第48節 八塩折
タケハヤが老夫婦と遭遇してから数日後。
タケハヤは「最初のムラ」から少し入った例の森の中で一人、腕を組みながら瞑想に耽っていた。
(ふむ……災厄の神……生贄……御神鳥……我が君……。)
それで特に何か得られるものがあるわけではない。ただ一人になる必要があったから、こうしてあまり人の踏み入らぬ森に入り、古木に身を預けていたのだ。
実は昨夜、タケハヤはオオトリと二度目の邂逅を果たしていた。
――人の子よ……。聞こえておるか……。人の子よ……。――
「御神鳥!?何処におわす?」
諸般の事情から「最初のムラ」に留まっていたタケハヤは、客室で眠りに就こうとしているところにオオトリの声を聞いて声を上げていた。
――ほほ……聞こえておればそれでよい……。無理に妾を探そうとするでない……。して、人の子よ……。そなたの用事とやらは無事済んだのであろうな……。――
勿論、百里を見通す目と千音を聞き分ける耳を持っているオオトリは、タケハヤの用事が首尾よく済んでいることを知っている。だが、「実は気になってずっと見てました」などと言えるような度胸もない彼女は、そうやってタケハヤに興味などないという振りをしていた。
「はっ。御神鳥よ。おかげ様をもちまして、無事、わが所用を済ませることができました。」
――ほほ……そうかえ。それは重畳よな……。では人の子よ、次は妾との約束を果たす番……。よもや忘れてはおらぬな……?――
「無論。何なりとお申し付けください。」
――ほほ……殊勝なものよ……。そうじゃな……ではまずは、そなたに用意して貰いたいものがある……。――
そうして用意されたのが、タケハヤの目の前に置かれている甕だった。勿論、甕自体に用はない。用があるのはその中身。
「このような物をご所望とは……。御神鳥、何を考えておられる。」
まさか自身で嗜むつもりなのだろうか。そう思って封の隙間から漏れ出ている匂いを嗅いだタケハヤ。すると――
「っぅく……!げほっ……!」
やはりきつかった。タケハヤもいける口ではあったが、それでもこの匂いは強烈だ。何度嗅いで見ても、すでに人が嗜めるような強さの代物ではなくなっていたのだ。
「さすがは御神鳥、と言ったところか。これほどまでに強い酒をご所望とは……。」
そう。甕の中身は酒だった。それもただの酒ではない。
八塩折之酒。――何度も何度も繰り返し醸して作られた特別に強い酒なのだ。
そういう物を用意させておきながら、オオトリ自身はは余人に姿を見せることを嫌う。だからタケハヤはこうして森の中に入り、オオトリがこの甕を取りに来るのを待っているのだった。
その日の夜……。結局日が暮れてもオオトリが現れることはなかった。
今日はもう来ないだろうと思い、一度ムラに戻ったタケハヤだったが、とある予感がして、食事を済ますと再び森の中に踏み入っていた。
するとそこでは……。
――人の子よ……。妾の言いつけた物。用意できたか……?――
タケハヤの予感は的中していた。オオトリがいつもの技で話しかけてきたのだ。
「これは御神鳥。何処とは申しますまい。ご用命の品はここに。」
――ふむ……そうか……。――
オオトリはそう言うと、どこからともなく姿を現していた。そして自らの目で甕の中身を確認しているではないか。
「なんと……。」
オオトリの姿を見て驚いたのはタケハヤだ。すでに一度は見たことがあるタケハヤなのだが、それでもこの威容には慣れないものらしく、息吐くのも忘れて見惚れるという有様だった。
――……なんじゃ……?――
タケハヤの視線が気に障るのか、ギロリと睨み付けてきたオオトリ。
「いえ。今一度ご尊容を拝することが出来ようとは露ほどにも思っておらず……。」
――……そうか……。では慣れよ……。これからもそなたには姿を晒すこともあろうからな……。――
「はっ。」
――……ふむ……少し薄いが、まあよかろう……。これでよい……。じゃが、数が足りぬ……。少なくともこれと同じ物を十は用意せよ……。――
「十、ですか?」
――不服か……?――
「いえ。ご用命とあらばいくらでもご用意したいところなのですが……すぐには無理です。これ程の強い酒となると、そこのムラにある物すべてかき集めてもこれで精いっぱいなのですから。」
小さな集落とは言えそれなりの数の酒は貯蔵してあるはずだった。にもかかわらず、タケハヤが差し出した酒はわずかに一甕。それも半分も入っていない。八塩折などという用途の限られた酒が、そう潤沢に置いてあるはずがないのだ。
――なるほど……道理じゃのう……。ではこうせよ……。そなたはここに限らず、周辺の集落より酒をあるだけ買い集めよ……。八塩折の方が良いが、なければ普通の物でもよい……。――
「それで、よろしいのですか?」
――よい……。時も惜しい……。ない物をねだることは出来ぬ故な……。――
「ははっ。」
頭を下げたタケハヤ。
こうしてオオトリのミズチ弑逆計画の片棒をかつぐことになったタケハヤは、そうとも知らずにオオトリの野心のために奔走し続けることになった。




