第17節 柱
自分の背をしたたかに打ち付けたヒトの形をしたそれを見てミズチは考えた。
(侍女神と同じく天上に住まう神……いやこれは地上の人の子であろうか?)
神と呼ぶにはあまりに神性を感じない。
そのまま見守っていると、ヒトはすぐに目を開き速やかに立ち上がった。
(むう?)
このヒトは自分や侍女神とは違い、ここの民たちと同じような淡い光を帯びはじめているが、人の子が光を纏うなどという話はついぞ聞いたことがない。
ミズチはこれが一体何者なのか益々分からなくなった。
「は、ここは一体?」
「ここは地の底深くに張った大樹の根に堅く護られた洲の中に建ち上がったばかりの名もなきクニよ。」
ミズチはクニを建てようとしているにもかかわらず、未だその名を決めていないことに気が付きながらも教えてやった。
ヒトは背後からかけられたその声の主の方に振り返えると、
「うわぁっ!」
と驚き、後退った。
(まあ、そうなるであろうな。)
かつての侍女神の「おっきな蛇」発言が強く思い出に残っているミズチは、相手の無礼にも怒ることもなく達観していた。
「落ち着け。別にうぬを取って食ったりはせぬ。それよりうぬは何者じゃ。」
ミズチの問いにヒトは一つ呼吸を整えてから答えた。
「わ、私は地の上にある人のクニにて宰相を務めていた者。此度は故あって大任を授かりましたため、こうしてこの地にまかり越しました。」
人の子は若いながらも礼を尽くして自己紹介した。
「宰相?」
聞きなれぬ言葉に首をかしげるミズチ。
「宰相とは大王を助けクニの政を執り行うもののことですよ。」
横で聞いていた侍女神が教えてくれる。
「ほう。それではそなたのような者のことか。」
「わたくしは、ただの侍女神にございます。」
「違うのか?」
「ええ。」
「分からぬのう。」
「いずれ、分かるようになりますわ。」
ふふと笑ってきちんと教えてはくれない侍女神を見て、宰相とは何か分からぬなりに心が満たされる思いのミズチ。
「あの……よろしいですか。」
「おお、すまぬな宰相殿。それで、大任?とはなんのことじゃ。」
「そうですね。それを説明するにはまず、我らが授かったご神託からお教えせねばなりません。」
「ほう、神託とな?」
興味を惹かれたミズチは三つの首にある計六つの目すべてで宰相を見つめた。
「――耀星空高く現れし時、亡国の災禍齎す邪なる大神が地の底より蘇らん。
大神鎮めしは人を以て柱と成し、大神に祝詞を上奏する事のみ。――」
「ほぉう、そのような神託を得てこの地に参ったか。」
その不吉な内容に、不謹慎ながらも面白味を感じて、そう尋ねるミズチ。
「はい。それで、あなた様がその……災禍の……大神様であらせられますか。」
非礼無礼を承知で尋ねる宰相はミズチの機嫌を損ねないように気を使いながら問いただした。
「いや、我はしがない蛇に過ぎんのだが。」
「まあ……。」
自分は災禍をもたらす存在でもなければ、まして邪神であろうはずもないが、まさか目の前にいる大蛇がそんな禍々しいだけの木端者よりもはるかに貴い太陽神の御子神だとは思うまい。
それならばと、ミズチが人の子を委縮させないようにしれっと自分を卑下して見せると横にいた侍女神が驚きの声を上げる。
侍女神は侍女神で、かつて自分がミズチを蛇呼ばわりした時に不興を買ったことを憶えているので、このわずかの期間にミズチの変節したことに驚きを隠せなかった。
当てが外れて肩を落とす人のクニの宰相にミズチは尋ねた。
「のう宰相殿。よければその祝詞とやら、我に聞かせてはくれぬか。」
「勿論、よろしゅうございます。では――」
気を取り直した宰相がそう言って朗々と謳いあげた祝詞は次のようなものだった。
――天は遥かに遠く、地は果て無く広がる。
地は穿つにはあまりに深く、天は昇るにはあまりに高い。
おお、幼くして別れた兄は妾のことを覚えているであろうか。
ああ、覚えていてほしい。妾は兄のことをひと時も忘れたことはないのだから。
