03 教会の少女
この世界に存在する魔法には、神の扱う【光】と【雷】。
神が選んだ聖職者の扱う【月】と【水】。
神と敵対したドラゴンの扱う【火】と【風】。
その他には、人々が造り上げた疑似魔法の【土】。
そして、神に背いた者たちに与えられる『呪い』、通称【闇】の八つがある。
光、火、水の三つは『創造魔法』と呼ばれており雷、月、風、土、闇の五つは『制約魔法』と呼ばれていた。
いずれにしても、それらは世界のシステムに関わりを持つため、扱える者は少ない。
そんな中でも、闇を扱える者は最も少ない。
いや、扱えるという表現は正確ではない。何故なら、闇とは扱うべき物ではなかったから。
しかし、シエンはその闇を扱える。
おそらく、この世界においてただ一人、闇魔法を扱えた。
「闇の性質は支配、侵食、呪縛。そして、発動条件は相手と接触していなければならない」
シエンは、戦いの最中で闇を剣に付与させていた。それは少しずつ男へと侵攻していき、やがて浸透していった。
「発動はかなり遅い。最速とされる光、雷なんかとは比べ物にならない。……だが、効果は絶大だ」
男は気づかぬ間に、その闇によって動きが鈍っていただけだった。
「……信じられない。闇とは扱うべき物ではない」
「だが俺は扱える。そして、呪われることもない」
その言葉で男はようやく理解した。シエンが「呪われていない」と答えた理由を。
「なるほど……お前は神に支えている癖に、神に反する魔法を扱うのか」
「そうみたいだ」
騎士とは"神を守護する聖職"とされている。故に、騎士が扱う不思議な力は全て魔法によるもの。
その属性は月。性質は鎮静、監視、抑制。
碧色の瞳を持つ騎士たちは痛みに疎く、時に致命傷を与えられても不死が如く敵に立ち向かった。それらは全て、月の魔法によるもの。意図して扱ってるわけではない。ただ、意図せずして発動しているだけ。
そして、シエンは闇と月の二属性を宿していた。
「くっくっ……なるほど……ふふ、ふははは!」
突然笑いだした男に、シエンは首を傾げる。だが、閉じかけていた傷が開いたのか、突然吐血して笑いを止めた。
「安静にしておいた方がいい。無理すれば死ぬ」
忠告をしたにも関わらず、それでも男は口元をつり上げた。
「合格だ。……教会に向かうといい」
その狂気に歪む顔でシエンを見上げる。シエンは少しだけ眉をつり上げる。
「言われなくても」
そして、男から離れて教会へと向かった。トドメ刺すつもりはなかった。彼が騎士団を裏切った犯人でないのなら、敵対する意味もないのだから。
そうして教会への階段をあがり始めた時、背後で男の立ち上がる気配を感じる。
「安静にしておけって――」
やれやれと振り返った時、男は教会とは反対の森へ向かって歩きだしていた。傷口を抑え、一歩一歩確実に。
「仕方のない人だな……」
シエンは踵を返して男へと向かう。放っておけば、男は確実に死ぬだろうから。……いや、確実に不死に成り下がってしまうだろうから。
そうして、男を追いシエンは森へと戻った。
やはりそこは夜であり、途端に視界は暗くなった。
「……は?」
そしてシエンは見つけてしまった。
近くで倒れる倒木の尖った枝に……己の首を突き刺して倒れていた男の姿を。
