第九話 貪欲な魚
俺は一瞬目を疑った。
それまで何も変わりがなかったように見えた空間が、演劇の場面転換の如く一転してまったく別物になっていたからだ。
『『『『『ウギョオォォォッ……!』』』』』
俺の前方では異形の山と思えるほどモンスターの大群が渦巻き、その近くで一人の少女が倒れ込み、地面から伸びた無数の手によって雁字搦めになっているという状況に出くわしていた。
おそらく、ほんの先までしか何があるのか目では確認できないようになってるんだと思う。
「……」
ここで俺がどうするべきか、答えはわかりきっていた。逃げるべきだ。ここであの子を助けようとすれば彼女どころか自身も命を落とすことになるのは明白だったからだ。
それでも……やっぱり助けたい。バカだ、俺は。きっと死ぬまでバカは治らないんだろう。
「助け、助けて……!」
「待ってろ、今助ける――」
俺は彼女に纏わりついた手を払おうとして、やめた。
「――た、助け……うにー……」
「……」
既に浸食されていたらしく、途中でゾンビ化してしまったからだ。さらに、すぐ正面には眩むほどに目をぎらつかせた異形の化け物たち。
死期が近いとわかったのか、様々なことが脳裏に浮かんでくる。
まだ幼い頃のルシェラの笑顔、街角にある古着屋の小窓、行列の中運ばれていく誰かの棺、雨上がりの夕陽に照らされた街路樹、ごつごつしたじっちゃんの分厚い手……色んなものがごちゃまぜになって一瞬で駆け抜けていく。
楽しかったことだけじゃなく辛かったことも混ざってるが、どれもこれもが綺麗に感じられるから不思議だ。これが死ぬ直前に見えるという景色なのか……。
じっちゃんにあの世で叱られそうだな。最高の鍛冶師の血筋を俺の代で絶やしてしまったって――
「――かっ……!」
「はっ……?」
誰かの一喝とともに、全身に鳥肌が立つような感覚がしたかと思うと、周囲を取り囲んでいた異形どもが次々と縦横斜めにズレながら崩れ落ちていった。
消えゆく残骸の中に立っていたのは、右腕を三角巾で吊り、長剣を左手に持つ老人の男だった。
「こりゃ! ぼんやりせずにとっとと歩かんかっ!」
「あっ……」
足元に手が絡みついてることに俺が気付き、払おうとしたときには既に分離していた。
「た、助けてくれてありがとうございます。あなたは……?」
「話はあとにして、とりあえずわしのあとについてくるんじゃ。ここから脱出するべく、ともにコアを探さねばならんだろう」
「は、はい」
この人……体も細いし小柄だし、しかも右腕があんな状態で、左手一本だけであの膨大な数のモンスターを即座に倒してしまったらしい。剣捌きすら見えなかったからおそらく剣聖だとは思うが、それでも考えられない速度と威力だ。正直興味がある。
「――うっ……?」
「じ、爺さん……!?」
「かっ! 近寄るなっ!」
「は、はいっ!」
凄い迫力だ。一喝されただけで動けなくなるほどだった。
「いいか、今のは少し調子が悪かっただけじゃ。もう歳だからの。それより、わしには一定の距離以上近付いてはならん。でなければ、お前さんごと化け物を切り刻んでしまうことになりかねん」
「わかりました……あ、でも話くらいは……」
「構わんさ。ここまで生き延びたのは大したものじゃが、その若さであればまだ心細かっただろうしの」
「心細いっていうか、興味があって。あなたの剣について、よかったら教えてもらっても――」
「――それは無理な話じゃ。この技術、普通の者に使いこなすことは到底できぬじゃろう」
「……いえ、あきらめません。それを聞いてますます興味が出てきました」
「……お前さん、変わっとるのう。普通、無理だと言われたら引き下がるものなんじゃが。あの剣術を見たあとなら尚更」
「え、どうしてですか?」
「ほっほっほ! お前さん、まるで餌を待つ貪欲な魚のようじゃな」
「は、はあ……」
「子供はみなそうじゃが、いつしか大人になると口を閉じてしまうもの。かつてそういう子供心を持つ友人がおったものじゃよ。フィガル=オルグレンという名の男じゃった。お前さんも一度は聞いたことがあるかもしれんな。伝説の鍛冶師と呼ばれる者じゃ……」
「そ、それって……」
「ん?」
「俺のじっちゃんなんですけど……」
「な……なんじゃと……!?」
「「あっ……」」
初めて爺さんの足元に赤い手が絡みつくところを見た。それほどまでに驚いたんだろうが、それは既に掴まれて歩けなくなってる俺も同様だった……。
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