11「密談は続く」
「とにかく、もうちょっと隅のほうに行きましょ。このままじゃ図書室の先生に怒られちゃう」
「ああ、司書教諭の里村センセだな」
「そうよ。あの先生美人だけど怒ると怖いのよ。ほら」
受付カウンターで子龍たちを気にしていた里村美香子から離れて図書室の隅に移動する。
この学園の図書室は理事長が力を妙に入れ間違えており、並みの大学図書館よりもはるかに大きくて広いので、端へ移動してしまえばよほど騒がない限り声は届かない。
――埃臭い。というか、これは本の匂いか。
桃花に手を引かれるまま子龍はそんなことを想った。
「は! ……もしかして子龍。アンタ、あたしをこんな人気のない場所に連れ出して、良からぬことを考えているんじゃないわよね。変なことしたら大きな声出すからね」
「連れてきたのはおまえだろーに。そもそも、なんでそんなに馴れ馴れしいんだ。俺たち知り合いだったっけ?」
「去年同じクラスで文化祭委員も一緒にやってたでしょ!? ちょっとショック過ぎるんですけど?」
――そういえばそんな気もするが。
「あ、ああ。そうか。あの頃はちょうど親の再婚話とかいろいろあって、記憶が曖昧なんだ。すまない」
「え! そうなの? ご、ごめん。なんにも知らないのに勝手なこといって。平山くんに呼び方戻したほうがいい?」
「名前の呼び方なんてどうでもいーよ。好きに呼びな」
「そ、そう。それじゃあたしのこと佐藤じゃなくて桃花って呼んでいいわよ。特別に許したげる」
「おお、ありがとな佐藤」
「今のあたしのお話なかったことになってるッ!?」
「わかったよ、桃花。これでいいか」
「ふ、ふん。いいんじゃない……別に」
桃花は腕を組んでプイッと横を向いているが、耳まで真っ赤になっている。
どうやら女性経験の少ない子龍にも彼女が名前呼びされて照れまくっていることがわかった。
「で、話はなんだっけ? つき合い始めたふたりが名前で呼び合う関係に進んだの巻?」
「ちがーう。りんかの話よ。脱線しまくりっ。あたしはお喋りじゃないのに、ここまで会話のキャッチボール行為を引き出すなんて、子龍はやっぱ女に関して手慣れてるわね」
「こう見えても幼児教育には一家言持ってるんだ」
「あたしは園児かっ。じゃなくて、重要な部分に戻るわよ。子龍は金曜の夜、りんかといっしょに居たのね。そのあたりから詳しく話しなさい」
「あー、もうわかった。観念するよ。金曜日な。たまたま雨が降ってきてな」
「ああ、うん、あのゴリラ豪雨ね」
「ゲリラな」
桃花は顔を真っ赤にさせた。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと間違っただけなのに上げ足取りしなくてもいいじゃんっ」
「声」
「あ、ごめん」
「そう、そのゲリラ豪雨だ。とにかくだ、最初から流れを説明するとだ。俺は例の花壇事件でクラスのみんなの前で白石にメチャクチャ糾弾されただろ?」
「う、うん。実は子龍が絡まれてる園芸部の子を助けたんだっけ?」
「真実はそうだ。だが、白石のやつは知らなかった。そして、そのことで俺に関して勝手に罪悪感というか重荷を背負っちまったらしい。そんで、どーしてもなんか借りを返させてくれって、絡みだしたんだ。なんだかしつこくてな」
「あー、わかる。あの子なら、自分が間違ったってわかればどんな手を使ってでも謝ろうとするから。りんかは頑固な子なの」
「ンでな、たまたま駅前で一緒に茶ァ飲んでてな」
「お茶ァ?」
「いや、びっくりするところか?」
「ごめん。でもりんかってば校則にうるさくて、まず寄り道の類なんて絶対にしないのよ。出かけるんなら、一度必ず家に帰って着替えてからってのがおじいちゃんの教えだって。たぶん、喫茶店に男の人と入ったことなんて初めてじゃないかしら」
「白石には彼氏がいなかったのか?」
