第31節 亡者の世界 地底の理
オオトリの復活など知る由もない地の底に暮らすミズチは変わらぬ毎日に退屈を感じつつも、満ち足りた気持ちで日々を過ごしていた。
「おう。そこを行くのは農夫殿ではないか。」
たまたま暇を持て余していたミズチは侍女神を伴って適当に散策などかましていると、偶然出くわした農夫に声をかけていた。
「ん?ああ。こりゃあ、誰かと思えば大王様と妃様でねえか。まあ夫婦で仲のええこって。」
「んなっ!?」
「まあ!?」
その農夫とは、ミズチがこの地に降り立ったときはじめて言葉を交わしたぞんざいな口の利きようのあの農夫であった。
そして農夫の開口一番に二人が驚いていた。
「なんだ。おめえ様ら、まだそういう関係じゃなかったのか。」
何とも初心なこってまあ――二人の様子を見た農夫は呆れながらそう言っていた。
「……。」
侍女神は珍しく動揺をあらわにして顔を真っ赤にしてうつむいてしまっている。
一方のミズチは農夫の勘違いがよほど気に召したのか、照れくさそうにしながらもいつになく上機嫌に受け答えていた。
「は、はは……。そう見えるか?」
「いんにゃ。まるで見えねえな。」
「何じゃそれは。」
農夫の態度の豹変にムッとするミズチ。
「だってそうだろう。そんな初心な夫婦なんてねえよ。ありゃあ、おれの勘違いだったんだな。」
「むう……。」
「まあそう気を悪くすんな。おれたちの仲でねえか。」
「……まあ……そうじゃな。」
こんな言い草でも一応は侍女神を気遣ったらしい農夫。
それにミズチはこの農夫のことが気に入っていた。この農夫、ぞんざいなことばかり言うが腹の中には何もないのだ。
口先ばかりで腸はなし。――言葉遣いが雑であっても悪意などこれっぱかりもない者だというのが分かっているからこそ、ミズチも彼の非礼も無礼も快く受け入れることができるというものだった。
「それにしてもお前さま、しばらく見ねえ間に随分と縮みなすったんでねえか。」
話を切り替えた農夫は、ちゃんと飯食っとるのか。とミズチを気遣った。
「おう。食っておるぞ。」
ミズチは答えた。
侍女神、宰相、この地に暮らす民……おかげさまで税の上がりは年々右肩上がりで、如何にミズチが大喰らいとはいえ、公共のために支出を差し引いてもなお食ってゆくぐらいの蓄えは充分にあった。
しかし農夫の言葉はその通りで、実際ミズチは縮んでいるのだ。それは己が神威を神器に移したことに起因していた。
かつて小山と見紛うばかりであったミズチの体躯も、今では古木と背比べができる程度になっていた。そしてミズチの体はまだこれからも縮んでゆくのだろう。
「そうじゃ。前から聞きたいことがあったのだが。良いか?」
「なんだ?おめえ様が珍しいなあ。」
「――ここは命持たぬものが集う場所ということでよいのだよな。」
「ああ、そうだな。ここは亡者のクニだ。」
この地で生者と呼べる者はミズチだけだった。偶然この地にたどり着いてしまった彼を除けば、後は全員が亡者のはずである。
「うぬはそれを知っておったのか。」
「まあ、そうだな。」
「最初からか。」
「んだな。」
こともなげに答える農夫。
「それは何故?どうやって知ったのだ。」
宰相もそうであったが、この農夫も自分が亡者だと知っていたと言う。だがどうやってそれを知り得たのか。侍女神などは自分が亡者だと気付いていなかったではないか。
「どうもなにも、おら自分が死んだ時のこと憶えてるんだもの。」
「そうなのか。」
その言葉に驚くミズチ。
「んだ。家族に見送られながら逝くのは、そう悪いもんでもなかったぞ。」
まあみんな悲しそうなのが良くなかったけどな。と、農夫は寂しそうに付け加えていた。
「家族?もしやうぬには子がおったのか。」
この話はあまり引っ張らぬ方がよい。そう思ったミズチは話題を変えた。
