12「放課後の茶会」
「まったく、復帰早々いきなり授業をサボるとはあまり感心できない行動だな」
「はぁ、なんか、すまん」
放課後――。
子龍はなぜかりんかに無理やり引っ張り回され、以前、来たことのある喫茶店で茶を啜っていた。
「で、今日はわざわざこんなところに呼び出して。なんか用があったのか?」
「いや、それはな。そうそう! 平山くんが五時限をサボったのでノートを取っておいたのだ。授業も聞いていなかっただろう。数学はわたしもそれほど得意ではないのだが、今日習ったところを、一応は伝えておいたほうがいいいと思ってね。ああ、無論、隣の席のよしみでね!」
「はぁ……まあ、手短に教えてもらえるとありがたいな」
「てっきりきみは拒否するかと思ったのだが」
「五時限をサボったのはやむにやまれぬ事情があったんだよ。こっちも、授業に遅れるのは困るからな」
「そうか」
それだけ言うとりんかは子龍の隣に席を移してノートの内容を懇切丁寧に話し始めた。
店内には落ち着いたクラシックが流れる。個人経営の店なので、客はさびしい数であったが勉強するには向いていた。
「――と、こんなところだ。人に改めて教えると、意外に見えていなかったものが見えてくるな」
「白石は勉強家だな」
「なんだ、悪いか」
ぷくっとわずかに頬を膨らませてりんかが上目遣いで睨んでくる。
その態度は決して彼女が教室で見せなかった、どこか距離の近いもので子龍は思わず鼻の頭をさわった。
「いや、馬鹿にしてるわけじゃないぞ。本来、勉強ってのは予習復習をおろそかにしないってのが基本だからな。今の白石の行動からそれがちゃんと習慣化できてるんだなと思って、さ」
「わたしは特別なことはなにもしていないが?」
「ちょっとしたこと、簡単なことでも毎日となると意外にできないもんだ。不断の努力ってやつだ」
「学生は勉強するから学生なのだろう」
「だが、人間の意志というものは弱いものでね」
「平山くんは予習復習できていないのか」
「かくゆう私も弱い人間でね」
「威張って言うことじゃないだろう」
クスッとりんかは口元をほころばせた。子龍はやわらかく表情がゆるむりんかを見てどうにも落ち着かない気分になる。
「なんだ、またおかしな顔をして?」
「いや、白石はよく笑うんだなって思ってよ」
「……そんなに笑っていたか?」
「ああ。ガッコじゃ、なんかキリリッとして隙がない感じだな。俺が知る限りじゃ、やたらとコロコロ笑って赤ちゃんみたいだ」
「そ、そんな子供っぽい顔だろうか?」
りんかはカバンから手鏡を出すとおろおろしながら自分の顔に手をやっている。
「あー、そういうんじゃなくて。ま、感じ方は人それぞれだからな。俺の言葉に一喜一憂する必要はないぞ」
「けど、そう言われたら気になるじゃないか……」
「気にするな」
「気になるっ」
そんな言い合いをしているとデザートを運んできた二十代前半くらいの女性店員がニコニコしながら子龍たちを見守っていた。
りんかはんんっと喉を鳴らすと、子龍からサッと離れて背筋を伸ばしギュッと目をつむる。
「あなたたちとっても仲良しさんね。ゆっくりしていってちょうだいね」
「ども」
ふたり分のケーキをテーブルに置くと女性店員はカウンターの裏に引っ込んだ。
子龍はおそらく店のマスターと思われる初老の男と目が合った。
男は微笑ましいものを見るような優しい目をしていた。
「……きみのせいで勘違いされたじゃないか。ばか」
「ま、年頃の学生がふたりっきりっでじゃれ合ってりゃ勘違いされても仕方ないだろ」
「そういうふうにいうのはきみの経験からなのか?」
「んんん? 経験ってなんだよ」
「知らない」
――また拗ねた。
子龍が確実にわかるのは女の扱いには、おそらくどれほど時間を費やしても長けることはできないだろうということだった。
「とにかくだ。本題は俺に勉強させることじゃないだろう。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか」
「そうだな。これ以上引っ張っても仕方がない。わたしも覚悟を決めて話すから、平山くんもそのつもりでお願いする」
「わかった」
「実はだね。先週の金曜日、確かにきみと行動した記憶はあるのだが、途中でぷっつりと途切れているのだ」
「記憶が?」
「ああ、そうだ。気づけばわたしが目を覚ましたのは夕方だった。そして、カバンにこんなものが入っていたのだ」
どこかの店のロゴの入った紙袋からでてきたのは、子龍が半ば予想していた、例のメイド服だった。
「間違いなくこれはわたしのものではない。となると、きみに連れられて避難したお店の倉庫にあったのだろう、くらいしか見当がつかないのだが。平山くんは、これについてなにか知っていることはないかな」
