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03「呼び出し」

 ――いるか? いないんか?


 自宅であるが子龍は音の立たぬように、そっと玄関のドアを開いた。


 ――いた。


 靴脱ぎを見るとちんまりしたローファーがあった。


「兄さん、無言で扉を開けるのはやめてくださいといつもいっていますよね」

「た、ただいま戻りました」


 顔を上げる。

 そこには妹である鈴が静かに立って迎えてくれていた。


 ――気づかなかった。忍びのモノなのか?


「はい、お帰りなさい」


 平山鈴は子龍のひとつ下の妹である。

 義理、という文字がつくが。


「今日も遅いですね。外は真っ暗ですよ。こんな時間までなにをしていたのですか?」


「あ、ああ、ちょっと、そこいらをブラブラとな」

「すぐお夕飯しますから、手を洗ってきてくださいね」


 そういうと鈴はおたまを手にしたまま台所に戻ってゆく。


 子龍の父である正太郎は約半年前に再婚した。

 つまりは子龍の義母である美穂の連れ子である。


 もっとも、義母の美穂は父正太郎の従妹であり、鈴の存在自体は昔から知っていたが、子龍がまだ小さいころ、何度か遊んだ程度の記憶しか残っておらず、いきなり同居するようになっても他人の感が拭えなかった。


 ――同じ屋根の下に住むようになって、四、五カ月じゃ慣れないよな。はあ、なんで我が家で気を遣わにゃならんのだ。


 久しぶりにであった鈴は特に問題なく子龍の存在を受け入れたようであった。


 だが子龍は鈴の存在に対して未だに違和感バリバリであった。


 ――俺の家に知らない女がいるというこのミスマッチ感はどうよ?


 だいたいが、父の正太郎も自営で輸入雑貨店を経営している関係でほとんど家におらず、子龍は祖父の京志郎に育ててもらったようなもので、中学に上がってからは、一軒家といえどほとんどひとり暮らしのようなものであった。


「どうしたのですか? おかしな顔をして」

「これは生まれつきだ」


 鈴の容姿は子龍とはまるで似ておらず、兄妹であるといっても百人が百人信じないレベルだった。


「ですね」

「イジメはよくないぞ」

「気のせいですよ」

「189に電話してやる」


 鈴は前髪パッツンのショートボブである。目が大きくかわいらしい感じの鈴には似合っており、結果、子龍は話をするだけで未だにドギマギすることが多かった。


「はい、お夕飯できましたよ。兄さんの分は大盛りにしておきましたから」


「これ、漫画でしか見たことがない盛り方なんだけど」

「富士山をイメージしてみました」


「マジか」

「兄さんのために毎回一升炊くのは大変なんですからね」


「緩慢に俺を殺そうとしてない?」

「冗談ですよ。せいぜい五合です」


「それでも結構量があるんだが」

「毎回残さず食べてくれる兄さんは好きです」


 ウインクしながら鈴がいうたびに子龍は咳き込みそうになる。


 なんという小悪魔。


「だがどっちにしろ炭水化物過多で病気になりそうなんだが」


「明日から加減しますね」


 今晩のメニューはブリの照り焼きに野菜サラダ、油揚げとわかめの味噌汁だった。


 鈴は家事全般が得意なのか、同居するようになってからすべてをこなしてくれている。


 義母も子龍の父にくっついて全国を飛び回っており、家にはほぼ帰って来ない。


 祖父も新婚に気を遣ってか、以前に比べ家に顔を出す頻度が減っていた。


 自然と鈴とふたりで過ごすことが多くなる。


 ――あのふたりは一体なにを考えているんだろうか?


 兄妹といっても紙上の話だ。


 子龍を信頼しているとはいえ、年頃の男女がほぼふたりで暮らしている状態に危機感を抱かないのであろうか。


 ――愚問か。


「どうしたんですか。量が足りませんでした?」

「いや、俺はフードファイターじゃないから」


 子龍は鈴の作った心尽くしの料理を平らげると自室に戻った。


 ――食い過ぎだ。


 だが一生懸命に作ってくれた鈴の料理を残すことなど、子龍にはできなかった。


 同居しはじめた当初、すでに両親は家を留守がちになっていた。


 料理が得意であるといった鈴に任せたのはいいものの、尋常ではない量が出てきたときに、ついつい白旗を上げたとき、それが自分を否定されたかと思い込んだのか彼女は顔をクシャクシャにして壮絶な表情を見せたのだ。