「あれだけかわいいのにいないのよ。謎でしょ? そりゃ、愛想がいいとは言えないけど、あれだけの美人さんなのよ。初対面の時は、なんか冷たくて近寄りがたいけど、ちょっと話してみればすごく穏やかで話しやすいし、それにあの子絶対に人の悪口言わないし、正直で、面倒見もいいから……中学の時から言いよる男はすっごく多かったけど、あたしが知る限り、りんかが特定の男子と仲良くしていたことはなかったわね」
「ほーん、見た目どおりのレアキャラか」
「だから、りんかが子龍にそれだけ執着するのは珍しかったの。そんで、お茶してからどうしたのよ」
「それほど続きがあるわけじゃないんだが、なんにしろスゲー雨だし、雨宿りする適当な場所が、駅前にあるうちの実家の事務所兼倉庫しかなくってな。そこで、ちょっとだけのつもりだったんだが」
「なにがちょっとだけのつもりよ。この確信犯」
「それは誤解というものだぞ」
「人のいいりんかの弱みにつけこんで、あろうことか、変態メイドプレイを強要したのね!」
「……ちょっと待った。なぜメイド服のことがここに出てくる?」
「とぼけないでよ。りんかはぜんぜん起きてこないかと思ったら、いきなりメイドのコスプレ始めてすっごく大変だったのよ」
「知りません関係ありませんメイドとか興味ないです」
「……子龍がりんかにメイドコスプレ強要して脅してるって広めてやる」
「ごめんなさい、今後は桃花さまの指図に逆らいませんので、このことはなにとぞ誰にも言わないでくださいいったらおまえを肉奴隷に再調教する」
「また、後半脅しかけてるっ? って、冗談よ。子龍はそんなおかしなことするタイプじゃないみたいだし。けど、あのメイド服は……?」
「うちは自営で輸入雑貨の店やっててさ。駅前には事務所兼倉庫みたいなのを借りてんだ。そこで、なんちゅーか話の流れで、白石が悪戯でメイド服を着たんだ。言っておくが、白石の罪悪感につけいって強要はしてないからな。あくまで自主的にだ」
「うーん、にわかには信じがたいけど、ま、あたしもあの子のことぜんぶ把握してるわけじゃないし。すると、単純に子龍にりんかが構うのは好意があるからかな?」
「なんでそうなるんだよ……」
「だってそうでもなきゃ、いきなりいくら隣の席とはいえ、女の子が特定の男子にあそこまで親切にするはずないじゃないの」
「いや、さっき桃花は白石のことお節介焼きみたいにいってただろ。白石にとっては困った人間を助けるのは普通のことなのでは?」
「常識の範囲内ででしょ。第一、りんかは誰にもあんなふうに自分のスペースに入れてベタベタする子じゃないわよ。誰彼構わずそんなことするなんて、ただのビッチじゃない」
「モテる男はツラいぜ」
「メチャクチャ似合わないセリフね。まあ、子龍がりんかを脅してるんじゃなかったら、むう、そのあたしもりんかの恋路を邪魔するほど野暮じゃないし。ようし、任せなさい!」
「断る」
「まだ、なんもいってないし?」
「いや、おまえに任せるようなことはミジンコほどもない」
「全否定!?」
「ははは、そうだ」
「なに笑ってんのよ」
「笑ってないぞ。至って真剣だ」
「わざとキリっとした顔して、ムカつく。まあ、どっちかと言えば子龍がりんかに釣り合ってるかどうかは微妙だけど、それとなく聞くくらいいいじゃない。実は子龍も気になってるんでしょう?」
「ワシも男ですたい。美人が嫌いだといえば嘘になりましょう」
「じゃあいいじゃないの」
「けれど、ここで私が白石を我がものとすれば、世の人は弱みにつけこんだとそしるだろう。それでは民望を繋ぎ止めることはできかねるゆえ」
「……なぜいきなり政治の話になるのよ? まあ、よくわかんないけど、あたしはあたしで好きなように行動するから。だって気になるから!」
「じゃあ、なんで聞いたんだよ」
子龍が納得いかずにいると、予鈴が厳かに鳴った。
「あら、もうお昼休み終わりね。じゃあ、聞くタイミングはこっちで調整するから、子龍はあんまし気にしないでよ」
「まだ昼飯食ってないんだが……」
くう、と鳴る腹を押さえながら五時限目の授業を自主休校し、栄養補充に当てた。