「ああおったよ。ガキどころか、何ならもう少し生きてりゃひ孫の顔も見られたな。」
ありゃあ惜しいことをしたな。――せっかくの楽しみを逃した。農夫はさっぱりとした口調で答えていた。
「何と。ひ孫とな……うぬは一体何歳なんじゃ?」
ミズチは農夫の答えが信じられなかった。目の前の彼はどう見てもそんな年嵩には見えないのだ。
「ああ?ああそうか。おめえ様にはおらがどう見えとるんだ?」
ミズチの問いに気付かされることがあったようで、反対に問い返す農夫。
「どうって?」
「若えか?」
「まあ、そうじゃな。」
二十歳過ぎぐらいか?とミズチは尋ねた。
「そんなにか!そりゃあうれしいこったなあ。」
ミズチは決してさばを読もうとしていたわけではない。そんなことをして歓心を買ったとて何の意味もない相手だ。しかし思ったままを言ったミズチの言葉に農夫は大層喜んでいた。
「……でもなあ、おらには自分のことがよぼよぼの爺に見えとるのよ。」
自らの手を見つめながら答えた農夫は実に残念そうであった。
「何?そうは見えぬが。」
「それはおめえ様がそう見ようとしてねえからよ。」
まあ聞きなせえ――と、訝しむミズチを諫めて続ける農夫。
「まあ、おらもここに来たときはおめえ様が言ったぐれえの齢に見えとったんだがなあ。」
分からぬ。この地の理が天や地とは違うものであることは承知しているつもりであったが、それでもミズチには理解ができなかった。
おらも自分が体験したことしか分からねえんだけれども――そう前置きして農夫は続けた。
「――ここはな。死んだ時の齢恰好のまま来るわけじゃねえのよ。大抵の奴は死んだ時よりも若え姿になってやってくるなあ。」
若返ってやってくる?――なぜかとミズチは問うた。
さあ、そこまでは分かんねえけど。――そう言いながらおのれの考えを披露する農夫。
「そのぐれえの齢が一番楽しかったんでねえか。めんけえ嫁がいて、カワ(・∀・)イイ!!ガキが生まれて、おらも一番やる気が溢れとった時期だものな。」
「それではここにいる者たちもまた生ある者たちと同じように時と共に老いてゆくのですか。」
いつまでも真っ赤になってうつむいているわけではなかった侍女神が話に参加した。
「まあそういうこったな。」
いつになく饒舌な農夫だ。
「――そんでな。まあ手前で手前がどう見えてるかはそれでいいんだけれども、手前が余所様からはどう見えてるかは相手次第らしいんだわ。」
ほおう。――ミズチは嘘か真かまだ判断はつきかねて、ただ感心していた。
「ええか?よく聞け。おらはよぼよぼのジジイだ。もう何時おっ死んでもおかしくねえそのぐれえのジジイだ。そう思ってみて見ろ。」
言われるままに農夫を観察するミズチを侍女神。すると――
「どうだ?」
「まあ……。」
「何と……。」
二人がそれぞれに驚きの言葉を発していた。
「見えたか……。そうだ。これが本当のおらだ。おらもいつまでここにいられるか分かんねえが。」
「それではここの民もいつかは死ぬということか。」
「おらたちみんなもう死んでるから死ぬっていうのかは分かんねえけれども、まあそうだな。」
「長く一緒にいた奴が次の日にはどこにもいねえ。そんなことも一度や二度じゃなかったなあ。」
皆そうやって何処かへと旅立ってゆく。亡者に死の概念があるのかは分からぬが、しかしそう言われれば思い当たる節もあるというもの。
「おらが逝く前におめえ様に話せてよかったよ。まあおらが話さなくてもそのうち気付くんだろうけど、おめえ様が大王だって威張りたいんなら早く知っておく方がいいもんな。」
「はは。そうじゃな。威張っているのに何も知らぬでは格好がつかぬからな。」
口の悪い奴め。しかしミズチは不快には思わない。
むしろただの雑談のつもりで始めた話題が思わぬ収穫をもたらしたことでミズチは満足感を得ていた。