「妊婦か、俺は」


 ぽこんと出た腹をさすりながら天井を見つめた。

 それからゆっくりと目を閉じる。


 鈴が呼びに来るまで子龍はしばしまどろみを楽しんだ。






 翌日。

 子龍はいつになく快適に目覚めた。


「うし。今日も絶好調だ」


 起き抜けに肩をぐるぐる回す。


 昨日平らげた夕飯も残りカスがないくらいに消化されているのがわかった。


 本日は金曜日で今日が終われば明日明後日の土日は休みである。


「ま、二週間も休んでたからヒマっちゃヒマだけどな」


 部活に入っていない子龍は拘束される予定がない。


「停学中は謎の寺に押し込められてたんだ。少しは息抜きしないと」


 聖命学園の伝統で不祥事を起こした生徒は学園長の菩提寺に叩き込まれ人生に関して住職から諭される。


「それでは兄さん、私は先に出ますけど、戸締りをお願いしますね」


「ああ、わかった。任せろ」


 女子高に通う鈴は電車通学なので子龍よりも二十分ほど先に家を出る。


 ややクラシカルな制服は鈴によく似合っており、登下校の途中かなりの頻度で男に声をかけられるので、子龍は心配の種が尽きない。


「それよりも、本当にお弁当はいいのですか? ついでだから、前みたく作りますのに」


「んんん、とりあえず今はいいよ。悪いな、気ィ遣わせて」


 二年に上がる前までは鈴に弁当まで作らせていた子龍であったが、進級してすぐに停学のゴタゴタがあったので習慣は廃れつつあった。


「それじゃ、行ってきます」

「おお、いってらっしゃい。しっかり勉強するんだぞ」

「ふふ。兄さんもこれから行くんですよ」


 にこ、と微笑む。


 なんともかわいらしく子龍は尻の穴がもぞもぞするのを止められない。


「さあ、俺もゆくか」


 朝の情報番組で必ずやる「(〔1〕)日のわん公」をなんとはなしにチェックする。


「……トイプーばっかだな」


 子龍は小型犬よりも大型犬に憧れがあった。






「平山と白石。話があるから、あとで指導室な」


 登校早々に担任の後藤から子龍はりんかともども呼び出しを受けた。


「なぜだ……?」


 隣のりんかを見ると涼しい顔をしている。

 朝の教室は軽くざわつく。


 だが、2Aは昨年も子龍と同じクラスだった生徒が多かったことが幸いした。


 暴力事件を起こしたとはいえ、子龍がそれほど邪悪ではなく誰彼構わず喧嘩を売る危険人物ではないと認知されていたので、騒ぎは授業のはじまりとともに沈静した。


「平山。白石と仲がいいのはわかるが、ちょっと大勢の前で痴話喧嘩するのは先生マズいと思うぞ」


「はぁ……」


 指導室に呼び出された子龍とりんかはしかめっ面の後藤の話を神妙な顔つきで聞いていた。


「センセ、力説してるとこ悪いんだが、俺と白石は特にそういう関係なわけではないのだが」


「んん? そうなのか? おれはおまえと白石が昨日、痴情のもつれかなんかで下駄箱で今にも刃傷沙汰に陥る寸前だったと聞いたが。違うんか?」


「違いますよ」


 子龍が否定する。だが、後藤の話を聞いているりんかは製氷機の中の氷のようにあくまで冷たく無機質で、ひとことも喋らなかった。


「白石。おまえはさっきからずっと黙ってるが、先生になにかいうことはあるか?」

「いえ、わたしからは別に」


 ――は?


「それじゃあ恋人同士の喧嘩はもちっと人目のつかんところでやってくれや。先生もいろいろと忙しいし、第一、平山は停学明けだぞ。あんまりヤンチャが過ぎると面倒ごとが増えるばっかだ。白石も彼氏には高校くらい卒業しておいて欲しいだろうが」


「はい、よくいって言い聞かせておきます」

「よろしい」


 ぺこりとりんかが頭を下げると後藤は無精ひげを撫でながら、肩の荷が下りたとばかりに相好を崩す。


「待った待った待った。あなたたちは一体どこの世界線の話をしているんだ?」


「それでは後藤先生。わたしたちはこれから仲よくお昼を食べますので、そろそろいいでしょうか」


「おう。節度を守ってヨロシクやってくれ。おまえがいれば平山も落ち着くかもしれん」


「頼むから俺の話を聞いてくんない?」




〔1〕朝7:52くらいからやってる犬がただただカワイイ番組。たいした能のないやつが出てもそれはご愛敬である。

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