第49節 侍女神の後悔 ミズチの閃き
「はあ……。」
ミズチの求婚を袖にして以来――自室に引きこもることが多くなっていた侍女神。
「ミズチ様……きちんとご飯を食べていらっしゃるかしら……。」
彼女は、自室にこもってはそんなことばかりを心配している日々が続いていた。
実は侍女神は、ミズチが思っているほど落ち込んでいるわけではなかった。
ただ、ああいう振り方をしてしまった手前、どんな顔をしてミズチに会えばいいのか分からなかったのだ。
「わたくしは最初、ミズチ様の母代わり……いいえ、姉代わりのつもりだったのに……。」
自分にとって、出会った時のミズチは、主人にして友人だった太陽神の子に過ぎなかった。
勿論、粗略に扱っていいような相手ではなかったのは確かなのだけど、それはあくまでもミズチのやんごとなき出自によるもの。
何かと言えば怒って大地を揺らすようなやんちゃな子どもなんかに、男だとか情愛だとかそう言ったものを見出せるはずもなかったはずだったのだが……。
「それが、いつの間にかあんなに立派になられて……。」
今のミズチは、まだ子どもらしい純粋さをどこかに隠し持ってはいるものの、感情に任せて周りに被害をもたらすようなことはなくなっていたし、それどころか周囲の者を慈しんだり、気遣うことすらできるようになっている。
外見こそまだまだ「おっきな蛇」には変わりないものの、その魂の形は立派な男子に成長を遂げつつあるのだ。
「そうね……。いつまでも子どもだと思っていたら、あんなことを言われたものだから……わたくしの方が慌ててしまったのね……。」
ミズチには悪いことをした。そう思わずにはいられない侍女神。
木と火は交われない……。それが世の定め……。
自分の言葉に嘘はない。でも何か方法があったのではないか。そういうことを考えもせずにミズチを拒絶してしまった。そのことが申し訳なくて、合わせる顔がない侍女神。
そうして今日も、ミズチのことを心配しながら部屋に籠る生活を続ける侍女神だった。
一方のミズチはと言えば――
「たらふく食わせりゃ、大抵の女は機嫌直すんじゃねえか?」
「うめえモン食って不機嫌になる女は見たことねえなあ。」
「おれはそうやって、かかあを捕まえたぜ。大王様もそうすりゃいいんじゃねえのか?」
「……そ、そうか……検討しよう……。」
宰相との第一回作戦会議の結果に従って、その道に長じた者の意見を募ろうとしたミズチだったが、この地にいるのは善良な農夫と職工人ばかりで、ジゴロな者などそう都合よく見つかるはずがなかった。
だからミズチは、仕方なく手当たり次第に知り合いに声をかけては女子の機嫌の取り方を聞いて回っていたのだが……。
「むう……身分が違うと、こうも違うものなのか……。」
出てくる意見は何の参考にもならないものばかり。
幼少の頃はどうだったが知らないが、侍女神はその名の通り太陽神に使える侍女。ミズチの母神たる太陽神に使えるようになってからは、食うに困るような生活をしてこなかったのだ。
その彼女に、今さらたくさんの食べ物を差し出したところで、どれだけ喜んでくれるというのか。
(もし迂闊にそんなことをしてみろ。あの侍女神のことじゃ。もったいないことをするなと叱られるのが関の山ではないか……。)
今のミズチと侍女神の関係性ならば、叱ってくれるならそれだけでも御の字かも知れない。だが、ミズチが求めている成果はそう言うことじゃない。
「これは宰相殿に相談するしかないのか……。」
そう言って天を仰いだミズチだったが、肝心の宰相は相変わらず多忙を極めた生活を送っている。その働ぎぶりと言ったら、彼がすでに亡者だからこそ体を壊しもせず、死にもせずに済んでいるようなものだ。
その彼にこれ以上の負担をかけるのは、いくら何でも忍びない。
「頼られてうれしいとは言っておったが、ああも忙しそうにされるとそれも気が引けるのう……。」
そんなことをぶつくさ言いながら宮殿区に帰還したミズチ。
今日一日歩き回っても、結局それらしい成果は得られなかった。
「宰相殿。今帰った。宰相殿。そこにおられるのか?」
そうして宰相に帰還の挨拶をしようと宮殿の建物に首を突っ込むと――
「宰相ど……お?」
そこでミズチの目に留まったのは鏡であった。
鏡――いまだその名称も理屈も解からぬこの不思議な鏡。
見る者の望んだ場所を映し出すことができるその鏡は、一時期ミズチお気に入りのおもちゃになっていた。だが、ミズチと侍女神の仲が気まずくなってからというものの、あれほどご執心だったミズチの興味もすっかり向かなくなって、そのまま忘れていたのだ。
「鏡……鏡か……。」
その鏡に何か有用な使い方があるのではないか。そう思い付いたミズチだったが、具体的な何かが浮かんでこない。
「おや、ミズチ様。お帰りでしたか。今日の首尾はいか……どうなされたのですか?」
そこに現れたのは宰相。彼は、書簡を手に部屋の奥から姿を現すと、ぶつぶつ言いながら考え込んでいるミズチに気が付いて、声をかけていた。
「鏡……映す……そうかっ!」
「わっ!?」
ミズチが急に首を持ち上げたものだから、驚いてその場にしりもちをついた宰相。
「――なんじゃ宰相殿。いつの間に来ておった?……そこで何をしておる?」
「はは……ミズチ様。何か良き成果でもありましたか?」
まさか自分のせいで宰相がひっくり返っているなんて思いもよらないミズチだ。宰相もミズチに悪気がないのを分かっているからこそ、こそには触れずに今日の成果を尋ねていた。
「おう宰相殿。今日はな、知った顔を見つけたら手当たり次第に尋ねて回ってみたが、何の成果も得られなかったぞ。やはり、人の子の農夫らと我ら神族では、話が嚙み合わぬこともあるのだということを思い知った一日だったわ。おそらくこれを何度続けても同じことではないかと、我は思う。」
「そうですか……。ですがそう言う割に、随分と嬉しそうではないですか。」
「そう見えるか?であろうな。何しろ我は新たな策を思い付いた。聞きたいか?聞きたいな?よかろう、ならば教えようではないか。聞いて驚け。それはな――」
「なるほど。それが鏡ですか。」
ふふんと言わんばかりの態度で発表しようとした矢先に、宰相に先を越されたミズチ。ミズチはそんならしくない行動に出た宰相に意外さと恨めしさを綯い交ぜにした視線をくれながら抗議した。
「我はまだ何も言っておらぬ。」
「それだけ鏡に張り付いておられれば誰でも分かることです。」
「む、むう……そうか……。」
「しかし、なかなかの妙策かと思います。ミズチ様の仰られた通り、生まれ育った環境で喜ばれる物事が違うのは確かなのですから、なまじここの農夫たちに聞いて回るよりも、余所の貴族の生活から着想を得る方がいいかも知れません。」
「そうか!そうであろう!」
「はい。それではこの調子で引き続きやっていきましょう。」
「うむ。そうしよう。」
こうして二人の試行錯誤は続く。
しかし、ミズチたちはまだ知らなかったのだ。こんな罪のないことに自分たちが思考錯誤しているその一方で、ミズチに恨みを抱き弑逆せんと目論む邪な存在がすでに復活し、地上でその計画を着々と進行させていることに。