「……なんで」
転んで突き刺してしまったのだろうか? そう思ったが、男がそんなドジを踏むとは考えにくい。だが、自殺をする理由さえ見つからない。
そんな男の体は、不意にピクリと動く。
まだ生きていたわけじゃない。
彼は成ってしまったのだ。思考を棄てた死ねない存在に。
その不死は、首に刺さる枝で身動きが取りにくいのか、その場で悶えていた。やがて、枝を抜くのではなく、首を激しく動かすことによって枝から抜け出そうとする。
ブチブチと、首の筋が強引に千切れる音がした。
そして、その不死が立ち上がった時、男の首は強引にちぎったせいで傾き、ぐらぐらと揺れ、最終的にはぶら下がる。
その無惨な姿を見ていられず、シエンは静かに騎士の大剣を振るう。
不死となった男は、声もなく息絶えた。
その無惨な姿をしばらく見ていたシエンだったが、やがて記憶溜まりへと戻る。
男が言っていた彼女、その人物に会うため。その彼女とやらに会えば、この訳のわからない状況に対する答えがあるような気がして。
ただ、男が言っていた『神の創造』という発言だけが、得たいの知れない恐怖を掻き抱かせた。
(一体……あそこには何がいるっていうんだ……)
記憶溜まりへと戻ったシエンは、そのまま教会へと進んだ。
その建物はあまりにも綺麗で、時間の概念がないということを改めて納得させられてしまう。
扉に鍵はかかっておらず、少し押しただけで開いた。
建物内は薄暗かったが、正面上部の窓から射し込む斜陽が明るすぎることで、そう印象付けているだけだと知る。
その光が降り注ぐ中に、ひっそりとした祭壇を見つけた。周囲には百人程で埋まる長椅子が整列していて、ヒンヤリとした空気はどこか、教会特有の厳然さを思わせる。
カツンと己の足音が響く。
そうやって祭壇へと近づいていく。その光景は数年前、職業を得るために祈りを捧げた思い出を彷彿させる。
やがて、あと少しで祭壇までというところだった。
「――シエン。人属、レベル52、騎士、ロット2、属性……闇?」
囁くような突然の声に素早く剣の柄を握り反応する。
そこには、長椅子にちょこんと座る、布を体に巻きつけた子供がいた。
その布は頭にも被さっていて、顔はよく見えない。
しかし、布影の奥底に輝く黄金の《へびめ》が、ただ者ではないことを察知させた。
「誰だ?」
「レベル差は20くらいあったのに。……魔法もちゃんと扱える」
「……誰だと聞いてる」
するりと、顔を隠していた布が小さな肩まで滑り落ちた。
細く淡い髪が乱れ、真っ白な肌が露出する。顔は幼く、一瞬本当に子供なのかと錯覚してしまいそうになる。
しかし、その黄金の丸い双眸だけは異質を放ち、彼女はそもそも人ではないのだろうと理解させた。
「警戒してる。でも、とても無意味な警戒。するなら、入ってくる前にするべきだった。とても愚か」
発せられる声には抑揚がなく、何故だか全てを見透かされているような気がした。
「了承したから実行しないと」
その少女は、立ち上がるとシエンへ近づく。
シエンは腰を落として構えを取る。
「怖がらなくてもいい。ただ……渡すだけ」
そして、少女はタンッと跳び、シエンへと距離を詰め、首に腕を回すと、なんの躊躇いもなく――口付けをしてきたのだ。
(……は?)
