初恋 その裏側
王城の中庭で、花々の間を飛び舞う蝶を追いかけていた、可愛らしい子だな、と思ったのが彼女の最初の記憶だ。
小柄で愛らしく、庭園で仕事をしていた庭師にも声をかけ、子供ながらに礼儀作法はしっかりとしていて。
庭師から差し出された花を胸に抱き、感謝を述べる素直な笑顔が太陽の様で。
本当に可愛い子だと思ったのが、彼女への私の一番最初に抱いた思いだ。
王城の中にいるとなるとそれなりな地位の家の娘。
今日は御前会議で宰相始め、各大臣も出席しているはず。小さな子供を連れてきたとなると、昨年奥方を亡くされたグラストン侯爵に違いない。
亡くなられた奥方は北のオルレリアから嫁がれたはず。銀の髪をした美しい方だったと記憶している。
侯爵家の一人娘として、家柄も申し分ない。息子の妃としていいのではないか。そんな事を考えていた。
宰相のサイラスに意見を求めると、大きな溜息をついた。
『陛下。確かに未来の王太子妃を決める事は大事な事でございます。しかしながら、それよりも今はまず、陛下の妃を決める事の方がこの国にとっては重要な事と存じますが』
また、サイラスのお小言が始まった。
『サイラス、それについては何度も申したはず。我はもう妃を娶るつもりはない。後継として、アルフレッドがいるではないか』
『陛下、確かに仰るとおりですが、アルフレッド殿下に何かあった場合、次を担う方がいらっしゃいません』
『その時は、嫁いだ姉上のを養子に迎えいれると申しているであろう?』
『それも伺っておりますが、やはり、陛下の直系を求める国民は多いのです。殿下も大病をすることもなく、健やかに成長成されていますが、いかんせん…』
『それ以上は言うな、サイラス』
『しかし…』
『サイラス!口にしてはならん、妃と約束をしたのだ。王子を国の王とすると』
アルフレッドを産んだ事で身体を壊して早世したセリーヌ。政略で結ばれた私達だったが、お互いを尊重し合い、短い人生ではあったが仲睦まじく過ごせたと思う。男女の愛とは違うかもしれないが、確かに私達の間には愛があった。そのセリーヌが、自分の生きた証としてアルフレッドをこの国の王にと最後の願いとして残した想いに報いてやりたい。王としての資質はまだこれからでも身につけていけるだろう。
『確かに、グラストン侯爵令嬢であれば、将来の王妃としてアルフレッド殿下を支えてくださるかもしれませんね。』
『サイラスもそう思うだろう?家柄もだが、あの娘の笑顔をみているだけで、癒されるというか。太陽に光る銀色の髪も美しかったし、しなやかな若木を思わせるような肢体も見ていて』
アの日の姿を思い出しながら、うんうんと頷いていると、宰相が恐ろしいモノでも見たかの様に顔面蒼白にして我を見つめている。
『へ、陛下、も、も、も、も、』
なんなんだろうな、サイラスも、とうとう仕事の疲れが出ておかしくなったか。
『も、がどうしたのだ?』
『も、がどうしたのではなくて、へ、陛下は、そ、その、大人の女性ではなくて、あ、その、あの、幼女…』
『馬鹿者。我にはそういう趣向はない』
サイラスの頭の中はどの様な事になっているのか。有能と頼りすぎたのがいけなかったか。暫し領地にて療養をさせるべきか。
『確かに亡くなられたセリーヌ様も、肉感的と言うよりは、清楚で可憐な方でしたが、まさか、陛下がそんな…』
青い顔をしてブツブツ呟く切れ者と呼び名も高い宰相。
『サイラス、いい加減にしろ』
冷ややかな視線をサイラスに向ける。領地にではなく、グリーネにでも叩き込むか。
『ん、ゴホン。陛下、わたくしの心配はご無用です。グリーネ王立医院にお世話になるのはまだまだ先の予定ですので。余りの事に、我を忘れそうになったたげです』
『その様だな』
ジロリと半目でサイラスを睨む。
『分かりました。陛下がそこまで気に入られたご令嬢であれば、きっと 王子も気に入られる事でしょう。早速 グラストン侯爵に 王子とご令嬢の婚約の打診をいたしましょう』
『頼む』
侯爵家に令嬢とアルフレッドの婚約者となる旨を打診し、初顔合わせをしたのは、それから2ヶ月経ったある日。
アルフレッドは婚約者に会えると、数日前から楽しみにしすぎて、当日に熱を出してしまった。それでも顔合わせに出ると言っていたが、王宮医に止められて部屋から令嬢に挨拶するに留めた。
『すまない、グラストン侯爵。我が子ながら、なんと申したら良いのか。令嬢にはすまない事をした』
『陛下、子供というものは、突然熱を出したりなど、珍しくはございません。お気になさらずに』
『そう言ってもらえるとありがたい。王子の替わりに我が令嬢に挨拶をしよう』
公爵家の隣に立つ令嬢。
緊張からか、いつぞや庭園で見かけた様な笑顔には程遠い表情。
令嬢の目線になる様に膝をつく。驚いた宰相や侯爵が止めようとするが、手を振る。
『エリーゼ嬢。アルフレッドです。婚約者として、宜しく頼むね』
親として、将来王妃となってくれるだろうエリーゼ嬢に挨拶をする。
緊張が解れたのか、薔薇色に染まった頬。潤んだ瞳。花が咲き綻ぶ様な笑顔でうなづくエリーゼ嬢。窓辺から手を振るアルフレッドを見やり、
