八幡宮の落とし物
鎌倉の町は復旧工事に追われていた。
里見家が北条領に攻め入った際に、鎌倉は火を放たれ大部分が焼失したからである。
里見家の武将は敵の町を焼いたという武功で多くの褒美をもらうことに……ならなかった。
その中に鎌倉幕府の源頼朝公が建設したといわれる鶴岡八幡宮が含まれていたからだ。
頼朝公と里見家は親戚筋にあり、里見家にとってもそれは大事な遺産である。
さらに周辺の大名にも鶴岡八幡宮は信仰の対象になっていた。
火を放った里見家の武将は思っただろう。
あ、マズい。と。
主君のご先祖が建てた神社に火を放ったのだから。
周辺の大名が信仰する対象を焼き払ったのだから。
後日、その武将の首が北条家あてに送られてきた。
文には「神罰」とだけ書いてあった。
“首”だが“トカゲのしっぽ”とも言える。
「全部こいつのせいだから!里見家は関係ないから!」
ということである。
攻勢の大義名分以上に悪いことをしでかしてしまった彼らは、安房の国へと引き換えしていった。
北条としては攻勢がなくなり、有力な武将が文字通り“クビ”になったのだからいいことづくめだ。
そしてこの後、さらにそれを利用する――――
周辺の大名に鶴岡八幡宮復興の資金を募る。
里見家を悪者にしつつ、さらには資金を出さなかった大名の領地に攻め入る理由にもなる。
この機会をものにすれば、北条はもっと勢力を伸ばせるかもしれない。
今、北条は流れをつかんでいる。
氏康はそう思った。
氏康は北条家の嫡男である。
いずれは北条家のすべてを背負うことになる。
すべてとは本当にすべてである。
領地・家臣・財産など輝かしいもの。
そして責任や降りかかる災厄。
今北条を取り囲んでいる敵なども引き継ぐことになる。
敵はこの神社を焼いた里見家だけではなかった。
上野の山内上杉家を筆頭に武蔵の扇谷上杉家・甲斐の武田家・越後の長尾家などなど……下剋上で家を興した北条家の領地・相模の周りは敵だらけであった。
今日ここに来たのは北条家に今の幸運が長く続くよう、鶴岡八幡宮に願掛けをしておこうと思ったのだ。
復旧を始めたばかりの神社の横に社がある。人の背丈ほどの小さな社だが本殿が建つまでの仮の社だ。
氏康が柏手を打った時にそれは起こった。
ぱんっ!ぱんっ!どすん!
……?どすん?
目の前に人が降ってきた、のか?
確かに見た、よな。
確かに上から降ってきた。
どこから?
周囲に背丈より高いものはない。
登る所などないはずだ。
天から?
いやいやまさかまさか。
と、氏康がぼそぼそと呟いていると
「痛てて……。」
男が動き出した。
「なんだ?ここは?」
氏康からすれば、なんだ?お前は?である。
氏康からすれば男は明らかにおかしい恰好をしていた。
それを説明する言葉がない、着物ではない何か。
現代ではスーツと呼ばれているのだがそれを氏康が知るわけはない。
今は戦国時代なのだから。
あの野郎……。
男がつぶやいた。
「あの野郎!本当に俺を戦国時代に連れてきやがった!」
それが北条家を“関東の覇者”へと押し上げる“相模の獅子”と“地黄八幡”の出会いであった。