第44節 皇子は一人野を行く
ヤマト国の皇子、タケハヤはヨシノの柵を出ると迷うことなく川沿いの道を進み始めていた。
このヨシノに来るまで、さんざん迷った挙句にオオトリの世話になっていたタケハヤ。だが、今度はあらかじめ見送りの兵に帰りの道順を聞いていたので、そうそう間違えることはないだろう。
タケハヤは兵とのやり取りを思い出しながら道を行く。
「それでは、自分はここで失礼します。」
見送りの兵は柵門を出た所で立ち止まるなりそう言うと、ふわっとした笑顔をタケハヤに向けていた。
「うむ。見送りご苦労。ヨシノ大王にもよろしく言っておいてくれ。」
適当に言葉を返すタケハヤ。彼は兵のその様子に何となく頼りなさを感じていた。
この兵、兵と言うにはあまりにも人懐こくて愛想がいい。本当にこんな様で戦の際に敵を殺めることができるのだろうか。
「ああ、つかぬ事を聞くが……港湾の集落へはどう行けばいいのだろうか。」
だが、次の瞬間には考えなおすタケハヤ。――そんなことはあくまでもヨシノ国の問題だ。わざわざ自分が口を挟んだりするような問題じゃないだろう。
「コーワンノシューラク?」
タケハヤの質問に兵が不思議そうな顔をしていた。タケハヤは港湾の集落から来たはずなのに、どうしてそんなことを聞くのか分からないと言った顔だ。
「ああいや。別に道が分からないというのではない。ただわたしが知っている道よりも近道などあればその道を選んでみたいというだけのことで、決して道が分からな――」
タケハヤは弁解した。本人は気付かなかったが結構な早口だ。
本当は道が分からないだけだった。森の中で右も左も分からなくなるぐらいに彷徨っているところをオオトリに救われたタケハヤだ。往きがそんなだったから、当然この柵と港湾の集落を結んでいるはずの道など知る由もない。だが、それは正直に言うにはあまりにも体裁が悪い。
だから彼はそんなつまらない嘘を吐いてまで体裁を繕おうと慌てて弁解していたのだが……。
「ああ『港湾』か。ええ。イの国のことでしたらそのに見える川をさかのぼって行って最初にぶつかったムラから向こうの山に――」
単に「港湾の集落」という言い方が聞き慣れなかっただけらしい兵は、納得するなりその道順を身振り手振りで親切に教えてくれていた。
「で、――こう行くと――がありますので――」
「あ――おお――そうか――」
一々道の細かい所まで丁寧に説明してくれる兵と、無意味な見栄を張ってしまった気恥ずかしさで今一つ説明が頭に入ってこないタケハヤ。
こんなやり取りがしばらく続いて……。
「――で、後は道なりに行けばイの国に着くはずです。分かりにくかったでしょうか?」
「うむ。いや、大丈夫。やはりわたしが来た道と大きな差はないようだ。」
兵の丁寧な説明が終わるなり、タケハヤはそう答えていた。
そう言いながらも、タケハヤは実は説明されたことの半分ぐらいしか頭に入っていなかった。こんな時ぐらい素直に聞き直せばいいものを、一介の兵相手に無意味な見栄を張ってしまった気恥ずかしさをずっと引きずっていたせいで、これ以上この場に留まることに耐えられなかったのだ。
だからタケハヤは適当に礼を告げて話を切り上げると、港湾の集落への道を覚えている限りで歩み始めていた。そして――
「むう……しかしこうなると、また迷……いや、要らぬ道草を食うことになりかねんな……。いや。まあよい。次のムラに入ったところでまた道を聞けばよいだけのこと。ははは……。」
タケハヤは川に沿った道をさかのぼりながらそんなことを独り言ちていた。別にそれほど急ぐ旅ではないのは確かなのだ。
タケハヤが祖国ヤマトからわざわざ海峡を越えてこの島にやって来た目的は、ヤマト国と敵対するクマ国の制圧するためだった。だが、それだって別に「我が君」から期限を切られているわけではないのだ。
あわてて事を進めてしくじるよりも、じっくりと確実にやる方がいいに決まっているのだが……。
「くっ……あまりちんたらやっておると、あやつら、わしのことを侮り出すからな。それだけは許せぬ。」
タケハヤは自身と共にこの島に上陸し、今はそれぞれ別の作業に当たっているはずの二人の臣の顔を思い浮かべながら悪態をついた。
ヒラタヒコとモリヤヒコ。この二人の臣、間違いなく自分の直属の臣のはずなのに、主人に対する敬意が全く見られないのはどういうことだろうか。
タケハヤはそんな不満を抱きながら道を歩いていた。
――モリヤ。奴はまだいい。
臣になってから日が浅いし、元は「我が君」が、特にと言って自分に付けてくれた秘蔵の臣なのだ。彼にも「我が君」直属だったという誇りがあるだろうし、大王の直属から弟皇子に付けられたということに思う所があるのも理解できる。それでも表向きはキチンと臣従して見せるあたり、なかなか可愛いものではないか。
タケハヤは何やら一人うんうんと頷きながら道を行く。そして暇に飽かして考え続ける。
――だがヒラタはどうだ。
あやつはわし自らが見出してわし自らが育て上げたわしの懐刀だ。野で飢えて死にかけている所をこのわし手ずから助けてやったというのに、奴はいつまで経っても野にいた時の態度から改まるということをせぬ。わしが何か提案すれば反対ばかりして、主人を持ち上げるということを知らぬ男なのだ。
今回、わしが単独でヨシノを尋ねることになったのだって、元を質せばあやつの減らず口から始まったことなのだ。そう思えば奴を許すことなどできはしないだろう。
タケハヤは何やら一人むかむかと腹を立てながら道を行く。そしてふと気が付けば、視線の先には見送りの兵が言っていた「最初のムラ」が姿を見せ始めていた。




