第50節 計画
地底世界でミズチが侍女神のためにあれやこれやと思索していたその頃。地上ではいよいよミズチ弑逆の準備を整えつつあったオオトリが、人の子タケハヤと逢っていた。
――ふむ……良いぞ……。よくぞ揃えた……。褒めて使わそう……。――
「はっ。ありがたきお言葉にございます。」
(ほほ……こうも従順であると、愚かな人の子なりに可愛げがあるというもの……。ますます死なすには惜しい……。)
見事、自分の要望に応えて見せたタケハヤを見て、そんなことを思ったオオトリ。
彼女は悩んでいた。この人の子を犠牲にしてミズチを弑逆することが、本当に最善の策なのかということを。
タケハヤにはなぜ自分がこのような物を所望するのかなど伝えてはいない。にもかかわらず、タケハヤは不平ひとつ言わずにオオトリの命に従っていた。
こんなに便利で従順な小間使いなど、天界にいたころでさえいなかったのだ。
「御神鳥よ。これにてご要望の品はすべてそろったということでよろしいでしょうか。」
――ふむ……そうじゃの……。――
どこまでも忠実で自分への敬意も忘れないタケハヤだ。どうせ自分が天界に昇るまでの、すぐに切れる縁だとは言え、それでも惜しい気がしてならないオオトリ。
だから彼女は、もっと良いな策は無い物かと常に思案し続けているのだった。
――オオトリが当初考えていた弑逆計画はこうだった。
一.まず、人の子を贄に遣ってあの荒神ずれを地底世界から呼び出す。
(何にしてもまずあやつを呼び出さねば始まらぬ……。)
そう考えたオオトリ。何をするにしても、肝心のミズチが地上に出てこないことには始まらないのだ。そしてこれは、既に人の子の集落が動き出していることも確認できている。
二.そして奴が地上に現れる場所に八塩折之酒を置いておく。
(あやつは前回と同じ道を通ってくるであろう……。場所については疑う余地もなし……。しかし酒は……。)
八塩折之酒は、十分な量が確保できず不足分を普通の酒で賄っているのが現実だ。だが、その普通の酒にはオオトリなけなしの神威を注ぎ込み酒精の度を高めておいてある。ならばこちらも問題はないと言ってよいだろう。
三.奴がその酒を飲みほして十分に酔わせる。
(ここまでは良い……。あの荒神と妾、認めたくはないが我らは兄妹神……。目の前に旨そうな酒が捧げられていて手を付けぬはずもなし……。)
かつて天界にいた時に酒で痛い目を見たオオトリだ。
かつてのオオトリは、酒の席で気が大きくなってしまったことが原因となって、自分が天界を追われる口実を八十神どもに与えてしまったのだ。
今回の策も、そのことを忘れていないからこその計略だった。そして――
四.荒神が酔い潰れる、或いは前後不覚になった頃合を見計らって、刺客・タケハヤを討伐に向かわせる。
(そのために国津神を探しておったが……無い物はねだれぬ……。刺客が人の子でもやむなしと言ったところか……。)
無論、ただ酔い潰しただけでただの人の子が、あの強大な力を持つ荒神を討伐できるなどと思っていないオオトリだ。例えミズチが酔って眠っていたとしても、奴の吐き出す寝息だけで人の子の命を奪うこともできるのだ。
(ほほ……さすがにそこで死なれては適わぬ……。よって、妾の出番というわけじゃ……。)
だからオオトリはタケハヤに自らの加護を授けておくことにしていた。これによってタケハヤが荒神の炎に焼かれて死ぬことはなくなる。
どれだけ焼き払おうとしても意にも介さず、自分目がけて前進してくる刺客を、あの荒神はどうするのか?――おそらくは丸呑みにするだろう。
(あれだけの巨躯の蟒蛇よ……。人の子ならば、餌としてはまあまあの大きさであろうよな……。)
それこそがオオトリの狙いだった。
オオトリがタケハヤに与えようとしている加護には、隠された効果があった。オオトリの加護とは耐炎耐熱の加護。つまり燃え盛る炎を消してしまうというものだ。
(妾は業火のあとの熾火より現れし神……。炎が燃え広がらぬようにすることなど造作もないことよ……。)
如何に強大な力を持つ荒神だろうと、奴が業火の化身であることには変わりない。その荒神が耐炎熱の加護を授かったタケハヤを食ってしまえばどうなるか。
答えは簡単。タケハヤは荒神にとっての猛毒。奴はたちどころにもだえ苦しみ、そして間もなく死に至ることになる。
もし奴が酔いつぶれて寝てしまって、丸呑みどころではなかったしても、その時はタケハヤに「荒神の弱点は腹の内にある。自分の加護によってそなたは腹の中でも死ぬことはないから自ら飛び込め」とでも吹き込んでおけばよいのだ。
勿論オオトリの加護に、腹の中で溶かされるのを防ぐ効果などないし、当然食われたタケハヤも死ぬことになるが、佩いて捨てるほどの数がこの地上にひしめいている人の子一人がどうなろうと、そんなことはオオトリの知ったことではなかった。
(――とは言え、やはり不安はぬぐえぬか……。)
策を一通り浚ったオオトリは、どこまでもついて回る失敗の可能性を懸念していた。
あやつは道理の通じぬ荒神。生まれつきなのか、地に潜むうちにそうなったのかは知らぬが、言って聞かせたからといって、はいそうですかとなるような相手ではなかった。
だからおそらく自分が言葉巧みに飲め飲めと誘ったところで、酒を飲むことはないだろう。
飲むとしたらそれは奴自身の意思によるところでしかない。
酒は奴の理性や判断力を奪い去るために用意させたものだが、飲んでくれなければ、状況の不自然に気付いた奴が、地に潜んでしまいかねない。
そういう不確実さを排除しておきたいがそのための策が思いつかない。その上、こうも忠臣たらんとするタケハヤに愛着が沸いていたオオトリは、悩み始めていたのだ。
「……?御神鳥よ。いかがなされた?我が手際に不備でもおありか?」
思案の海に沈みこんでいたオオトリは、タケハヤの質問を聞いて、はっと現実に引き戻されていた。
見ればタケハヤが不安そうな顔でこちらを見ている。
「御神鳥よ。もしや体調がすぐれないのですか?」
タケハヤは、準備に漏れはないかと尋ねたのに返事がないことを不審に思ったのだ。
――……いや……何でもない……。妾が望む物はすべて整った……。そなたに頼みたいことは、あと一つだけじゃ……。――
「左様でしたか。叱らば最後の頼みとやら、何なりとお申し付けくだされ。」
――ほほ……よき返事よ……。じゃが、最後の頼みは今までのような簡単な物ではない……。覚悟はよいな……。――
「無論。」
オオトリは腹を決めた。
どうせこやつも人の子、死んだらその時はその時で諦めるしかない。それよりも今はミズチの弑逆が最優先だった。
――では申し伝えよう……。妾の最後の望み……それは……――




