06「奇妙なメイドさん」
「だいたい、りんかって誰のことですか。ご主人さま、私の名前はミシェルです。お忘れになってしまったのですか……? 嘘ですよねえ」
「ミシェルって、んなベタベタな。おまえは日本人だろうが。なぜそんな戯言を」
「ニッポン? それってどこのお国の名前ですか。私はシルティカムの生まれですよ。そりゃロンドンみたいな大都会じゃありませんけど、そんなふうに田舎娘をバカにすることないじゃないですか。いつも、ひどいですけど、今日はいつにも増してひどい貶めようですう……」
と、メソメソしながらもりんかの息はさらに荒くなり、心なしか目元は涙で濡れているが発情したようにとろんとしている。
「ちょっと待った。白石。どうしちまったんだ? コスプレごっごはそのへんでやめとこーぜ。第一、俺はおまえのご主人さまでもなんでもないっ」
「ひうっ」
りんかは雷光に打たれたかのように、床にへなへなと崩れ落ちると、身体をやや反らしながら、小刻みに震えている。
――なんだァ? こいつ。
「俺はあなたの主人でもなんでもないですよ」
「はうっ」
りんかは床に長くなると、長い自分の髪に埋もれてはぁはぁと全力疾走したあとのように舌を出していた。
――てか、なんだこの状況は。
ソファに腰かけ精神を集中する。
少なくとも子龍とりんかはプライベートでMメイドとご主人さまのようなマニアックプレイをするような関係ではなかった。
――まあ、乗ってしまった俺にも責任はあるが。
「ちょっと待った。一旦落ち着こう」
「はい? 私は落ち着いていますが」
「いや、嘘だろ……」
「おかしなご主人さまですね」
――落ち着け子龍。相手のペースに乗せられるんじゃない。
「そのだな、白石。まずは、いきなりそのキャラ変にいたった理由を知りたい」
「私の名前はミシェルですよ」
「オーケー、ソーリー。わかった。きみの源氏名がミシェルであることにこの際疑義は挟まない。もと白石りんかであったミシェルさんよ。なにゆえ、俺をご主人さまと呼ぶのだ?」
「え、だって、ご主人さまはご主人さまですよ?」
「あきらかに俺はきみを雇用できる年齢層ではないよね。ただの学生だし」
「今のご主人さまは学生さまなんですね! どうりで賢そうなお顔をしています」
「おまえバカにしてるだろ」
「していませんよ」
子龍は立っているりんかの顔をジッと見た。
口調も態度も別人のように違う。
これが演技だというのならば、彼女は間違いなく才能がある。
そして最初の疑問に戻る。
果たして、昨日今日知り合った程度の関係でここまでハッちゃけた悪ふざけを行うだろうか。
――ははあ。こいつが例のお礼ってやつか。
「わかったよメイドちゃん。俺がきみのご主人さまだ。んで、こっから話はどう展開するんだ? 夜もそろそろ遅いぜ」
事務所の壁かけ時計に目をやる。
時間はいつの間にか十九時を回っている。
「それにしても、ご主人さま。ここはどこでしょうか? お屋敷にしては狭いですねぇ」
「倉庫だよ」
「倉庫ですか。ご主人さま、ご苦労をなされたのですね。でも、このミシェルが来たからには安心ですよ! ご主人さまをお支えして、没落した侯爵家を必ずや盛り立てて見せます」
りんかは瞳をきらりんと輝かせると、その場でくるりと華麗に一回転した。
「ああ、うん。そういう設定なんだね……」
「設定?」
「ああ、なんでもない。で、俺はどうすればいいんだ?」
「これは失礼を。そういえば、お夕食はまだでしょうか。今すぐご用意しますから、しばらくお待ちいただけますか」
「あ、ちょっと、おい」
「……キッチンはどちらでしょうか?」
「えっと、一応、ここでも普通に寝泊まりできるようにしてあって、そっちの部屋にいろいろとあるけど」
「こちらですね――うっ」
「どうした?」
見れば、りんかは頭を抱えて蹲っていた。
子龍が心配して彼女の周りでおろおろしていると、ほどなくしてなにごともなかったかのように立ち上がった。
「いえ、ご心配をおかけしまして。私は平気です」
「そ、そっか」
キョロキョロとキッチン周りを見渡していたりんかであったが、しばらくすると躊躇なく冷蔵庫を開けて食材を取り出し調理をはじめる。
事務所にはたまたま買い置きしてあった食材があったらしい。
子龍がジッと作業を盗み見していると、りんかは調理器具を手慣れた様子で扱っている。
――ふっ。設定の作り込みが甘すぎだ。なぜ大英帝国時代のメイドがフライパンや炊飯器を普通に使っとるのだ。
「さ、ご主人さま。じゃこ入りおにぎりと豚汁でございますよ」
「設定ガン無視だよね!」
「なにをいきなり大きな声を上げているのですか? 侯爵閣下の嫡男ともあろう方が」




