07「盛られた設定」
「あーあー、そういう設定なんだね。わかりました。最後までつきあってやるよ」
「あの、もしかして私の作ったものがお気に召しませんでしたか」
「いや、無茶苦茶食うけど」
「よかった」
「遅くまで待たされた挙句のおにぎりに豚汁は正義以外のなにものでもない。あ、ところでフライパン使ってたよな」
「ああ、それはこちらでございます」
「焼きウインナかよ。おにぎりに豚汁にウインナって、在りし日の日曜日の小学生のお昼か。しかし、美味いな。この切り目と、イイ感じの焦げ目が食欲をそそる」
「お褒めにあずかりまして光栄でございます」
とりあえず食欲が満たされた子龍は入れたてのほうじ茶をズズッと啜った。
口調も態度も子龍が知るりんかとは180度違うが、もはや彼女がただの演技派であることに間違いない。
「ところで白石もといミシェルさんよ。もはや、こんな時間だぞ。夜の九時過ぎだ。言い出さなかった俺も悪いがおまえも家に連絡のひとつくらいは当然入れてあるよな?」
「家、ですか?」
「待て待て待て。もーそういうのはいいっての。ホラ、スマホ持ってるよな。早く連絡しろ」
「?」
「あー、もういい。カバン、中から出せ」
だが、ここに来てりんかは初めてソファの脇に置いてあった自分のカバンを見て、演技とは思われないような自然過ぎる驚きの表情を見せた。
「スマホだよ。スマートフォン。おまえがアイフォンいじってるの見てたぞ。出せよ」
「すみません、ご主人さま。私、ちょっとわからないです。その、すまほ、というものが」
「はぁ? 悪い、ちょっと見せてもらうぞ。ほら、これで暗証番号をな……あら? 動かねーぞ。壊れたか? んじゃ、俺のスマホは……ダメだ。こっちも動かない」
子龍は事務所に据えられている固定電話のダイヤルをプッシュしたが、反応がない。
「コードもジャックもおかしくない。物理的な破損ではないみたいだが、時間表示も出てるし。もしかしたら、さっきの強烈な落雷のせいか?」
「カミナリですか?」
「いや、さっきおまえのがおかしなメイドさんになる前一発落ちたじゃんか」
「うっ、うううっ」
「どうした!」
「あ、頭が……」
りんかは頭を抱えて強烈な痛みを訴えた。
絶対に狂言ではない。
白目を剥いてガリガリと歯を軋ませるその表情は壮絶だった。
「うあっ?」
ほぼ同時に小降りになっていたはずの雨が室内にいてもわかるくらい強烈になった。
入口の扉を開けるのをためらうほどだ。
「はあっ?」
同時に再び子龍が頭上の壁かけ時計を見ると、時刻は日付が変わる直前までに変わっていた。
――馬鹿な。ありえない。
時間の感覚がおかしい。
ちょっと雑談したくらいで二時間も経過するのはありえないはずだ。
子龍はこの部屋だけ異様な空間に呑み込まれてしまったかのような錯覚を覚え、目の前がくらくらした。
駅から近いとはいえ終電は終わっている。そもそもこの豪雨の中、女性ひとりを返すのは危険すぎだろう。
「わかった。今日は泊っていけよ。俺はソファで寝るから」
ぐったりしたりんかはものも言わずに、なんとかうなずくのが精一杯だ。
子龍は隣の部屋にあるベッドまでりんかを運ぶと、ソファに横になって胸の上に毛布をかけた。
たいしたことはしていないというのに、すとんと意識が落ちる。
モノを考えるのも億劫だ。
あっという間に子龍は眠りに落ちた。
朝日と共に子龍は覚醒した。
「そういえば――!」
がばと起き上がる。
隣の部屋に行くと、確かにいたはずのりんかの姿はなかった。
――なにもかも夢だったのだろうか。
キッチンに行くと、特にものを使った形跡はない。いや、子龍は無意識のうちに、昨晩りんかがいたという事実を探すことを拒否していた。
スマホを手に取ると、完全に沈黙していた機能がいつもどおりに復活を遂げていた。
時刻は6:37を示している。日付は土曜日。ほぼ同時に、義妹の鈴から無数の着信履歴が表示されており、子龍はわずかに顔を歪めた。
「ま、まあ、いいさ。とりあえず俺は昨日長い夢を見たんだ。そうに違いない、うんうん」
子龍は現実を拒否して遠い目をした。
帰宅した子龍を待っていたのは鬼よりも凄い形相で目の下にうっすらクマを作った鈴であった。
もちろん、無断外泊を強烈に咎められたのはいうまでもない。
「朝だ。無事朝を迎えられた」
「兄さん、大丈夫ですか? 土曜日に帰ってきてから様子がおかしいですよ」
子龍は久方ぶりに目覚めのよい週明けを迎えると、義妹の心配もなんのそので元気に登校した。
日曜日は、金曜日の反動かほぼ丸一日寝倒したので微塵の眠気もない。むしろ寝すぎて肩が痛いくらいだった。
子龍はお世辞にも模範的学生ではなかったが、睡眠によって脳のストレスを限りなくゼロの近くまで減少させたので、精神的な疲労度はなかった。
「お」
「ん」
だが、忘れていた振りをしていたが現実は子龍を逃さない。
教室に入ると、すでに着席していた隣席のりんかと当然のごとく顔を会わせることになった。
――夢なわけがないんだよな。
事務所で過ごした一夜のことをなにか言われるのではないかと、ドキドキした子龍であったが、とりあえずは平静を取り繕った。
「お、おはよう」
やや、緊張しながらあいさつをする。いつもならばりんかは快活といっていいくらいの声で返事をするのだが、今日ばかりは様子がおかしく、ぷいっと横を向くと押し黙った。
――な、なぜ?
これは間違いなく、金曜日の夜のことがリアルであったことの裏付けだろう。
これから、この現実にどう向き合っていけばいいのかと子龍が煩悶していると、意を決したようにりんかが向き直って形のよい唇を開いた。
「おはよう、平川くん」
「平山だ」
どうにも挙動がおかしい。ふと、前頭部にチリチリした気配を感じ、前を向く。
子龍が登校するまでにりんかと会話していた女生徒がジッと睨んでいる。
どこかで会ったような気がするが、今ひとつ名前が出てこない。
居心地が悪くなって子龍は素知らぬ顔をして席に座った。
「ちょっとぉ」
「おら、おめーらとっとと席に着け。先生が月曜という名の憂鬱に取り込まれる前にな」
女生徒が子龍に話しかけようとしたとき、担任の後藤がダルそうな感じで入ってきたので、会話が始まることはなかった。




