第76節 交点(三)
オオトリは、少し離れた木立に人の子の気配があることに気付くと目を細めて喜んだ。
(ほほ……よう来た……ほほ……。)
澄まし顔でいようとしても頬の綻びがどうしても繕えないオオトリ。
しかしそれも仕方のないこと。オオトリは待っていたのだから。あの日出逢った人の子と再び相まみえるこの瞬間を。
(もっと。もっと近う寄るがよい。苦しうはない。)
しかしオオトリがそう言うことはなかった。
まさか自分のような尊き存在が、偶然居合わせただけの人の子にそこまでしてやるわけにはいかないのだ。
だからオオトリは何も気づいていない振りをして、人の子の方から近づいてくることを身悶えしそうなほどに望むのだ。
(ほほ……なんとまあ愛いものよ……。)
オオトリは未だ姿を見せようとはしない人の子に何とも言えないいじらしさを感じていた。
考えてみれば、オオトリが地上に降りてからというもの、碌な者に会った例がなかった。
会う者会う者。その尽くがオオトリに対する畏敬の念に欠ける奴ばかりだったのだ。
(妾は唯一にして至上の大御神が一子。だというのにこの地に蔓延る蛮族どもときたら……。)
無礼。不躾。不敵。
地上界――天界よりはるかに稚拙な文化しか持たぬ最果ての地とはそういうものだとは分かっているつもりのオオトリだ。
しかし分かっているつもりでもやはりやんごとなき存在を自負するオオトリには耐えられないことだった。
だからこそ、今そこにいる人の子のように自分の前に姿を晒す事すら憚っているかのような態度を取られると、嬉しくてたまらなくなるのだ。
(ほほ……愛いのう……。ほれ、苦しうない。早う妾にその姿を見せて見よ……。)
久しく感じていなかった自尊心が満たされる心地よさに身を委ねるオオトリ。
他方、オオトリを発見し臨戦態勢へと入った人の子たちはといえば――
(お願いします。神様。どうか……どうかご加護を……。オオトリを獲らせてください……。お願いします。神様。どうか――)
木立の影に隠れたヒムカイは、ただひたすらにこの一世一代の大獲物が成就することを祈り続けていた。
今、ヒムカイは一人だ。さっきまで傍にいたはずのムジナはもういない。
彼はオオトリを狩るために一人移動を開始していたからだ。
実はムジナ。彼はクニで一番の腕利きの狩人だった。
そのムジナが成功必至の距離内にオオトリを収めている。これはもう勝利は約束されたようなものだった。
しかしそれでもヒムカイは、この一心不乱の祈りをやめようとは思わなかった。
なぜなら自分にはもうそれしか出来ることがないから。
自分の役目はムジナをオオトリの元に案内すること。
無謀としか言えないその任を、奇跡的にとは言え果たすことができた今、彼女に出来ることは祈ること。それしかなかったのだ。
(お願いしますオオトリ!くーちゃんを!くーちゃんのために死んで!)
ヒムカイは祈り続けていた。
贄となり死に行く運命を負った親友を救うため。
猶予はない。親友が地の底から蘇りし邪神にその命を捧げなければならない日はもうすぐそこに迫っていた。




