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秘湯 万の湯

作者: 水白ウミウ

良いように言えば風光明媚、悪く言えば陸の孤島または僻地。

 名も定かで無い山々が葛折りに取り囲み、列車が止まる町からは峠を3つ4つ超えねばならない。

それより何より大雨でも降れば谷間にあるこの小さな母屋は両脇の斜面から流れ下る雨水に土砂で埋まってしまう、そんな自然相手の心配事は想像すれば数え切れない事だが。 


  リンリン。

「相変わらずね。窓の外に幽霊でもいるのかしら?」

 常連の聞き覚えのある声は顏を見ずとも分かる。それに常連客でも自分をからかう程親しげに話しかけるのは未だ僅か、彼女がその一人だ。 

「コワイ事言わないで下さいセイナさん」

「そんな顏してたら、本当に怖いことが舞い込むわよ?」

 振り向いて気付けば直ぐ目の前、番台に座る自分に握った拳を突き出していた。 とっさに仰け反ってしまう。正直言って自分は人と話すのは得意ではないし、相手との距離は出来れば半径二メートルは確保しておきたいが。

「あ……お金、入浴料ですよね」

「今思った事当ててあげるわね?」

「いやツ、その大丈夫、大丈夫ですから。冷静にふと想像してセイナさんにかかれば僕なんて一ひねりもかからないって――……ァッ」  

 その時突き出した拳から、唇に柔らかく小さな人差し指がそっと当てられた。声が出ない。消して力を込めて押さえ付けているのではない、指先が淡く微かな光を放つだけ。


 だがそれこそが彼女が彼女たる所以、人の姿をした人成らざる者、この日帰り温泉『(よろず)()』に相応しい入浴客の一人。人々は嘗て彼女を『魔女』と呼び力を求め災禍を戦乱を呼んだと。だがそれも昔のことだが――

 そんな煩わしい人の世から離れ、この温泉施設がある限界集落を訪れ住み着き今はひっそりとただのお姉さんとして今日も湯に浸かりに来たという次第。 

「口が重くて開かなくなる魔法よ。本当の使い道とは違うけれど?」  

 魔女であり姿形も本当は定かでないセイナさん、今は長い黒髪と濃紺の瞳で村の男達のみならずすれ違う者を振り向かせる妖艶な人。ただ少々イタズラと力加減が分かっていない、これも永く活き多少の事では動じない性格のためか。

 大げさにでも両手をジタバタして必死にアピールする自分。

「……つっぷはッ、秋だって花粉飛んでて、息できなくて死んじゃますよ!!」

「あーーうん。難儀なものね人って、ふふっ」

 小脇に抱えたタオルとお風呂セット、小刻みに笑うセイナさんと共に揺れる。「今日の一番風呂は私かしらね?」

 昔ながらの銭湯スタイルの番台からは男女の脱衣所の一部が見える。しかし出来ればその後ろは振り向きたくない。

「今日はもう先客が3人ほどいらしゃいますよ。最近この近くの山に家族で越してきた山犬さん、仕事の途中でたまたま立ち寄った忍びの方、あと北の崖の洞穴の祠の……えっと……白蛇のハクビさんです」

 先客はと聞かれたのに答えたのだけれど、セイナさんはどこか不満そうに頬に手を添え山並みが映る窓の外に顏を向ける。

 一番風呂が良かった野だろうか? 

「すっかりもう村の人だけじゃ無くて、外の人達……私達みたいな世捨て人の人気スポットになっちゃて」

「なんかね~~人気でちゃうと~~ね~~。私だけのお気に入りだったのにね?」

「セイナさんて時々凄く欲に素直というか子供っぽい? あははーー……あッ」

 今のは自分で余計な事を言ったと直ぐに分かって、自分の指で自分の唇に当てて口を塞いだ。地元に密着だからこそのこの万の湯、その人の立ち入っていい領域とダメな部分は分別しなければこの商売とて皆離れていってしまうだろう。

 そんな自分で言って反省を心の内でしていたのだが、彼女はじっと怒るでもなくキョトンと口をすぼめて見つめてくる

「ど、どうかしましたか?」

 首を左右に振ってしっとりした笑みを浮かべる彼女。

「ん別に。でも番台を始めた頃と比べてすっかり板についてきたと思って」

 そうなのだろうか、自分ではあまり変わったと思えないけれど。

「あっ、見て雪だわ」

 

 指さす窓の外、山の谷間に吹き抜ける風に流されながらも確かにフワフワとした白い雪の結晶。温泉の熱気に今にもかき消されそうな微かな雪だが、この集落に冬の訪れを告げる者。

「冬になればまた元気一杯の雪花姉さんも来ますね、でもあんまり喧嘩しないで下さいよ?」

「もーう、喧嘩じゃないわよ! あの子が勝手に私に突っかかてくるの!」

「だいたい風呂上がりの牛乳一気飲み競争なんて一人でやって欲しいわ。そもそもお風呂に何で入りに来るのよあの子? おかしいでしょ?」

 冬になると毎年恒例の行事、その年初めて村に雪が積もる頃にやってくるので村の人達も久々に会う親戚の子見たさに万の湯は満員御礼になる。騒がしくも賑わう姿をこの高台の上から見下ろすのは僕だけに許された特権であり、待ち遠しい光景なのだ。