親として、この国の王としては祝福すべき事なのに、何故か小さな棘が気づかぬ場所に刺さった様な、そんな痛みを感じた。
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エリーゼ嬢とアルフレッドの中は穏やかにゆっくりと進んでいった。1ヶ月に1度のお茶会。互いの理解を深めていく為に、2人だけで過ごすのだ。たわいのない近況報告。熱く燃え上がる様な情熱はないが、穏やかに互いを思いやる関係性を築いていっているのだろうと思っていた。しかし、アルフレッドが学院に入学してから、少しずつアルフレッドと令嬢の間に距離が出来つつあった。
『宰相、今日はアルフレッドと令嬢のお茶会の日ではなかったか?』
『さようでございます』
『アルフレッドの姿が見えないが......』
『アルフレッド様は王城内にはいらっしゃいません。城下でシルナベル伯爵のご令嬢とご一緒の様で』
『またか.....』
目を通していた書類から顔を上げる。苦み走った表情をしたサイラスの顔をみる。
『エリーゼ様がお可哀そうです』
執務室の窓から城内の中庭を見下ろす。お茶会用にセッティングされた東屋に、エリーゼ嬢だけが座っている。アルフレッドが学園に通うに様になって、エリーゼ嬢とのお茶会の時間が徐々に短くなり、回数が減り、しまいにはアルフレッドが姿を現わさないなど、エリーゼ嬢をないがしろにした行為が目立つようになっていた。学園を調べれば、アルフレッドと同い年の伯爵家の令嬢と親密な関係になりつつあるとの報告書が上がってきた。
それとなくアルフレッドに対して苦言を呈した。婚約者として礼儀を弁えよと諭したが、不貞腐れた表情を隠しもせず、弁えていると返答するのみ。我が子ながら頭が痛い。アルフレッドの将来の側近として傍に置いたサイラスの嫡男がその行いを諫めたものの、聞き入れず叱責して傍から遠ざけてしまった。王とは、甘言だけでなはく、苦言を呈する臣下こそ大事にせねばならないのだが.....。
そんなアルフレッドとは対照的に、エリーゼ嬢は毎日厳しい王太子妃教育を受けていた。幾ら古くからの名門の公爵家の令嬢といえども、簡単な事ではない。妃として求められるものは高い教養に非の打ちどころのないマナー。将来の王妃としての国母とのしての資質。数え上げたらきりのないその厳しい内容に、時々隠れて涙している姿を見かけた事も何度もあった。
小さなエリーゼ嬢に望むのはあまりにも不憫で、嫌なら無理をすることはない、学院を卒業してそれから教育をしてもいいのだと、エリーゼ嬢に諭した事もあった。
その度に
『国王陛下、申し訳ございません。わたくしの不徳の致すところでございます。先生方はわたくしの為を思って指導してくださっているのです。それを習得しきれないわたくしが悪いのです』
泣いたであろう、赤く染まった目元。そんな姿を見せない様にカーテシーをする。
『陛下のご期待に添える様に、国一番の淑女になる事が、わたくしの目標でございますから』
と。幼いながらも公爵家の令嬢としての矜持を持つのか。王としての資質さえも今だ足りないアルフレッドには勿体ない。我だったら.....と思ってハッとする。一体何を考えていたのだ、我は。それにしても、エリーゼ嬢が頑固なのは誰に似たのであろうかと、苦笑した。
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『ここにいる皆に宣言する。エリーゼ・グラストン侯爵令嬢との婚約を破棄し、新たにレイチェル・シルナベル子爵令嬢を婚約者とする!!』
くるべき時が来たか。
壇上の上で、アルフレッドが宣言している姿を冷ややかに見つめる。事前にサイラスから、アルフレッドが卒業パーティでエリーゼ嬢に婚約破棄を突き付けるつもりだと聞いてはいた。でも、まさか、幾らアルフレッドでも、臣下一同が集まる祝いの場で、一方的にそんな宣言をするとは思ってもいなかった。
セリーヌの気持ちを思うと、どうにかしてやれないのだろうかと考える自分もいるが、王として判断は誤れない。
アルフレッドは自分の不貞を棚に上げ、エリーゼ嬢が懸想している相手がいると高らかに宣言した。学院での授業、王宮での妃教育。どこにそんな暇があるというのか。我が息子ながらほとほと呆れてものが言えない。
ただ、そんなアルフレッドに対して、エリーゼ嬢は何も反論せず、顔色を変えて立ち尽くしていた。
まさか、エリーゼ嬢が?アルフレットでもあるまいし、そんな事は......と内心慌てていた我の耳に、飛んでもない言葉が飛び込んできた。
『エリーゼ付きの侍女より内々に報告されました。エリーゼが時折、四阿で、誰ぞの名を呟いて物思いに耽り涙を流していると』
『侍女が申しておったわ。小声にて全ては聞き取れなかったが、アレク様と。そう其方が口にしていたと』
頭の中が真っ白になった。後にも先にも、こんな事は初めてだった。王として、心内の葛藤を表に出さない様にするのに渾身の自制を強いられた。
アレクと口にしていた?ミリアが我の名を呼んで泣いていると?
