第70節 贄の娘
夜の闇が少しずつ薄くなってきた森の中にて。
オオトリと別れたタケハヤが一人、部下との合流地・イの国へ向かって歩いていると、声をかけてくる者がそこにはいた。
「あ、あの。」
「ん?おう。そなた無事であったか。確か、そなた大神の贄に選ばれたと言う……。」
「はい。あの……危ない所を助けていただき、ありがとうございました……。わたし……。」
「いやいや。礼など不要。わしはわしの都合で動いたまでのこと。」
努めて気さくに応じたタケハヤだ。
いくら難は去ったとは言え、つい先ほどまで死の定めを背負っていた者。少しでも気が休まるようにしてやるのが自分の務めだと心得ていたのだ。
ただそのせいで、娘が何か言おうとしてたのを遮ってしまったのは悪手だったかも知れないが。
「おう。そう言えばそなた、ヨシノ国の隣村の翁殿の娘子に相違ないな?」
「え?……えと、はい。そう、ですけど……。」
「うむ。やはり。いやなに、実はな。わしはそなたのことを翁殿から聞かされておったのよ。――ああ、いや。そなたを助けてほしいと請われたわけではない。ただ行き掛かり上、此度の件について問いただした際に流れで、な。」
「……。」
娘は何も応えなかった。ただうつむいて、難しい顔をするだけだ。
それにしてもこの娘。助けた時は気付かなかったが、相当な器量の持ち主だった。
特に目を引くのがきれいに伸ばされた黒の髪で、旅を住み家とするタケハヤですら、ちょっとお目にかかったことのないような、そういう逸品だ。
当人がオドオドとしているせいで、小柄な体格と相まって全体的に卑屈そう見えてしまうのが難点ではあったが、それを差し引いてもこの娘、古今に例を見ないほどの器量の持ち主だと言っていいだろう。
「あの……。わたし、これからどうしたらいいんでしょうか……?」
その器量良しが相変わらずの暗い調子でそんなことを尋ねていた。
「どう?……もはや人に仇成す大神は失われたのだ。村へ帰ればよいではないか。」
「でもわたし、死ななくちゃいけないって聞かされてたのに……。」
「ああ、なるほどのう。」
そう言うことか。何となく娘の懸念が分かったような気がしたタケハヤ。
娘は、クニの総意として贄に選ばれた以上、捧げる対象がどうなっていようが、自分は贄としての使命を果たさなければならないとでも考えているのだろう。
生真面目なのはいいが、何事にも程度と言うものがある。そう思うタケハヤだ。
「やっぱりわたし、ここで死んだ方が良いのかな……。」
「いや。よせ。そんなことをして何になる?もう一度言うが、もはや大神はこの世にいない。もうその身を捧ぐ相手もおらぬのに、どうして自ら命を絶つ必要がある。」
「でも、そうしなくちゃみんなが……。」
――安心できないから。そう言って泣き出した娘。
しかし、いくら何でもみんなを安心させるためだけに命を絶とうなど、得る物と失う物が釣り合っていない。極端過ぎやしないだろうか。
「……分かった。わしが共について行ってやるから、そう泣くな。大神を討取ってしまったのは他でもないこのわしであるし、これより先は贄は不要となったことをそなたのクニの者たちに説いてみようではないか。」
良いことをしたはずなのに、なぜか気まずい気分にさせられたタケハヤ。
こうしてタケハヤは贄の娘を伴ってヨシノ国へとその進路を変更するのだった。




