第71節 黄泉津道
「おのれ……。おのれおのれおのれおのれ!おのれぇいっ!如何に!如何に油断していたとは言え、まさか人の子に後れを取ろうとはっ!」
ミズチは処定まらぬ暗闇の中をただひたすらに堕ちながら、自身の不覚に激昂していた。
どれだけ悔やんでも悔やみきれない。
なぜ自分は、あの不遜な態度を取る人の子の都合にいいように立ち振る舞ったのか?
なぜ妹神が小細工やら入れ知恵やらをする前に無力化してしまわなかったのか?
「ええい!あのような者、さっさと殺してしまえばよかったのだ!あのような妹、さっさとただの鳥にしてしまえばよかったのだ!」
無礼討ち。躾。そうするだけの理由なんていくらでもある。なのにそうしなかった。
今となっては意味を為さないことを延々と繰り返し悔やんでは、腹の底が煮えくり返る想いのミズチ。
堕ち続けるミズチのその魂が、死者の国へとたどり着くまでまだかかりそうだった。
「終わった……。我は死に給うたのだ。」
終わりの見えない暗闇。怒ることにも堕ちることにも飽いたミズチは、ふとどうしようもない空虚な気分に襲われていた。
「ははは……可笑しなものよ。天上の貴子だ、地底の王だと誇ってみたところで、結局行き着くところはこれなのだからな……。」
死。
それはその者の貴賤に関わりなく、生者に等しく訪れる終焉の期。
これまでの生涯で関わってきた者と言えばそのことごとくが死人だったミズチだったが、それだけに自分もまた彼らと同じ存在になれたことが、どこか嬉しくもある。
「……思えば中々面白き生涯であったよなあ。何の因果か分からぬが、母神の嫡子であるはずなのに地上の棄子として生を受け、そして嘆き潜った末に行き着いたのは死者の国。それだけでも数奇だと言うのに、よもや我がその国の主となろうとは……。大切な女にも逢えた。頼れる宰相殿にも逢えた。ははは……。こうして思い返してみれば、道半ばで潰えたとは言え、我が生涯も中々捨てたものではないのではないか?」
色々な思い出が脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消え……。
それは正しく走馬灯のような光景だった。
ミズチが己の死を動かしがたいものとして受け入れようとしていると、ふと思い浮かんできたのは大切な女のことで。
「侍女神……侍女神か。」
ミズチはその姿を思い浮かべて温かな気持ちになっていた。
侍女神。あの姉のような、母のような、齢上ぶっているくせにどこかぽーっとしていて、自分が死んでいたことにすら気付いていなかった天界より堕ち来たりし、ミズチの想い人。
聞けば、彼女もまた妹神・オオトリの奸智の果てに殺害されたのだと言う。
「そうか……。我らは同じ炎によって討たれたのか。」
業炎の神・ミズチと樹木の神・ククチの身に降りかかった奇しき運命。
火炎と樹木の神が同じ炎によって殺されるなど、そうそうあるものではない。
ましてやミズチは業炎の神。熾火程度の炎しか操れぬオオトリに討たれるなど本来ならば考えられないことでもある。
「はは……何とも奇妙な縁があったものよ。結ばれることはないと嘆いておったはずなのに、こんな形でつながりが持てようとはな……。」
「すまぬ侍女神よ。我らが兄妹のせいで、そなたにはつらい思いばかりさせてしまった。しかし安心せよ。我ら兄妹はもうそなたには近づかぬ。それがわしに出来るせめてもの償い……。」
「ただ、せめて最後にもう一度だけあの笑顔を見ておきたかった。それだけが心残りよなあ……。」
はるか先に淡い光のようなものが見える。それがこの長い死の落下の終点なのかどうかはまだ分かりようがない。
しかしミズチにはあの光の先には帰るべき場所があることがはっきりと分かっているのだった。




