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光の刻印  作者: 叶 響希
第一部
1/49

プロローグ

 ――大陸暦513年。

 当初、大陸を構成する二つの国の間で勃発した戦乱は、両国に連なる諸国を巻き込んで、いつしか大陸全土に波及していった。後世に言う、大陸聖戦がこれにあたる。

 国境付近に止まらなくなった勢いに圧され、幾つかの小国は滅びた。人々の怒号と大量の血の痕が大地を染め、空は炎の色に染まり、これこそが愚かな人間を抹消するための神の意思だと、ある国の神官は嘆いたという。

 ほとんどの国が疲弊していく中、事態が鎮静化に向かうまで、実に十余年。

 平和を約束する条約が結ばれたこの日、大陸は沸いた。

 各国で盛大な式典が催され、統治者による聖戦の終結宣言が行われることとなったのである。

 戦乱を終結に導いた国として、英雄を多く輩出することとなったこの国――エリクシュルもその例外ではない。

 王宮まで続く長い人々の列。歓喜の声。

 人々はこの先未来永劫の平和を祈りながら、国王と英雄達に限り無い賛辞を贈るのだった。




 王宮に近い場所に、ロウズ家の屋敷はある。

 賑やかな外界に取り残された静寂の中、少女はただ一人、二階の窓から街を見下ろしていた。

 手入れの行き届いた亜麻色の髪は緩く波打ちながら背中に達し、窓辺に置いた手は繊細ですらある。顔立ちは子供らしい丸みを帯びていて、十三歳という実年齢よりも、いっそ幼い。しかしきつく結ばれた口元と、何より群集を見据える漆黒の双眸は、遥かに大人びた色を湛えている。

 彼女は、瞳と同じ色をしたドレス――喪服に身を包んでいた。喪服を着るのは、二度目になる。一度目は、弟を産んだ直後に死んでしまった母の葬儀のとき、そして今回だ。

 胸に飾った白い花は、父への哀悼の証である。

 将軍の地位にあった父親はこの喜ばしい日を見ることなく、終結宣言のわずか三日前に、この世を去った。

 国を、いや大陸を平和に導いた英雄のひとりとして。

 正確には、志への到達目前にして最後の戦死者となった、非業の英雄として。

 使用人達は今頃、主人の名誉を称え涙していることだろう。乳母に連れられて外へ飛び出した幼い妹と弟は、小さな胸に誇らしさを覚えているかもしれない。

 しかし、彼女は違った。

 国境近くで息絶えたとされる父の遺体を、直接見たわけではない。もちろん、その現場に居合わせたはずもない。

 しかし、訃報よりも遅れて届いた父親からの手紙が、少女に疑惑を抱かせた。

『もはや敵は前方に在らず』

 家人は、最後にそう結んだ手紙の意図を、平和の訪れと受け取った。――そう理解する以外、敬愛する主人を失った使用人達が、悲しみに耐える術はなかったのかもしれない。

 ただ、彼女だけがそうは思わなかった。

『本当の敵は、後方にこそ存在する。……そう思わねばならないのは、悲しいことだ』

 それは、いよいよ戦地に赴くという数日前の晩のこと。滅多に口にしない酒を含みながら父親が呟いた言葉を、彼女は記憶していた。もっとも、すぐにいつもの毅然として頼もしい父の顔に戻ってしまったため、そのときは深く考えることなどしなかったのだが。

 手紙の文章を読んだとき、彼女は直感した。

「父さまは……もしかしたら」

 それは、漠然とした――酷く不愉快で粘着質な、それでいて掴み所のない疑惑。

 けれど、考えれば考えるほど疑惑は濃くなる。どうしようもなく気持ちが張り詰め、不安で、そして怖い。

 彼女は、自分の中の不安や疑惑を、周囲の誰にも漏らさなかった。漏らしてはならない、そんな気がしたのだ。

「……決めた」

 空を睨んだ彼女は、ゆっくりとした動作で、机の引き出しからナイフを取り出した。

 無造作に長い髪を掴み、一瞬の躊躇の後、それを肩の上で切り落とす。

 乾いたかすかな音と共に、亜麻色の束が喪服を滑り落ち、彼女の足元を埋めていく。

 やがて鏡の前に立った彼女は、短くなった髪を確認するように頭を振り、それから初めて満足そうな笑みを浮かべたのだった。




「お、お嬢様……ルーティアお嬢様っ。その髪はどうなさったのです!?」

「長い髪は邪魔だから切った、それだけよ。気が狂ったわけではないから安心して」

 目を白黒させる執事に、彼女はいっそ爽やかなほどの笑みで応えた。

 突然ばっさりと髪を切る行為自体、他の者に言わせれば気が狂ったとしか思えない行動なのだが、彼女自身はそんなことは気にしない。

「おじ様のところへ行ってくるわ。ラドル将軍のところ」

「お嬢様っ?」

「剣術を指南してくださるよう、お願いするの。これまでのような遊びじゃなくて、本気で覚えるのよ。承諾してくださるまで、戻らないから!」

 邪魔はしないで、と言い残し、ルーティアは屋敷を飛び出した。

 街中の歓声など、彼女には何の意味もなかった。ただ、たったひとつ見つけた、遠くに光る灯りを、決して見逃してはならないと強く思った。

 以来、少女は変化した。

 服装、歩き方、話し方に至るまで、彼女のそれが少年のように転じるまで、長い時間はかからなかった。

 何より人々は、彼女の剣術の上達ぶりを噂し合った。それは、彼女が生来のお転娘であったことよりも、父親の資質を受け継いだことに由来するのではないか、と。




 ルーティア・ロウズは十七歳で、エリクシュル王宮騎士に叙位される。

 目指すもの――それは、夢見る少女のまま安穏と過ごす世界では見出せない真実。

 少なくとも、彼女自身はそう信じて疑わなかった。


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