「――と、いうと?」
「いや、これは自分でも確認できていないので、理由がまったくわからないのだが、母がいうには、わたしはこの服を着て、とにかく奇妙な言動を繰り返していたそうだ」
「具体的には?」
「その……それが、だな」
「教えてもらわないと、こっちもどうすることもできないんだが」
「どうも、わたしは、きみのもとに是が非でも行こうとしていたらしいんだ」
「なん、だと……?」
「最終的には合気道の達人である母の当身を受けて阻止されたらしい。話というのはこのメイド服のことだ。これは、きみの実家の店のものなのか? なぜ、わたしはこれを所持しているんだ?」
――真実を話すべきなのか。
子龍とりんかはステディな関係でもなんでもない。ここで子龍が安易に「白石さんが突如としてはっちゃけてメイド服ショウをサービスしてくれたんだよー」などと言っても、信じられる可能性は限りなくゼロに近い。それどころか、「ひええ」と恐れられ、翌日から学園では『メイド大将軍』などという二つ名を貰って差別されて生き続けるのは火を見るよりも明らかである。
「さ、さあ、わからないなー。でも、もしかしたらうちの商品かもしれないし、なんらかの理由で白石の荷物に紛れ込んでしまったかもしれんしなー」
両手を頭のうしろで組んで子龍が「ぴぴぷー」とわざとらしく口笛を吹く。
子龍はチラッと横目で隣を見た。
りんかは温度を感じさせない目をしていた。
――マズい。この手の女は今の状況で洒落が通じる相手ではない。
「わたしは真剣なんだ。頼む、平山くん。きみを軽蔑したくないんだよ」
子龍は犯行を自供した。
このように表記すると森村作品において物語は大詰めなのだが、現実はそう安易にエンドロールが流れることがない。
「実は、あの日、白石が場を和ませるために、あのメイド服を着てくれたんだ。なにをいっているかはわからねーと思うが、俺もなにをされたかわからなかった」
「わたしが、そんな異常行動を……?」
「いや、異常ではないが。ほ、ほら、友達同士ではよくあるこった! 白石さんの心情は男である俺には理解できないが、おまえの心のどこかにそういうサービス精神がだな……」
「そんな。けれど、そのことをまったく覚えていないどころか、そこから先は記憶を失っている。どういうことなんだ?」
「いやあ、おまえの頭ン中までは責任持てないよ」
りんかは青ざめた表情で形の整った唇をフルフル震わせた。
子龍はいたたまれなくなって目の前のショートケーキのイチゴをフォークで刺すと口元に持ってくるが動揺して落とした。
後頭部に強烈な視線を感じ振り返ると、先ほどのお姉さん店員と寡黙なマスターが心配そうにこちらを見ていた。
お姉さん店員は子龍たちの急変した雰囲気にコーヒーサーバーを持ったままカウンターの前をウロウロしていた。
「わたしは潜在的にメイド願望があったのか……?」
「だから、ちょっとくらい記憶がなくなったからって、そんな気にすんなよ。人間、そんな日もあらぁな」
「そ、そんなものか……?」
「そうだよ、だからそのメイド服は俺が処分しとくから」
そういって子龍は手を伸ばすがりんかは素早い動きでメイド服を引っ手繰ると大げさともいえるジェスチュアで遠ざけていた。
「なんだよ、このメイド服欲しいのか? 欲しいならこっちあ構わないが」
「いやいやいや。わたしはこれを着る趣味はない」
りんかはメイド服を両手で持ってひらひらさせながらそんなことを言った。
「じゃあ……なんで取るんだよ」
「いや、自分でもわからないんだが、なぜか身体が反射的に動いてしまうんだ」
「そうか、反射的なら仕方ないな」
「ん」
「と見せかけて、とーうっ。ぐあっ」
子龍は手首を決められるとりんかの投げを食らって三メートルほど吹っ飛んだ。
コロコロと床を転がって入り口付近で止まる。お姉さん店員が小さく声を上げ、マスターが目を真ん丸に見開いた。
「ああ、すまない、平山くんっ」
りんかは俊敏な動きで駆けよると子龍を助け起こす。
「いい動きだ。この俺をポーイするとは」
「合気をいささかながら嗜んでいてな。それよりも怪我はないか。ああ、お騒がせしました。決して、喧嘩とかではないので!」
りんかがひたすら謝りながら子龍を助けるところを見た店の人たちは、なんとか沈静した。
「平山くん。どうもわたしはこのメイド服が気になる。そして失ってしまった自分の記憶も」
「まあ、だろーな」
「こうなったら仕方がない。今日は是が非でもきみに時間を作ってもらわなければならなくなった」
「……なに?」
「決まっているだろう。これから平山くんの家の事務所兼倉庫に行くのだ。現場で同じことを再現して、メイド服の謎を必ず解き明かすんだ」
果てしなく嫌な予感がする子龍であった。