それは、ミリアが我を求めているとおもって良いのだろうか?
騒めく会場で立ち尽くす、エリーゼ。
エリーゼの本意を確かなければ。
『エリーゼ嬢。辛い思いをさせてすまなかった。アルフレッドの行状はリカルドや学院長、王宮の女官長から聞き及んでいる。若気の至り、自らの立場を考えれば改まるのではと楽観していた我が悪かったのだ。申し訳ない』
『陛下!そんな女になにをっ……!』
『陛下?!おやめください。アルフレッド様のお心に叶わなかった上に、心を寄せられなかったわたくしが悪いのです。』
『エリーゼ嬢…。エリーゼ嬢の気持ちは揺るがないものなのか?』
エリーゼは我の目をしっかりと見つめた。
『はい、陛下。わたくしはもう自分の心に嘘はつけません』
『想いを貫くのは荊の路かもしれない。今ある全てを無くしたとしても、そなたの想いに応じて貰えぬかもしれぬ。それでもその想いを貫くつもりなのか?』
『はい、陛下』
淀みなく答えるエリーゼ。愛おしいとは、正にこの気持ちの事か。ようやく向かいあった我の想いに項垂れて、右手で顔を隠し大きな溜息を吐きつつ、呟やいた。
『全く、昔から頑固なところは変わりない』
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アルフレッドを王太子から第一王子にし、エリーゼとの婚約は解消とし、今後の成長を見て王位を継承させるかせるかどうか、結論は先延べにした。
会場にいる皆に、改めてパーティーを楽しむ様にと宣誓する。
さて、これからは我の出番か。サイラスのお小言にも飽き飽きだし、期待に応えねばだな。
『エリーゼ嬢。少し話をしようか。我と共にこちらへ』
壇上から降りてエリーゼに手を差し伸べる。
会場にいる皆様の視線が、差し伸べた我の手を取ったエリーゼに一気に集まった様なそんな気がする。
サイラスを見ると、青褪めた顔から紅潮して両手を握りしめて天に向かって差し上げている。あれは一体何のポーズなのか。分からん。
会場から王宮の庭園につづくバルコニーに出て、エリーゼの手を引く。
折れそうな華奢な指。小さめな手の温もりを離したくなくて、そっと握りしめた。
庭園の東屋にエリーゼを導いて座らせる。勿論、我の膝の上に。
『あ、あの陛下。』
『なんだい、エリーゼ嬢』
エリーゼの髪を指に絡めながら、優しく抱きしめる。あぁ、なんて柔らかいんだ。
『きゃ、あ、あの陛下。い、いけません』
恥ずかしさの余り全身から火が出てしまいそうな位、全身を赤く染めているエリーゼ。
『エリーゼ嬢。なにが、いけないんだね?エリーゼ嬢は我を想っていると、先程そう言ったのではなかったかな』
『それは…。確かにわたくしはずっと陛下を想ってきました』
『お互いを思いあっている2人が触れ合うのは自然な事だよ』
エリーゼの髪に口づけしていたのをやめ、エリーゼを見つめる。
『へ、陛下。陛下もわたくしを想っていてくださったと?』
真っ赤になりながら、我に尋ねるエリーゼ。
『そうだ。其方は気が付いていなかったかも知れないがね。可愛いエリーゼ。一度は逃してあげたけど、もう、逃しはしないよ』
そう言って我はエリーゼの唇に静かに口付けをした。
エリーゼとの初めての口付けを堪能する前に、エリーゼは気を失ってしまった。エリーゼを抱き抱えて庭園から戻った我の姿を見て、会場の皆が歓喜し、卒業パーティーが祝賀会に替わってしまった。ようやく我が妃が迎えると、サイラスを筆頭に閣僚達が泣きに泣いて祝杯を挙げ、会場にいたグラストン侯爵に義父上と声をかけたら、卒倒して倒れてしまった。
次の日の朝、我の腕の中で目覚めるであろうエリーゼになんて伝えようか。きっと我が見惚れた笑顔を見せてくれるであろう。