第56節 神殺しの皇子 其之五 天穂火斬
一人宙を舞うオオトリは眼下に広がる光景に焦燥を感じていた。
(あの荒神め……一体どうなっておる?)
オオトリの理解を超えた事象を以ってミズチが復活を遂げていた。
(人の子め……一体何を勝手なことをやっておる?)
オオトリが事象を理解する前にタケハヤが戦いを挑んでしまった。
(ええい、思うに任せぬ愚物どもめ……。)
タケハヤの態度に怒ったミズチがついに神威を解放してしまった。
(この妾を差し置いて状況が勝手に変わってゆくなど、あってはならぬこと……。)
今や大地は揺れ、奴の背からは生命の危機を感じさせる火煙が吹き上がり始めていた。
こんなことはオオトリの想定にはない事態だった。
あの荒神が本気を出す前に討取ってしまわなければ、自力で劣る自分たちには到底勝ち目などないと判っていたからだ。
だからオオトリは焦っていた。
こうなってしまったら、もう進むことも退くこともできない。
ならば、大人しく滅ぶのを待つのか?
否。
そんなことぐらいで諦められるような性格ならば、最初からこんな大逆を謀ったりなどしていないオオトリだ。
(じゃが、一体どうすれば良いのか……。)
悩むオオトリ。
タケハヤの剣は折れた。
その上荒神は謎の力で蘇り、さらには神威を開放したことでますます強大になってしまった。
一方で、こちら側の利と言えば、オオトリの加護によって、タケハヤが奴の炎熱で死ぬ心配はないと言うことぐらい。
たとえ炎に耐えられたとしても、「踏みつぶされる」、「噛み殺される」と、タケハヤの命が失われる手段は枚挙に暇がないのだ。
(あの荒神めが怒りに任せてあの人の子を飲み込んでくれれば……いや、それも今となっては確実とは言えぬ……。)
何しろ相手は首を失ってもケロリとして蘇るような怪物。そんな奴を相手に、耐炎耐熱の加護を食らわせたからと言って、本当にそれが奴にとっての毒となり得るのか?
オオトリにはもう後がなかった。今ここでそんな博打に打って出て、貴重な手駒を失うわけにはいかなかった。
こちらの刃は折れ、相手は敵意をむき出しにした。万策尽きているように思えて仕方がないオオトリ。
自分だけでも逃げると言う選択肢ももう存在しない。
今逃亡したところで、タケハヤに加護を与えたオオトリの神威はもう尽きかけているのだ。今死ぬか、ほんの少し生き永らえるのかの違いでしかない。
(せめて何か良い武器でもあればよいのじゃが……。)
そうすれば、タケハヤはまだ戦えるだろう。もう少しだけ時を稼ぐことができるだろう。
時を稼げれば、オオトリの目と知識を以ってミズチの弱点を探り当てることもできるかも知れないのだ。
そう思うオオトリだが、そんな都合の良い武器がそうそう落ちているはずがない。
大体、今までタケハヤが振るっていた剣だって決して安い物ではなかった。安いどころか、あれは人の世の名剣と言ってよい業を結集して作られた物だった。
それがミズチの首三つを斬っただけで、ああも簡単に寿命を迎えてしまうとは……。
あの名剣でこのザマだというのなら、この人の世であれを超える剣をどこで手に入れればよいと言うのか。
(せめて妾にもう少しだけでも力が残っておれば……。)
神威の補充がままならないことが口惜しくて仕方がないオオトリだ。
思い返してみれば、かつてあの荒神から手痛い一撃を受けて、眠りに就かざるを得なかったのが痛かった。
そうでなくとも天界追放の際に、オオトリは多くの神威を剥奪されている。だから今のオオトリに残された物と言えば……。
(お?……そうか!その手があったわ!)
ふと閃くことがあって目を見開いたオオトリ。
オオトリは、自分に残されている物がまだあったと気付いたのだ。
(確かここに……。おお、あったわ。ありおったわ。)
オオトリは、それが確かに自分の手中にあることを確認すると、ニヤリとほくそ笑んだ。
(これでまだ戦える……。)
これを人の子に?勿体なくはないか?――だが今を逃せばもう機は訪れない。出し惜しみしたところで神威尽きて、ただの鳥と化してしまえば、それこそ記念品ほどの意味もなさない物となるだろう。
そう思えばこそ、これを人の子に与えるのに何の躊躇もないオオトリだった。
――人の子よ……聞こえておるか?人の子よ……。――
「はっ。聞こえております、御神鳥よ。」
――残念じゃが、あやつの復活の原因……使った業がなんであるのか、妾にも皆目見当がつかぬ。――
「なんと!?御神鳥にも判りかねると?」
――うむ。それにあやつがああして猛り狂ってしまったからには、もはや我らに勝ち目はない。――
そう言ってミズチを見やったオオトリ。ミズチは神威の開放によって今までよりも一回り大きくなっていた。
もはや人の武器でどうにかできるような大きさではないのだ。
――じゃが、このまま奴を野放しにしておくわけにはゆかぬ。もし我らが諦めればそこで人の世が終わる。それだけは避けねばならぬのじゃ。――
「はっ……ははっ!」
半ば出まかせに過ぎないオオトリの言葉に改めて感激していた純粋なタケハヤ。オオトリはそんなタケハヤを愛いと思いながら続けた。
――妾も何とかあやつの弱点を探ってみよう。そなたにはこれを授ける故、どうにかしてあの荒神に対抗し、時を稼いで見せよ。――
そう言い終わったオオトリはタケハヤに一片のその物を授けていた。
「これは?」
――黙ってそのまま持っておれ。先端を己に向けて持つではないぞ。――
オオトリはそう言うと、その物に向かって何やら念じ始めた。
すると、タケハヤの掌に収まるぐらいだったその物の形状が見る見るうちに変わってゆくではないか。
「お?おおおっ!?」
神の奇跡を目の当たりにして驚きふためいたタケハヤ。片手では支えきれなくなったそれを両手で受け止めると、その物はついに一振りの剣へとその形を変えていた。
「なんと……これは……。」
――よいか、人の子よ。それは「天穂火斬」。妾の爪より生み出されし、生命の炎を呼び起こし、生命の炎を屠るための剣よ。――
「天穂火斬……。」
オオトリがタケハヤに授けた物。それはオオトリの爪だった。
これは、天上追放の際に神々によって切り取られた罪科の証。
刑罰によってオオトリの体から切り離された爪である以上、オオトリ自身にはどうあっても使いようのないこの爪。
見るたびに苦々しい思いをさせられていたオオトリだったが、それでも捨てずにいたことがこんな形で役に立つことになろうとは……。
(ほほ……やはり天の運は妾に味方しおる……。)
自分で使えなければ他の者に使わせればよいだけのこと。幸い、あの爪には天界で好き勝手に振舞っていた頃のオオトリの神威が、これでもかと言うほどに内包されているのだ。
(これならばあの荒神にも対抗できよう。見ておれ荒神ずれめが。今度こそ屠ってくれよう……。)
オオトリは、世の中には災いが転じた僥倖が確かに存在することを実感すると、不敵に笑った。
――さあ行くのじゃ、人の子よ。その剣を以ってすれば、あのような荒神、畏れるに足らぬ。我らの悲願がかなうその時まで、そなた決して諦めるでないぞ。――
「ははっ!」
オオトリによって、新たなる剣を授けられたタケハヤ。
オオトリの檄に当てられたタケハヤは、こうして人の世の災厄に一人立ち向かってゆくのであった。