あまりの事にシエンは固まってしまう。そしてその瞬間、唇を通して脳内に電撃のような物が走ったのを感じた。
その電撃に痛みはなく、衝撃のような物があるだけ。
そして、その衝撃の隙間にシエンは飲み込まれた。
――気づいた時、シエンは汚れた木箱の上に座っていた。
何がなんだか分からず状況を把握しようとしたが、顔が動かない。それから思い出す。
……自分は訓練の途中で抜け出し、休んでいるのだということを。
「サボりか?」
その声にビクリとして顔を上げる。そこにはシルがいた。
「シル団長!?」
勝手に声が出て、勝手に立ち上がる。そのシルは、変わらない威厳を漂わせていたが、シエンが知る彼女ではない気がした。
見たこともない……燦燗とした鎧を着込んでいる。
「サボっていたわけではなく、今は休憩中でして!」
慌てたような言い訳が出てくる。それに彼女はクスリと笑った。
「まぁ、入りたてはしんどいからな。もう少し我慢すれば、体が慣れるさ。見たところ体格は既に出来上がっているようだしな?」
「はっ、はい!」
シエンは彼女に話しかけようとしたが、身体が言うことを聞かない。それどころか、一瞬にして場面が切り替わった。
「――なんだ? 一人前なのは図体だけか?」
気づくと、シエンは地面に横たわっていた。息づかいは荒く、体は疲弊している。見上げれば、木製の剣先が壮年の男によって向けられている。
「そんなことでは、ルノート騎士団としての責務を果たせはしない。我らは決して倒れることのない盾で在らねばならないのだから」
また……場面が切り替わる。
「――なんだ。お前はよくここでサボっているな? 私が報告していたら、とっくにバレているぞ?」
シルだった。
「すっ、すいません! ですが、本当にサボっているわけではないです!」
「ほどほどにしておけよ? ……オルバル」
「……!? 私なんかの名前を……!?」
「お前は目立つからな。しかも、ことごとく戦闘訓練において負けている。知らないわけがない」
シルは、イタズラっぽく笑った。
「おっ……お恥ずかしいかぎりです!!」
「そう固くなるな。見たところ力も技術も他の奴等と変わりない。お前が倒されているのは、いつも足下を狙われるからだ」
「そんなところまで……。も、申し訳ないありません。その……分かっているのですが、どうしても反応できず……」
それにシルはふふんと笑う。
「ヒントをやろう。お前には、速さが足りていないんだ。だから、いつも遅れをとる」
「それは……わかってはいるのです。……ですから、毎日走り込みと剣を振って速く動けるように……」
「いいや、分かっていないな。そもそも、速く反応する必要なんてない。戦いにおいて速さで負けるのなら、それ以外のことで勝ればいい」
「それ……以外?」
「そうだ。しっかりと思考したまえよ? 与えられた試行では、己の身になりにくいからな」
「……速さ……以外」
場面が切り替わる。それは、知らぬ相手との戦闘訓練。
先に動いて相手に向かう。相手は、それに合わせて反応をする。
木剣の撃ち合い。緊迫した空気。それまですぐに倒されていた自分が、とても長くに戦闘を続けている。
やがて……体力の消耗と共に、相手の集中が切れるのが分かった。動きが散漫になっていたからだ。そんな相手の横っ腹に木剣を叩き込むと、彼は呆気なく倒れたのだ。
「……はぁ……はぁ。やった……やった」
場面が切り替わる。
そこは戦場だった。訓練などではなく、本物の剣を用いた戦闘。
目の前には、見たこともない鎧を身に纏う兵士がいた。
そんな彼に自分から向かっていく。相手は応戦するも、力も技術も自分が圧倒的に上であり、剣先は簡単に相手の首をはねた。
場面転換が速くなっていく。
それらは全て戦闘。そして、己が勝利した全て。
やがて……真っ暗な闇が視界を埋め、その中にボゥと淡い緑の光芒が灯った。それは真っ暗な闇を張り巡っていき、身体の奥底から手足の先にまで伸びていくような感覚に囚われる。
そして、それらは唐突な言葉として脳裏に焼き付いたのだ。
「――臨戦」
その声は、オルバルではなかった。紛れもないシエンの声。
その瞬間、シエンは身体の奥底から熱いエネルギーが噴出するのを感じる。
それはまるで、入念な準備運動をしたあとのような……戦闘の中で神経が研ぎ澄まされたような……鋭く反射的な感覚。
シエンはハッと我に返り、咄嗟に後ろへとステップする。
すると、己が思っていたよりも遥か後方に着地した。
(体が軽い……なんだ……これは)
その感覚に驚いていると、視界の先にいた先ほどの少女が薄い笑みを浮かべていた。
「記憶の受け渡しは終わった。約束は果たした」
その言葉の意味を理解することは難しい。しかし、シエンには感覚的に分かったことが一つあった。
【臨戦】。それは技能の一つの。そして、その技能は今や、己に宿っているということ。
「……どういうことだ」
呟いた疑問。それに少女は返答しない。
変わりに、またも理解し難い言葉をシエンに向かって放ったのだ。
「選ばれなかった哀れな子……。どうか力を貸してほしい。この世界に、新たなる神を創造するために」