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05「ご主人さま」

「綺麗だなんて。きみはいつも女性にそんなことばかりを言っているのだろう? 人によっては本気にするからやめたまえよ」


「いや、そんなことはまるでない」


 そもそもが女性とふたりきりになるシチュエーション自体が自分の人生の中で皆無であったが、真実を口にするのは惨め過ぎた。


「どうした?」


「いや、白石は独特な喋りだな、と思っただけだ」


「ああ、これか? いや、わたしはおじいちゃん子でな。祖父は漢学者だったもので、年中いっしょに居るうちに移ってしまったんだ。自分でもこの口調は直したいのだが、習慣とはむつかしい」


「お、おい。なんだよ、もたれかかるな――?」

「ふにぃ。なにか、頭が熱い」


 ――酒臭い? バカな?


 子龍はメイド服を着たりんかをソファに座らせると、飲みかけの紙コップに鼻先を近づけ顔を歪めた。


 ――こりゃ水じゃねえ。焼酎だ!


 おそらくは酒好きの祖父である京志郎が残った焼酎をペットボトルに移し替えたのだろう。


 それを水と勘違いしたりんかが呷ったのだ。


 二十五度程度でも飲酒の習慣がない女子高生が一気に煽ればそれなりに効くだろう。


「平山くん。平山くんの家の水は不可思議な味がするな」


「悪い、白石。それ水じゃなくて焼酎だ」

「ふ?」


 キョトンとしたりんかはパッと自分の両腕で胸を隠すような仕草をするとあからさまに怯えた表情を見せた。


「やだ。酔わせてどうしようっていうのよ……」


「はぁ? ちょ、ちょ、ちょっと待った。不可抗力だぞ、それは!」


「なんてな。どうだ? こういうのが普通の女の子口調だろう」


「お、おまえな……」


「うまく騙されたな。ふふ、わたしだってやればできるんだ」


「てか、飲むなよ。酒だってわかってんだろ?」

「もお、ケチ臭いことをいうなよ。この水は飲むと頭がパーッとしてなにもかも忘れられるんだ……」


「いや、危ないから。おまえは酒を覚えてはいけない人間だ」

「けちー」

「いや、ケチとかじゃなくて」


 停学明けに人気のない事務所に学業優秀品行方正だった女を連れ込んで酒飲ませてベロベロにさせてる。


 ――どう考えても外道の行為でしかないわな。


「うー」

「ダメったら、ダメ!」


 メイド服を着たりんかから焼酎のボトルを取り上げた途端、ピカッと事務所全体を覆うような一層強い光が煌めいた。


 ――遅れて轟音。


 薄暗い外が真昼のようになったかと思うと、強烈な縦揺れを感じて子龍は身体ごと吹っ飛んだ。


 ――な、なんだ?


 目の前が真っ白になって指先一本自分の意志で動かない。


 子龍の脳裏に事務所へと雷が直撃したのかと鋭い恐怖がよぎったが、しばらく経って普通に動けるようになり安堵感が胸に広がる。


「白石! 大丈夫か、白石!」


 落雷のせいなのか事務所の電気がすべて消えた。


 ――くそ、ブレーカーを。


「お、点いた?」


 そう思うよりも早く、パッとLEDが点灯する


「なっ、白石ッ」


 明るくなった室内にはうつぶせに倒れているりんかの姿があった。


「平気か! 怪我ないか? んなっ!」


 子龍は咄嗟に倒れているりんかから距離を取った。


 なぜなら、むくりと起き上がったりんかの髪は艶のある黒から輝くような金髪に一瞬で変わっていたからだった。


 ――なぜ、この状況でコスを?


 しかも早変わりである。

 そういうのは忘年会とかお楽しみ会でやっていただきたい。


「し、白石さん?」


 りんかの様子がおかしい。

 しかも念の入ったことにりんかの瞳は黒から蒼に変わっていた。


 正確にいえば日本人の瞳の色で黒はまずありえない。

 濃い焦げ茶色というのが正確だ。


 それだけに、明るいLEDライトの下で見ると、りんかの髪も瞳の蒼も際立って印象的に映った。


 りんかは床に膝を突いて黒のロングスカートの裾を広げたまま、ジッと子龍を見つめている。


 その蒼をジッと眺めているうちに――。


 子龍はフッと意識が遠のいた。






「ご主人さま、やっとお気づきになられました」

「は――?」


 ふと、目を開けると子龍の鼻先になんともいえない甘ったるい匂いがよぎった。


 誰かの顔がくっつくくらいに寄っているのがわかったが、近すぎてそれが誰なのかを認識するのに数秒かかった。


「し、白石? おまえ、なにを」


「どこにもお怪我はございませんか? 本当に、心配したんですからっ」


「はうあっ」


 ギュッと抱きしめられて、初めて子龍は自分が女の胸に顔を埋めていることに気づき、狼狽した。


「ふがっ、ふがふもっ、んもっ」


「心配させるご主人さまはこうです。放してあげませんからねっ」


「だーっ」

「きゃっ」


「じゃなくてっ。こりゃなんのつもりなんだよ」


 なんとか強制的ハグから脱出する。


「え?」


 キョトンとした顔でりんかは子龍を見ていた。


「なにをいっておられるのですか、ご主人さま」


 冗談にしては手が込み入りるぎて笑えない。子龍はりんかが自分を驚かすために、あらかじめ各種の仕込みをしていたのだろうかと思い、迷ったが手を伸ばした。


「悪いな。礼儀には反するが確かめさせてもらうぜ」

「んっ」


 りんかのあまりにキラキラ過ぎる金色の髪に手をやった。


 ――ウイッグだろう。


 短時間で染められるわけではないし、カバンやなにかに仕込んでおいて、先ほど子龍が意識を失っていた瞬間につけることは可能である。


「あ、あれ?」

「う、ううう。痛いですよ、ご主人さまぁ」


 握った髪はりんかの頭皮にしっかりついていて離れない。


 子龍がさらにぐいと引っ張ると、今度は明確に苦痛の声を上げた。


「痛いです。私がなにか粗相でもしましたかぁ?」


「わ、悪い。ちょっと本物かどうか確かめたかっただけなんだ」


「もう、悪さはこれっきりにしてくださいね」


 と、いいつつも目の縁を赤らめたりんかはちょっとだけ息を荒くしていた。


 その官能的な雰囲気に子龍は頬をわずかに引き攣らせる。


「てか、なんなんだよそのご主人さまっていうのは。悪いけど白石。そろそろこの遊びやめにしないか? 濡れた制服の代わりなら、なんとか用意するから、そろそろ帰れよ」


「なんで帰れなんて、ひどいことを。それは私に暇をくださるってことですかぁ……」


 りんかが瞳を潤ませる。


「お、ちょっと待った。な、泣くなって? マジか?」


 子龍が止めるまでもなくりんかは目元に片手を上げてしくしく泣き出した。


 同年代の女子を泣かせてしまったことなど一度もない子龍はどうしていいかわからずわたわたするだけである。



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