第55節 神殺しの皇子 其之四 破滅の神降臨
「だがわしは諦めぬぞ、この人の世に仇成す邪神め!何としてもここで成敗してくれる!」
タケハヤは異形のミズチを前にして猛っていた。
(この人の子……何故このように猛っておる?)
ミズチは猛るタケハヤを見て訝しんでいた。
この一人と一柱の戦いは形の上では第二戦に入ろうとしていたが、実際には武器を失って打つ手のなくなったタケハヤと、事情が呑み込めずいまいち乗り気になれないミズチでは、睨み合い以上の物にはならなかったのだ。
(この人の子……よもや妹の差し金ではあるまいな?)
ミズチはふとそんなことを思っていた。
考えてみればおかしな話だったのだ。――懲りもせずに贄などと言うバカな行いを勧める妹神を諫めるために地上に昇ってみたら、そこには反省の色を見せる妹神が待ち構えていて、「さあ酒宴を用意したのでどうぞ」などと。
(あやつが本当に反省しているのならば、なぜ贄を出そうとしたのだ?)
以前の邂逅でミズチが怒っていたのは、オオトリが他者の命を己が道具のように使い捨てにしていたからだ。
ミズチが大事に想っている侍女神も宰相も、そういうオオトリの身勝手の果てに命を落とした者。ミズチはそれが許せなくて猛り狂い、オオトリに襲い掛かっていた、というのが以前の邂逅だった。
そして今回地上に昇ったのも、再び贄を使おうとするオオトリに反省の色が見られないと、感じ取ったからに他ならなかったのではないのか?
(それが何なのだ……。少し妹神のしょげ返った所を見せられてぐらいで動揺しおって……。)
なんやかんやと言いくるめられて毒気を抜かれ、ついには乗せられるがままに酒宴に興じてしまったミズチだった。
だが、それだけで平和裏にことが終われば、ミズチも「贄のことはきつく言い聞かせなければならないが、オオトリもまあ反省している」と判断して、それで済んでいたかもしれない。
しかしそうしてミズチが強かに酔っ払い始めると、次に起きたのは首に強い違和感が出てきたということ。ミズチはオオトリに自分の首を見てほしいと頼んだが、オオトリは何もないと答えていた。
だが、本当に何もなかったのか?
首の違和感の正体はこの人の子が自分に襲い掛かっていたと言うことではないのか?
自分の身に一体何が起きれば斬られた首が生えてくるのか?それはミズチ自身にも分かってはいない。
だが、思い返せば思い返すほどに、あの時の違和感は確かに首を斬られた痛みに違いないのだと言う気がしてならない。
「さあ、どうした。地の底より湧き出でし、不浄の王め!来ないというのならばこちらから行くぞ!」
見れば、折れた剣を片手に人の子が勇ましく威嚇していた。
何とも純粋そうな好青年ではないか。これが妹神の奸計に自ら乗っかった者の姿とは考えにくい。
「去れ!これが最後の警告だ、人の子よ!それでもまだ我に刃を向けるというのならば容赦はせぬ。もう一度言う。去れ!そして二度と我の前に姿を見せるな!」
ミズチは警告した。
今ではすっかり天界に昇るという野望を捨て去って、地の底で生きることを選んだミズチだったが、天津神としての矜持まで捨て去ったわけではない。
いかに妹神に騙されているだけだったとしても、人の子に刃を向けられっぱなしで黙っていられるほど、ミズチは痩せても枯れてもいないのだ。
(さあ去るのだ、人の子よ。我には、うぬは殺すには惜しい魂が宿っておるように見える。これ以上我を困らせるな。)
だが、ミズチのそんな思いは敢無く打ち砕かれてしまう。
「地の底へと帰り給へ!ハアッ!」
人の子が折れた剣を振りかざして襲い掛かって来たのだ。
「ええい!この分からず屋めが!」
「うわっ!」
ミズチは吼えるとその体躯を以って人の子を弾き飛ばしていた。
(やむを得ぬ……妹神の手前、我自らが尊き生命を奪って見せるなど本意ではなかったが……。)
しかし、これだけの恩情を見せてやったにもかかわらず、相変わらず聞く耳を持とうとしない人の子を相手に、これ以上譲歩する気などないミズチ。
「もうよい!うぬの腹は判った。それほど死にたいのであれば、望み通りにしてやるわ!」
ミズチは腹を決めると、その身に秘めし神威を解放した。
ミズチの三つの首にある計六つの瞳は赤い炎を湛え始めていた。
そしてミズチの背中に幾筋もの赫い亀裂が走り始め、ドロドロに溶けた岩が吹き出し始めていた。
さらにミズチは吼えた。すると大地が揺れた。
それは、目に映る物すべてを焼き尽くし死と破壊をもたらす存在。猛る炎の神・怒れる大地の神・アラダマノホデリノミズチが再び地上に降臨した瞬間であった。




