16「お兄ちゃん大好き回」
平山鈴は平山子龍に好意を抱いている。
身も蓋もなく彼女の胸の内を述べるのであれば、それが真実である。
「じゅうじゅう。じゅうじゅう、ってね。あふ……」
フライパンの上で色のよいお手本のような玉子焼きを、あくびを噛み殺しながら毎日焼くのも、鈴が子龍を心の底から慕っているにほかならない。
子龍よりひとつ下の少女が義兄を慕うようになったのは、とあるちょっとした事件がきっかけであった。
そもそも鈴は掛け値なしの美少女であり、子龍は醜男では決してないが、ちょっと並べてみてもふたりの容貌には首を捻るような方向性の違いがあった。
現に、鈴は母である片桐美穂が再婚する際に、義父に自分とひとつしか違わない男子がいると聞いて、さらには同居することにあたり、強烈な難色を示していた。
年頃の少女からすればあたりまえである。ことに、鈴は中学の時も女子校であり、男性に免疫がないことも大きかった。鈴からしてみれば、男の記憶は小学生くらいで止まっており、下品で乱暴な自分とは違う生き物くらいの認識しかない。高校も女子校に進学しており、そこで触れ合った友達から得た情報や自身が誘われてつき合いで参加した合コンでも鈴の認識を180度回転させる魅力のある男には中々出会えなかった。鈴の友達から言わせれば
「アンタは理想高すぎ。ウチがカトリックだからって将来シスターにでもなる気なの?」
ということらしいが、鈴もそこまで自分が世間から浮いているとは思いたくなかった。
カトリック系の学校にふさわしく「信頼、愛、希望」をある意味深く深層意識に読み込み過ぎていた鈴は、できうることならば男性に対する自己改革を行いたいと思っていたが、彼女に紹介される男は、誰も彼も「なんとなく頼りになれない……」イマドキすぎる普通の学生が大半だった。
その点、子龍に初めて出会ったときはショックだった。
背が高く、どことなく暴力的な雰囲気を醸し出していた子龍は、現代がなんとなく似合わない古風な物腰と独特の雰囲気を持っていたのだ。
最初は警戒していた鈴であったが、子龍が見た目に似合わず、話をすれば穏和であることを知り、あるきっかけを境にして強烈に惚れこんでしまったのだ。
第三者の目から見ればオラオラ系の暴力的雰囲気を漂わせる男に盲目になる世間知らずな清楚なお嬢さまの典型的なパターンであったが、鈴は自分の気持ちを誰にも知らせず、また、彼女自身も非常に自分の行為を露にするのが苦手な部分があったので、この一時は誰にも知られることがなく、ゆるやかに育っていった。
「今日もうまくできました」
粗熱を取ってから弁当箱に詰める。
朝、五時起きも苦にならないのは愛する義兄のためがゆえ。
だが、近ごろ義兄の様子がおかしい気がする。
元々、素行が良いとはいえない男だ。
先日も、喧嘩で半月ほど停学になった。
もっとも理由を聞けば、義兄は学園の花壇を荒らす不良を注意したところ、向こうが説得を聞かず、襲いかかってきたので仕方がなしに火の粉を払った結果であるということだ。
さもありなん。
義兄は誤解されがちであるが、ああ見えて、動物や草花を愛する心優しい青年なのだ。
その義兄の忠告が聞けない輩など、少々きついお灸を据えられてもそれは道理というものだが、正しい道と行動を大人がわかってくれないのも、ままあることだ。
――まあ、兄さんの気持ちは私がいつでもわかっているので問題などはありませんが。
むしろ世間一般に義兄のやり方がわかってしまうと鈴は困ったことになってしまう。
「だって、あんなにカッコイイんですもの……」
余計な虫がついてしまうだろう。
鈴が気になるのは、先週の金曜日に無断外泊を行ったことだ。
友達に家に泊まるならば、意外に律儀な性格の彼である。
連絡をしないということはないだろう。
盛り上がってしまい、スマホを見るのを忘れたという可能性も無きにしも非ずだが、帰って来た直後の態度はかなり怪しかった。
考えすぎもよくない。
ストレスを溜めすぎると身体に不調をきたすものだ。
鈴は、いつもどおりに義兄を送り出すと身支度を整えて登校した。
授業を終えて帰宅する。鈴は部活動などは行っていない。特別、人づきあいが悪いというわけではないが、よほどのことがない限り、まっすぐ家に帰る。やることがあるのだ。
「主婦をしなければなりません」
ササッと帰ることを友人に揶揄されると決まってこう答えていた。
輸入雑貨を経営し、全国のあちこちを飛び回り、ほとんど家に帰って来ない父母の代わりに家のことを鈴がすべて取り仕切らなければならない。
日の高い内に帰路に着き、夕食の買い物を行い、掃除洗濯料理のすべてをこなす。
タスクのひとつひとつはそれほど重くないが、365日年間すべてを通してとなると、かなりの負担になる。
だが、鈴は元来インドアであり、知らない他人とかかわるよりも、こういった内向きの仕事のほうが性に合っていた。
「兄さん、今日も遅いのかな」
義兄の子龍は部活動に所属していない。
昨年の秋口に合流した新米家族であるが、子龍は意味もなく街のあちこちをふらつく癖がないことを鈴はよく知っている。
何度か電話をするが繋がらない。しばらく経つと、折り返し子龍からかかってきた。所用で帰宅が遅れるとバツが悪そうに伝えられた。
――胸がもやもやする。
悪い予感を忘れ去るように、家事に没頭していると、学生が帰宅するには遅すぎる時間帯に子龍はようやく帰って来た。