第38節 接触 神鳥と刺客となる者
(ほほ……なんとまあ……どこに消えたかと思えば……。)
オオトリはすっかり暗くなった空を旋回しながら密かに安堵していた。例の若者を見つけるのに予想外の時間を要してしまっていたのだ。
本来であればオオトリの目にかかれば一度見た者の追跡など容易いもの。――そのはずだったのだが、オオトリがいくら探してみても若者の姿が見つからない。
オオトリが目を離した数日のうちに、彼はいったいどこに消えてしまったのか。
露や霞でもあるまいに本当に消えるはずがない。そう思ったオオトリは人の子の足で行けると思われる範囲を隈なく探し回り、それでも見つからないのでダメもとでこんな所にはいないだろうという所まで探し回って、ようやく彼の者を見つけることができていたのだ。
(それにしてもあやつ、一体どうして……。)
オオトリは眉をひそめた。
この短い間に人の子の足で一体どうやってこんな遠方まで?――そう思うのももちろんそうだったが、それ以上に彼女を困惑させたのは、若者が道とも呼べないような森の中をひとり彷徨い歩いていたからだった。
「ええい!まったくなんだというのだあいつらは!」
森を一人征く若者は非常に分かりやすく憤っていた。
「あれでも我が臣のつもりか!なぜわしにことごとく逆らうのだ!」
歩き方も実に乱暴で、あの歩き方に比べれば山賊の類だってもう少し上品な存在に見るだろう。
「何が『考え直してください』だ!何が『そう上手くいくわけないでしょう』だ!あいつは臣として主を信じる心が足りぬからそんな言葉が出てくるのだ!」
怒りに任せて手にした剣で藪を薙ぎ先を急ぐ若者。しかしその剣筋は怒りのせいで狂い、何度薙いでも彼が期待したほどにこの茂みを切り払うことは出来ていない。
「ええいなんじゃ鈍は!ハズレを掴ませおって!おい!本当にこの道であっているのか!?」
若者はイライラを隠そうともせずにそう言いながら振り返っていた。しかし返事はない。それはそうだろう。今の彼はたった一人なのだから。
「……ふん。もう知らん。やってられるか。わしはもう眠るぞ!」
若者は少し開けた場所に出るなりそう言って野営の支度を始めていた。
(……あやつ……本当に何をやっておるのじゃ?)
オオトリは不安になっていた。道でもなんでもないただの藪の中を独りぶつくさ言いながら征く若者。自分は今からそんな輩と交渉をしなければならないのだ。これで不安にならない者がいるだろうか。
彼の独り言を聞いているだけでも大方の事情を察することができてしまうのが、またその不安を増大させる。
今のあそこに見える若者は、確かに港湾の集落で見かけた者だ。なのに、あの時一緒にいた臣らしい連中もおらず、今の彼は正真正銘の独りぼっちだった。
(あやつ、己が意見だけが最良の選択だとでも思うておるのかの……。)
溜息をつくオオトリ。
彼の愚痴を聞いた限りでは、自分の意見に反対されたことに腹を立てて、一人飛び出してきたということらしい。彼がこんな日暮れ時分に好んで森に入るような奇人変人の類ではないこと分かったのはまあ朗報と言って良いかも知れないが、あれは上に立つ者のすることではない。
君子の風格もへったくれもない腹の立て方をする若者に、呆れかえるしかないオオトリ。そして彼女は悩む。
――いくらなんでもこんなのに頼るのは気が引けてくる。あんな小物に我が同胞たるあの荒神が討てるなどと到底思えない。さらに言えばこんな者に頼みごとをするなどというのはオオトリの沽券にかかわることだろう。
だがそれでも、もともと協力を仰ぐつもりだった国津神が見つからないからという消極的な理由から、この若者でやむなしと妥協したオオトリだ。あれだけ探し回ってもめぼしい国津神が見つからなかった以上、そう簡単にあの若者を見限るわけにもいかなかった。
(むむう……人の子の集落もすでに動き出しおるしのう……。今から新たな刺客を探そうにも当てもなし……。)
復讐心に駆られるあまり早まってしまったか……と、反省するオオトリ。
集落の動きを一度止めるというのも考えなくはなかった。だがどうやって、何を理由に止めるというのか。
先日現れた神聖の星は災厄の前兆ではないなどと説明したところで、どうせ準備が整えばまたすぐに神聖の星を演じなければならない。その時になって今度は災厄の前兆ですなどと、どうやって釈明すればよいのか。
もし適当な言い訳でもして人の子の集落にこれはお手盛りの話だと感付かれれば、いくら人の子が暗愚の存在だとは言っても、贄を出そうとはしなくなるかも知れないのだ。
それは困る。贄はあの荒神を召喚するためには必須なのだから。
(むう……気が進まぬ……。じゃが、これもまた仕方ないことか……。)
不用意に神聖の星を演じてしまったことを後悔するオオトリ。だが、そんな先に立てようがないものを今さらいくら立ててみたところで事態が好転することはない。
(さて……まずはあやつを鍛えててやらねばなるまいな……。)
そう腹を決めたオオトリは動き出した。
そして一人不貞腐れながら野営の準備を終えた若者の近くに降り立つと、神々しく語りかけていた。
――おお、人の子よ。人の子よ。妾の声が聞こえておるか。――