こうして、使いを出したのは今一度兄に会いたいと願ったから。
忘れないで。妹は手を取り合うことを望んで待ち続けている。――
「……。」
「……。」
「……。」
それっきり、三者一様に黙り込んだ。
「終わりか。」
「はい。終わりでございます。」
呆れるミズチの問いに宰相は大真面目に答えた。
「なんじゃ、この祝詞は?」
「さあ、わたしにもわかりません。ご神託いただいたままを申し上げたのですが。」
これでは祝詞というよりも下手な詩ではないか。中身も妹が別れた兄に会いたいと願う、ただそれだけのもの。
(天と地があって、地中は深いし天空は高い。兄がいて妹がいる。会いたいなあ……。)
つくづく要領を得ない上に間の抜けた祝詞だ。
(だが……。)
ミズチは思った。
この祝詞、できはさておき、その中身は我ら兄妹神の境遇と一致しておる。もしやこの下手な祝詞を授けたのは我が妹神のやつではなかろうか。
「うぬよ。この祝詞を授けたのは紅の耀きを放つ大きな鳥ではないか?」
「は?……いえ、ご神託ですから姿までは……。」
「そうか……。」
本当に妹神が地上で待っているかは分からぬまでも地上に出ることは何でもないことだ。
試しに行ってみても良いが……。
「それはそうと、うぬはいったいどうやってこの地に参ったのじゃ。」
天から降ってきた。侍女神と同じだ。
一方でミズチは自らの力で掘り進んでこの地に降り立ったのだが、もっと違う方法があるのだろうか。
「はい。それは……。」
沈んだ面持ちになる宰相。
「それは、柱と成るための儀式を以ちまして。」
「柱になる儀式とは?」
ミズチはその答えに訝しんで、さらに質問を重ねた。
ミズチの知識では柱とは建物を支える棒のことで、人が柱になるということの想像がつかなかった。
「……端的に言ってしまえば命を絶つことです。」
「何と!?」
あまりの話にミズチが驚きの声を荒げるとわずかに地が鳴動するが、それはすぐに収まった。
「それでは、うぬは……死んでおるのか?」
「はい。あまりそう言った実感はないのですが、おそらくは。」
そうか、この地は亡者が住まう亡者の地であったのか。だから生者たる我が民に触れようとしても触れられぬ。
ミズチははっと気が付いたことがあって、侍女神の方に目を向けて首の一つを彼女のすぐ近くまで寄せる。
「……?」
なぜ視られているのか分からない侍女神は笑顔のまま首をかしげてミズチの頭にそっと触れてくれた。
柔らかで温かな感触がミズチの鼻をくすぐった。
「そなたはここにどのように来たのか覚えておらぬのだよな。」
「はい。」
「そなた、もしやとは思うが……。」
侍女神は今確かに我が頭に触れた。淡い光も纏っていないし生者の温もりも感じる。彼らとは違うのだ。だが……。
「死んでおるのではないか?」
「え?」
キョトンとする侍女神。
「何をおっしゃられるのですか、ミズチ様。お戯れが過ぎます。」
「そ、そうか。」
変わらぬ侍女神の愛嬌に馬鹿なことを聞いてしまったと後悔するミズチ。
「わたくしが死んでいるなどとそんな――」
侍女神は何を思ったのかそこまで言うと、また最初から繰り返した。
「わ、わたくし、が……死んで、い、る……な……ど……。」
侍女神の様子がおかしい。彼女は自分の頭を抱え込むと小刻みに震えだした。
「ワタクシガ……死ンデ……イル?」
侍女神のただならぬ様子にミズチは慌てふためくも、どうしてよいか分からない。
「ア、ア……アアアアアア……!」
侍女神の瞳から生気が抜けて、次第に輪郭がぼうっと淡く光りだした。
「ど、どうしたのじゃ?落ち着け、落ち着くのじゃ。侍女神よ。」
ミズチは侍女神に触れようとするのだが、するりと抜けてしまい触れることができない。
ここに住まう民たちと同じように霞の如く霧散して、また元の形に集ってゆく。
(いかん。このままでは侍女神が消えてしまう。)
ミズチは焦燥感にかられた。




