ブラック社畜の初サボり
「兄ちゃん。仕事は大丈夫かい?」
「いいんだ」
時計を見なくてもわかる。
出勤時間どころか、始業時間もとっくに過ぎている。
しかし俺は会社に向かおうとはしない。
それどころか知らない爺さんの掃除を手伝っていた。
場所は大きい神社の隅っこ。
賽銭箱だけ置いてあります。って感じの、神棚がちょっと大きくなったような小さな社だ。
「頼み事しといてなんだが、会社には行ったほうがいいぜ」
神主っぽい爺さんが俺に言う。
今の俺に一番キツイ正論である。
こんな集客率と全く関係ないような隅っこの掃除を頼んだ奴が言うとは思えない。
「大丈夫、大丈夫。どうせ辞める職だ」
あと、サボってやったほうが会社にもお灸になるだろうよ。
言いながら俺はホウキを置いた。これでひと段落だ。
「ほう。なぜ辞める?」
「ブラックなんだ。うちの会社」
法外な賃金。
ずさんな日程管理。
少ない休みにサービス残業。
パワハラなんて当たり前。
それがわが社である。
俺は初日から辞めたいと思った。
何とか一年を過ごせたのは同期がいたからだ。
高卒の俺には四年年上の、大卒の同期だった。
ちょっと小太りの優しい奴だった。
つらいことがあったら飲みに行ってハゲ(上司)の愚痴を言い合った。
手柄を立てた時は(昇進・給料に一切の影響なし)酒をおごったりした。
しかし二週間前、そいつが失踪した。
俺は会社とは別に連絡を取った。
安否の確認すら、できなかった。
会社では冗談交じりに自殺だろうとか噂が流れた。
共に支えあった仲間が自殺したかもしれないこと。
その仲間と一緒に仕事していた人達が面白半分に自殺などと言っていたこと。
それが俺には結構つらかった。
同期の失踪で俺が受けたのは精神的なショックだけではなかった。
同期が受け持っていた仕事。
それがまるまる俺に降りかかってきたのである。
「同期の責任は同期がとれよ」
とのことだ。
「家に帰ったら寝るだけ」という生活は、
「家に帰れない」へと変化した。
二週目の日曜日。半日仕事してからやっと家に帰った俺は退職届を書いた。
「で、退職届を出しに行く勇気が出なくてな。神社によったら、そのままサボっちまった」
「で、そこにちょうど良くワシが手伝いを頼んだってか」
大体そんな感じだ。
そんなこんなで俺は考えなしにサボってしまったのである。
ケータイの電源は落としたが、つけた途端にメール千件・着信千件など嫌がらせに近い履歴があると思われる。
あー、これからどうしよっかな。
「ああ!そうだ!爺さん神主だろ?ここで雇ってくれないか?事務とか会計なら資格も経験もある!」
大きい神社はお守りとか結構売れるし、お払いとかもやっているはずだ。
それが生む経済効果って結構大きいのではないだろうか。
俺一人増えたところで経営に影響はないだろう!そうに違いない!
「いやワシ、神主じゃないし。運営とも全く関係なくてな」
え、マジか。神主っぽい格好してるから神主さんかと思った。
じゃあなんなんだよ、この爺さん。
「しかし掃除も手伝ったもらったしな。なんかしてやりたいところだ」
「まずお前さん。これからどうしたいんだ?」
どうすっかなぁ……。特に考えなんてねぇよ……。
「ホワイト企業に入りてぇけど、そうそう見つからないだろうしな……」
今日の仕事が終われば、明日の仕事を。
明日の仕事が終われば、明後日の仕事を。
どこまで行っても終わらない仕事の山。
それに潰されていく俺たち。
自殺するやつすらいる。
出口なんて本当にあるのか?
「ずっとこうなんかねぇ。俺だけじゃなくてさ。この日本で働いてる人みんな、さ」
爺さんは少し考え込むと、こう言った。
「もし……本当にもしもだぞ」
「もし、それを変えるチャンスを与えてやろう……と言ったら、お前さんどうする?」
俺は軽口を返そうとしたのだが、やめた。
爺さんの目が、今までの冗談交じりに会話していた時のものではなかった。真剣なものだったからである。
ポツリポツリと俺は吐き出す。
「そりゃあ……変えられるものなら変えたいさ」
「今もみんな死んだ魚みたいな目で働いて、笑ってても心からの笑いじゃない」
「過去からそれは引き継がれて、今の俺たちも多分それを引き継いでいく」
でもさ、と俺は続けた。
「未来の人に、俺たちと同じ目にあってほしくない」
「ほう」
と言うと爺さんはまた、少しの時間で何かを考えた。
爺さんはその少しで何かを閃いたようだ。俺を試すような口調でこう言った。
「きついぞ」
「それこそ、戦国時代みたいにな」
にやり、と爺さんが笑った。
「大丈夫。今までいたところも戦国時代みたいなもんだ」
笑いながら俺は答えた。
「その意気やよし!一名様ごあんなーい!」
爺さんが叫ぶとその瞬間、俺の足元に穴が開いた。
え?
俺はその中に落ちていった。
落ちた先では山などの自然な風景はそのままに、神社っぽい焼け跡・産業革命の”さ”の字もない工事現場・着物を着て行きかう人々。
洋服を着ている人など一切いない。
確実に現代ではない光景であった。
「あの野郎……」
俺はつぶやいた。
「あの野郎!本当に俺を戦国時代に連れてきやがった!」
俺はまだ、少し笑っていた。