰っていった。残される俺と……お、王様?
「えーと……俺は何て呼べばいいんだ?」
「トカブと呼んでくれ。親しい者は皆、そう呼ぶ」
親しい者認定されてしまったようだ。さて、何をどうするべきだろうか。
「……色々聞きたいんだけど」
「うむ、奥に私の部屋がある。そこで話そう」
玉座の裏にある通路から中に入った。その奥には、西洋と和風が入り混じった独特な部屋があった。寝床はベッドのようだが囲炉裏のようなのと座布団がある。
「座ってくれ」
「……失礼します」
座布団に座る。中は真綿らしく、家にあるのと感触や手触りは同じだった。妙な違和感を覚えるが、同時に懐かしさも感じた。言葉で上手く表現の出来ないこの空間に戸惑っていると、木で出来たコップを2つ持ったトカブが反対側に座る。
「色々な草から煮出した物だ。いい香りだろう?」
渡されたコップからは確かに香ばしいと言うか、嗅いだ事のあるような匂いがする。特定の単語が浮かんで来ないのは恐らく、トカブが言うように様々な物を使っているからなのだろうか。
少しだけ啜って見た。嫌な感じはしない。口当たりも良かった。
「……うん、悪くない」
「そうか。良かった。それで、何を聞きたいんだ」
どれから聞くべきか。取りあえず1番の疑問から聞いてみよう。
「……1つ目はそうだな。本当にトカブは俺が中学の時に助けたカブトムシなのか?」
「ああ、よく覚えているとも。他の3人は息災だろうか」
その言葉を聞いて少しだけ恐怖した。あれは今から20年近くも前の事だ。もしかしてこいつら、妖怪の類か? それとも化け物か?
「…………カブトムシの寿命は長くても1年ぐらいってのが人間の常識なんだけど」
「自然界では人間の常識なんて通用しないものさ。これは秘密にしておいて欲しいのだが、我々は生きようと思えば100年は生きられる。最も、昨今の自然環境ではそれも難しくなって来た。私は別に思う所はないが、中には人間を恨んでいる種族も居る。まぁそれはあまり気にしないでくれ」
どう反応していいか分からないセリフを言われてしまった。トカブの言う通り、気にしない事とする。
「分かった。その件については何も言わない。他の3人も元気だ」
「彼らのくれたあの柔らかく甘いのはとても好ましかった。礼を伝えておいてくれるだろうか」
柔らかくて甘い。恐らくこれは虫用ゼリーの事だろう。
「会った時に伝えておくよ。2つ目の質問だが、あの時トカブは道路に居たけど、何かしていたのか?」
トカブの顔に陰りが出来る。何だ。何か地雷を踏んだのか? 聞いたら拙かったか?
「……ショータ、明日もここに来てくれるだろうか。それが叶うのなら、その話は明日にしたい。実は相談じゃないが、誰かに聞いて欲しい事がある」
「……まぁ俺で良ければ」
「ありがとう。今日はその話は勘弁して欲しい。済まない」
2つ目の質問は飛ばして、ここは何なのか、皆はどういう存在なのか等について聞いた。事細かに説明はしてくれたが、どうにも信じられなかった。この木はトカブの一族が代々住んでいる場所で、山も一族の土地らしい。彼らは人間から見れば虫にしか見えないが、虫同士ではこういう姿形で見えているとの事だ。今俺がその姿を見れているのは、同じ空間に入った事が影響しているそうだ。しかしこの空間に入った人間は恐らく俺が初めてだろうから、確信を持って言える事ではないとも釘を刺された。
ある程度の情報を集めたぐらいで今日は帰る事になり、明日の同じ時間帯にまた門を開けておくから、今度は穴に飛び込んでくれと言われる。見送りにはブンゾーも現れ、依然と悪態をつくマメガによって俺は外の世界に出る事が出来た。
外に出るとは言うが、穴を見上げていると自然に吸い込まれるような感じになり、入って来た時と逆なイメージで寧ろ外に放り出される形に近い。
時間はあれから1時間と少しが経過していた。山を下りて自転車に跨り、元来た道を戻って行く。
その日の夜。チャットアプリで俺は他の3人に昼間の出来事を話していた。
「って事があったんだよ……っと」
送信ボタンを押す。するとタイムラインが一気に更新された。
山:おい、無職が何か言ってるぞ 誰か雇ってやれよ
柏:うち来るか? 接客だけど給料いいぞ
西:お前ん家の近くに大きな総合病院あったよな
救急外来で今からでも行って来い 熱中症かもしんねーぞ
揃いも揃って薄情な連中だ。どれだけ力説しても信じようとしない。明日また行くからその事も夜に話すと言うと小馬鹿にしたような絵文字やスタンプが連続して貼り付けられた。
だが実際の所、そんな体験をした自分自身の記憶を疑っているのも事実だった。本当は転んで頭を打って気絶していたんじゃないだろうか。なんて事も浮かんで来る。