第98節 トラノヲ(四)
それまで暗かった蔵の中が、どういうわけか不意に明るくなった。
そのことに興味を引かれたムジナが振り向くと、得意気になったトラノヲは、
「な?」
とだけ言っていた。
「……なんだこれは?」
今度こそ本気で問い質すムジナ。
目の前の鏡が輝いていたのだ。そこに映っているはずの自分の影も見えないほどに煌々と。
「分からん」
しかし、そう答えるトラノヲ。
「おれがこの鏡の存在に気付いたのはつい最近のことだし、なんならこの蔵に入れるようになったのもこの姿になってからのことだしな」
ムジナの引き留めに成功して口が軽くなったトラノヲだ。そして彼は、自分がこの蔵に忍び入ったその理由も語り始める。
「まあ見ての通りだ。この鏡は何か特別な力を持っているのだよ。そしてその力がなんなのかはまだ分からん、と……だから我はその秘められた力とやらを解明したいと思ってだな、こうして密かに蔵に入って――」
「すまん。ちょっといいか?」
熱を帯びかけたトラノヲの演説をムジナは止めた。
「なんじゃ?」
と、少しだけ不快そうなトラノヲ。
「お前の言い分を聞いてて、ちょくちょく分からんところがあってな。さっき蔵に入れるようになったのは『この姿になってから』とか言ってたが、それはどういう意味だ?」
「あっ!? ……いや。そこは何でもない。言い間違えただけだ」
ムジナの当たり前の疑問になぜか慌てたトラノヲ。そして己の失敗を認めて訂正すると、
「とにかくだ――」
と、再び演説に入ろうとするのだ。しかしムジナ、そのままトラノヲの思う通りにさせるつもりはないようで。
「そうは言うがお前。さっきから言い間違いが多すぎないか? 何か隠しているよな?」
「え!?」
突然の詰問に、またしても慌てたトラノヲ。
「や。そ、それは貴様には関係のないことで……」
「関係ないことはないだろう。忘れたのか? オレはお前のことを盗人として役人に通報しにいくところなんだぞ?」
浮足立つトラノヲを見て「いける!」と見たムジナは畳みかける。
「もしそれが嫌だって言うんなら、オレの気を引いて翻意させてみろ。それができなきゃ、お前に待ってるのは暗くて湿った穴倉だ」
トラノヲに侮蔑の眼差しを向けたムジナ。
確かにこの不思議な鏡には興味を引かれたが、それはそれ。
それよりも今は、この胡散臭い奴の秘め事を暴く方にこそ興味を引かれているのだ。
「あとお前。自分のことを呼ぶ時は『おれ』って言うようにしてたよな? けどさっきな、自分じゃ気付いてないんだろうが『我』って言ってたぞ?」
「だっ……誰にだって言い間違いぐらいあろう!」
執拗に「言い間違い」を突いてくるムジナに、トラノヲは激昂した。
「大体なんじゃ貴様は! 新参の人の子の分際でこの我に楯突き追って! ちいとばかし態度が大きすぎはせぬか!? 貴様、今、自分の目の前にいるこの我を一体誰だと思っておる!」
「さあな。想像もつかん」
一人熱くなって、ボロが出始めたトラノヲを嘲笑してみせたムジナ。
――そうだ。それでいい。人間熱くなった時ほど隠し事が出来なくなるものだ。このトラノヲがもう用済みなことはもう変わらないが、どうせならその正体でも暴いてから、役人に突き出してやる。
「だったら教えてやるが、我は――!」
ムジナの思惑通りに語り出すトラノヲ。しかし――
「……おれはただの善良な一農夫じゃ……うむ。そうに決まっておる」
トラノヲはあと一歩のところで、正気を取り戻したのだった。