「あーもうあの子が来るって分かったら余計寒くなってきたわ、ふーふー寒い。番台君、お風呂上がり寒いから――」

「大丈夫ですよ。もう火鉢の準備は出来てますから、早くお風呂に入って温まって来て下さいね」 

「……ありがとね行ってくるわ」

 セイナさんは凍える手に息を吐きながら女湯の暖簾をくぐり脱衣所へと去っていく。

何時もの事だけど入浴料を払ってから暖簾をくぐる、ここまでが凄く時間がかかるのが番台になって分かったこと。それまで先代が営んでいたときは自分も一人のお客として彼女と世間話、子供として相手をされていたときには気付かなかった。


「あー番台君。覗きは一回までだからね?」

「なッ、何言ってるんですか!? 覗きませんからッ、一回も!!」

 どうも自分もあの時から成長しているはずなのに一向にセイナさんは自分の事を童か何かだと思っている気がしてならないのだが。本当に番台としてしっかり出来ていると思っているのだろうか?


「なんじゃ坊。顔がにやけておるぞ? 盛るのもほどほどにせんとな」

「うわッ」

 セイナさんの比では無く驚いて番台から転げ落ちそうになったギリギリの所で踏みとどまった。

「……ッはァはァ。あれおかしいな……扉の鈴壊れてました?」

 ドアの上に吊された代々この湯に伝わる近くの社の有り難い鈴。来客がドアを開ければ清い鈴の音で直ぐに分かるのだが?

「ぼーっとしいておるからじゃ坊」

 この村の一番の長老でお祭りや行事、何か問題事があれば村長であらずとも皆意見を尋ねに向かう老婆のヤコ婆。さすがの高齢で髪はすっかり白髪で顔もしわくちゃで長年の農作業で腰も曲がり杖もついているが、村の奥の御屋敷から自分の足で歩いてくるその体力はとても最長老とは思えない。    

 ただヤコ婆はいつも気配なく現れてはいつの間にか消えているのが不思議。


「今日は誰ぞ湯におるのかの?」

 ヤコ婆もセイナさんさんと同じような事を聞いてくる。ただ僕がその答えを言う必要はないのも何時もの事。

「なんじゃ。犬っ子と忍びのお人と……おお、魔女様がおるではないか。これは有り難いのぉ」

「毎度の事ながらよく分かりますのね? 履き物とか……まさか匂いで?」

「どれだけ坊よりこの湯にかよおておる思うのじゃ。知れた事がな」

「そ、そうですか」

 どうにも少し僕はヤコ婆が苦手な人の一人な気がする、雰囲気だけでない何か。

 でもいつか常連の一人として自然に接するように出来るだろうか?

 ヤコ婆は「ほれ金じゃ」と着物の袖から出した巾着袋から小銭を出し、支払えばそそくさと女湯の脱衣所へとゆっくり歩み出す。

 転ばないか様子を窺いながらも、ホッとしながら見送る。

「ひひっ。魔女様が浸かった湯はそれはそれは体が温まるで、調子ええでな。ありがたやぁありがたや~~ぁ」

拝むように手を合わせ、ヤコ婆は独り言を言いながら暖簾の先に消えた。


「本当にそんな効能あるのだろうか」

 代々続く山間の秘密の場に湧く源泉を引き込んでいる。むち打ち、皮膚炎、腰痛、その他諸々に効能がある……とされるが定かではない。だがそれだけでなく、先代はこう台帳に書き残している――。

『現代の喧噪から離れ影に活きる沢山のお客様に支えられ、湯に浸かり癒やされ流れ出る苦労と安らぎの気持ちが湯に溶け込む。それが湯をまろやかに肌に馴染むお湯へと変え、金色に淡く輝くの万の湯となる』

「今日は僕もお客さんに混ざってお風呂はいろうかなぁ~~ん~~~~ん」

「あっ、おっとその前に」

 一日座っていると結構な重労働。掃除や見回りもするがこうしてノビをしてふと思い出す、火鉢の炭に火を起こさなければならないことを。

 魔女だけれど寒さは苦手なセイナさん、その辺は人間ぽい……言ったら怒られるかもだけど。そう思いながら、焚きつけにマッチで火を付け炭に着火して。

 炭が燃え穏やかに燃える赤い炎、見ていると心が落ち着く。

 窓の外の雪は次第に強く激しく、真冬はもう直ぐそこまで来ているのだろうか。

「さて火も着いたし、じゃあ僕もこの辺で温まりに」 

 売上帳の下、年季が入った木札を番台の吊り下げ用の釘にかける。番台も一緒に入るのがここの湯の伝統で子供の頃に見た風景。

   

『番台入浴中 お金は箱の中へ』 

寒い日は温泉に浸かるに限る。

 今日も山深い小さな集落の日帰り温泉『万の湯』には、温もりに誘われて少し変わったお客さん達が集まり来る。

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